二十六 条件
セルジュからセレスの情報を聞き出したクロードは焦っていた。来月七月にセレスの十六歳を祝う誕生日パーティーが開かれ、そこで社交界デビューが決まっているというのだ。子爵家とはいえ経済界の中心人物であるフルノー子爵家主催の会。高位貴族から各界の重鎮まで幅広い貴族たちが参加するのは明白だった。せっかく侯爵にまでなったのに、横からセレスを搔っ攫われては敵わない。クロードは全ての伝手を頼り、早々に侯爵位の継承を王家に認めさせると、すぐにフルノー子爵に「極めて大切な話がある」と手紙を送ったのだった。
クロードを出迎えたフルノー子爵は大層驚いていた。差出人がロージェ侯爵と記されており、てっきりセルジュがやって来るとばかり思っていたのだ。まだ侯爵位の継承がなされたという情報が公にもなっていない段階での訪問。それほどクロードの行動は早いものだった。
応接室に通されたクロードは、待ちきれないとばかりに挨拶もそこそこに本題を切り出した。
「先のコンクールで聴いたセレスティーヌ嬢の演奏は大変素晴らしいものだった。単刀直入に言う。私とセレスティーヌ嬢の婚約を認めてはもらえないだろうか? どうか彼女のバイオリンの音色をずっと側で聴ける喜びを私に与えてほしい」
「……ずっと、ですか?」
「あぁ、婚約中も、婚姻後もバイオリンを続けてほしいと思っている。さらに高みを目指したいと言うのなら、支援だって惜しみなくするつもりだ」
そうクロードが言うと、それまでずっと神妙な顔をしていたフルノー子爵夫妻が一気に喜色満面の笑みを見せた。夫妻で顔を見合わせると、うんうん、と頷き合い、夫人に至っては薄ら涙さえも浮かべているほどだ。
「良かった……ようやくセレスティーヌを理解してくれる方が現れた。……ロージェ侯爵様、謹んで婚約のお話を受けさせていただきます。手塩にかけて育てた大切な娘です。どうか……どうか幸せにしてやってください」
巷では計算高いだの、腹黒いだの何かと噂されているフルノー子爵であるが、そこにいるのは娘の幸せを願うごくありふれた優しい父親だった。
「あぁ、必ず幸せにすると誓おう。……だが、一つ聞いてもいいだろうか? 婚約を申し込むと“条件”が出されると聞いていたんだが、それはいいのか?」
「ご存知だったんですね……ですが、すでに侯爵様はその条件を満たされております」
「…………?」
「なに、生涯セレスティーヌにバイオリンを続けさせてやってください、ただそれだけのことです」
「そういうことか」
「コンクールが終わってからどこから噂を聞いたのか、以前にも増して婚約の話は増えました。けれどこの条件を出すとみな一様に顔を顰めるのです。もしセレスティーヌ自身を見てくださっていたら、娘とバイオリンを引き離すなんて考えには至らないでしょうに。そんな相手にはどんなに爵位が高かろうが娘を嫁に出すわけにはいきません。……侯爵様だけです。自分からバイオリンを続けてほしいだなんて言ってくださったのは」
深く刻み込まれた眉間の皴。何をしていなくとも不機嫌に見えるこの容貌からは想像できないが、言葉を重ねるにつれてフルノー子爵の鋭い瞳にもうっすら光るものが浮かんでくる。
それからは上機嫌になったフルノー子爵は、「良いワインがあるから乾杯しましょう」と、なかなかお目にかかれないような希少性の高いワインを出してきた。そしてセレスの幼かった頃の話を饒舌に語りながら、次々と杯を重ねていく。
「先ほどは偉そうなことを言いましたが、本当は私もつい最近まで娘がこれ以上バイオリンにのめり込むのは反対だったんです。だって音楽の道は厳しいものでしょう? 今でも十分にあの子の演奏は美しいのに、なんでわざわざ苦労するような道を選ぼうとするのか。良い結婚相手に嫁ぎ、趣味程度にバイオリンを弾くだけでいいじゃないか、そう思っていたんです」
「たしかに良い結婚をするために音楽を習う者がほとんどだろうな。だが、私はひたむきに音楽と向き合う彼女だからこそ惹かれたわけだが」
