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二十二 演奏者たちの事情

「デトワールの仕事はどんな感じ? ラウンジでの演奏はいつも通り見事だったけど、いじわるな奴はいない?」


 ホテルの五階、レストラン横にあるバーで、いまだに見慣れることのない麗しい顔を傾けながら、クロードはセレスにそう微笑みながら問いかけた。

 デトワールで働き始めて一カ月が経った。今日はラウンジとレストランの演奏だけの日で、ラウンジで演奏していると、突然クロードが近くのソファに座ったのだ。どうやら仕事の関係でワーリングに来たらしい。演奏が終わったときにはすでに姿はなかったが、支配人直々に「今晩空いていたらバーで飲もうってクロードが言ってたよ」と伝言を受け取ったのだ。


「ふふっ、おかげさまで充実した日々を過ごしています。みなさん本当に良い方たちばかりで。そうそう、お友達もできたんですよ」

「それは良かった。お友達っていうのは男? 女?」

「ロザンナっていう女の子です。チェリストなんですが、きっとクロードさんも見たことがおありかと。わたしより少しだけ年上で、バターブロンドの髪の子です」

「うーん……あぁ、なんとなくわかったよ。でも充実しているって言うけど、セレスはちゃんと食べているのか?」

「えっ? あ、はい、大丈夫です。ちゃんと食べていますよ」

「それならいいんだが……」


 クロードの指摘は正しかった。忙しいのももちろんあるが、節約のために毎日の食事はパンとスープで済ませることが多かった。そのせいで元より華奢だったセレスの身体は、より一層細くなってしまっていたのだ。


「休みの日はある? 今度食事に行こう」

「ありがとうございます……でも支配人にお願いして、しばらくは休みなしで働く予定なんです。早く慣れたくて」

(それとお金が欲しくて……)

「そうか。それは残念だな。じゃあ、俺の部屋に来るか? 六階に泊まっているんだが、ルームサービスでなにかとればいいだろう」

(六階⁉ えっ、スイートルームに泊まっているの⁉)

「そこまで甘えられません」

「ここを紹介した俺の責任もある。ひもじい思いをさせたくないんだ」


 〝責任〟という言葉を聞いて、セレスの胸がチクンと痛んだ。そしてクロードの行動原理を理解する。これほどまで気をかけてくれるのは、擬似兄妹愛だけだろうかと何度も考えていたが、やはり責任も感じていたのだと腑に落ちる。クロードの大きな働きかけによって、セレスはデトワールで働くチャンスを得た。それはセレスも望んでいたことだが、紹介者としてクロードも面倒を見なければならないと思っているのだろう。それならば、なおのことこの優しさに甘えるわけにはいかない。


「責任なんて感じないでください。わたし、毎日ほんとうに感謝しているんです。こんな素晴らしい環境で働けるなんて夢のようです」


 この言葉に嘘はなかった。演奏者の中にはフィンロイナ音楽コンクールで入賞を果たした人もいるし、音楽で海外留学をした人もいる。オーケストラに属している人もいれば、同じバイオリニストの女性は掛け持ちで家庭教師の仕事もしている。皆、素晴らしい音楽遍歴の持ち主で、演奏後の控室では音楽談議に花を咲かせ、セレスにさまざまな視点からアドバイスをくれるのだ。

 それに音楽が大好きな人たちばかりで、いじわるをするという発想すらなく、そんな時間があれば練習していたいと思うような人たちだ。そんな環境で働ける幸せに比べれば、少々食べるものに困ろうがセレスにとっては些細なことだった。


「そこまで言うなら仕方ないが……」

「これからはもっと食べるようにします! もしブクブク太ったらクロードさんのせいですよ」

「ははっ、きっと太ったセレスもかわいらしいんだろうな」


 優しく、ちょっと過保護気味なクロードに心配をかけるのはセレスの本望ではない。そう思い、少々おちゃらけた口調で冗談っぽく言ってみたら、予想外の反応を返され、セレスはどぎまぎしてしまう。


「え……っと、そうだ、クロードさんはレストランには来られないんですか? 今夜はお見えにならなかったですよね?」

「あぁ、一人で食べるのも味気ないし、男同士であんなレストランに行くのもおかしいだろう? 今夜はその辺のパブで仕事仲間と食べたんだ」

「そうだったんですね。お相手の女性なんていくらでもいらっしゃるでしょうに」

「……セレスにそんなことを言われると悲しいんだが。好きでもない女性と食事するくらいなら一人の方がマシだ」


 その言い方だと、数ヶ月前初めてデトワールへディナーに行って以降、何度かクロードとディナーを共にしているセレスのことを好きだと言っているようにも受け取れる。だが、それが擬似兄妹愛だと思っているセレスはクロードの言葉をさらりと受け流した。

 

「では、ぜひお時間があれば今日みたいにラウンジの方へ来てくださいね。交代制でやっているんですが、今週は早い時間帯を担当していますので」

「あ、あぁ、毎日行くよ……」


 なんともいえない苦笑いを浮かべるクロードと、その後一時間くらい共にしたあとセレスは自室に戻った。戻ってきたとき、セレスは自分が鼻歌を歌っていることに気付かないまま、クロードからもらったオルゴールのぜんまいを回していた。

 ホテル・デトワールで一番豪華なスイートルームと、一番質素な住み込み用の部屋。二人の間には大きな隔たりがある。けれど、同じ建物の