「早く娘にその言葉を伝えてやりたいです。どれほど喜ぶことか……。わたしは、社交界デビューの日が近づき日に日に表情が曇りがちになる娘を見るまで、何もわかっていませんでした。娘の幸せは娘が決めるものなのに自分の価値観を押し付けてしまっていた……ロージェ侯爵様、どうか侯爵様のもとで娘の、セレスティーヌの夢を叶えさせてやってください」
「あぁ、約束しよう。ところで、フルノー子爵はその気持ちをセレスティーヌ嬢には伝えたのか?」
「ははっ、まさか。こんなことどれほど酒に酔っていようと娘の前じゃ言えませんよ。この悪巧み顔でそんなことを言っても、気味悪がられるのがおちですよ」
寂しそうにそう言ったフルノー子爵は、持っていたワイングラスをぐいっと傾け空にするとすぐさま次の一杯を注いだ。すでにこのワインも二本目だ。
不器用すぎる父親のわかりにくい愛情を目の当たりにしたクロードであるが、きっと娘にはこの重過ぎる愛情が伝わっていなのだろうな、とふと思った。
それからしばらく他愛もない会話を交わしていると、窓から差し込む陽の光が目にあたり、クロードは眩しさから目を細めた。気付かぬうちに随分と陽は傾いてきていたようだ。
辞去の挨拶をしようとクロードが立ち上がると、娘に挨拶をさせるから、と引き留められた。だが、使用人から、レッスンから帰宅したセレスは体調を崩し休んでいると報告を受け、子爵はわかりやすく落胆した。
「一言挨拶することもできんのか?」
「まぁまぁ、あなた。セレスティーヌだって婚約者になる方にやつれた顔なんて見せたくないでしょうし」
「私も初めての顔合わせがこんな酔っ払った姿では恥ずかしい。急ぐことはない。日を改めよう」
和やかに別れを告げたクロードだったが、まさかこの時に家出の手筈を整えていたなんて思いもよらなかった。呑気に気分良く馬車に乗り込んだ自分が恨めしい。
この翌日、セレスは外出先で行方をくらましたのだ。だが、その事実がクロードに伝えられたのは失踪から十日も過ぎてからのことだった。
婚約が決まったと同時に家出なんて婚約を拒絶しているとしか思われない。けれどクロードこそセレスの婚約者に相応しいと信じていた両親は、どうにかしてクロードにバレないように探し出し、何事もなかったことにしたいと願ったせいだ。
結局セレスを見つけられなかった両親は、迫ってくるパーティーのこともあり、全てをクロードに打ち明け、平身低頭で謝罪することになった。
「本当に……本当に申し訳ありません……誠に残念ですが、こちら側の瑕疵として婚約は破棄していただいて構いません……」
「ちょっと待ってくれ。セレスティーヌ嬢は私との結婚が嫌で家出したのか? それとも結婚自体が嫌だったのか?」
「あの晩と翌朝は体調が悪いと言って、娘は食事の席に現れませんでした。私どもからは婚約のこともお相手がロージェ侯爵様であることもお伝えしておりません」
しばしクロードは考えた。あの婚約を結んだ日は人払いをお願いしていた。万が一給仕に来た使用人が耳にしていたとしても、あの家の使用人たちはきちんと教育がなされていた。当主を差し置いてそんな重要なことをセレスティーヌに話すなんてことは考えづらかった。
「……そうか。ならば、婚約は破棄しない」
「えっ!?」
「ただ、捜索は私に任せてほしい。必ず見つけ出す」
この提案をフルノー子爵に断る理由なんてない。ただただフルノー子爵は慣れない謝罪を繰り返し、頭を下げ続けた。
子爵が帰ったあと、クロードはすぐに王宮に向かうと文官の仕事を辞めてきた。元々、婚約が決まればそのうち辞めるつもりでいたが、それが少し早まっただけ。何の躊躇いもなかった。
今の領地経営を続けるくらいならば、文官の仕事と両立でもやっていける。だが、いつかセレスの夢が膨らんだとき、たとえば楽団を作りたいだとか、音楽学校を作りたいだとか、そうなったときに、何不自由なくお金を使えるように、積極的な領地経営をしておいた方がいい。
幸いにもロージェ侯爵領は資源に恵まれている。隣国まで市場を拡大していけば、資金面で困ることはないだろう。
いつのまにかセレスの夢を叶えることが、クロードの夢になっていた。といっても、クロードはセレスにまんまと逃げられてしまったのだが。それでもいつか来るべき日に備え、クロードの意思は固かった。
(それにしても、家出してすぐに報せてくれていればな……)
捜索を開始してクロードは早々に行き詰まった。王都近くの街はすでにあの父親が探し尽くしていると言うのだから本当にいないのだろう。隣国への出国履歴も残っていなかった。ならば国内のどこかにいるはずなのだが、公爵家が主軸となって進められた鉄道事業のおかげで、今ではコージット駅を中心として各主要都市に線路が敷かれている。一晩あれば国内どこにでも行けてしまうのだ。
(まずはバイオリン工房からだな……)
国内中あてもなく出鱈目に探し回ったところで無駄に時間がかかるだけだ。ならばセレスが必ず立ち寄る場所をしらみつぶしに当たる方が確実だろう。工房ならばある程度大きな街にしかない。クロードは国内すべてのバイオリン工房、大規模なところから小規模なところまですべてに侯爵家の使用人を送り、十六歳くらいの空色の瞳を持つ少女が、シュヴァイガーのバイオリンを持ってきたら至急連絡するようにと依頼をかけた。さすがに至高の名品といわれるシュヴァイガーのバイオリンを持つ者なんてそうそういるものではない。
セレスが家出してから二ヶ月はひたすらに情報を待つ日々。自分自身も探し回りたい気持ちを抑えて、クロードは鉱物の掘削スピードを上げるための技術開発や輸送ルートの調整など、ただひたすらに仕事に集中していた。
そんなとき、北方の避暑地に送っていた使用人から興味深い情報がもたらされた。避暑地からさらに北に上った国境沿いの街、サンセルノ。その地にあるホテルの湖岸で美しいバイオリンを弾く少女がいるというのだ。妖精のような儚げな雰囲気をまとった少女が奏でるバイオリンの音色は、まるで爽やかな風が通り抜けていくようだという。
(彼女に違いない!)
クロードはすぐにサンセルノに向かったが、すでにセレスは二日前に出立していた。あと一歩のところでまたしてもセレスに逃げられたクロードは悔しさに歯噛みした。
(だが……おもしろい)
この湖岸で毎日毎日バイオリンの練習をしながら、教会に養育されている子どもたちと歌い、ときには追いかけっこをして遊んでいたというセレス。聞き取り調査で聞いたセレスの姿は、コンクールで見せる姿とはまるで違った。
貴族の娘の家出なんて、思春期のお遊びみたいなものだと思っていたが、どうやら彼女は本気で自分の足で生き、夢を追いかけていく覚悟らしい。
(こんな美しい景色を見ながら弾いていたんだな)
いつもセレスがいた湖岸のベンチにクロードは腰掛ける。ここでどんなこと思いながら弾いていたのだろう。のびのびと自由に演奏している姿を想像したクロードは「くくっ」と笑った。
(彼女の挑戦を見守っていくのも、婚約者の仕事かな)
最初は自分の手元で囲い込んで大切に育てていこうと思っていた。あの美しい瞳に醜いものを映さないように守っていこうと思っていた。
だが、もしかしたら彼女はそんなことを望んでいないかもしれない。自分の足で、自分の瞳で、外の世界を見たいと、そう願っているようにクロードには思えた。
(彼女は他にどんな一面を持っているのだろう……)
サンセルノで聞いた情報だけでも、セレスは自分が考えていたような貴族によくいるような箱入り娘ではなさそうだ。はじめはバイオリンの音色にただ惹かれて婚約を申し込んだ。けれど今ではその内面性をもっと見てみたいと思うようになっていた。
その翌朝、コージット駅まで戻ったクロードを待っていたのは、この街でセレスがバイオリン工房に立ち寄ったという待ちに待った情報だった。




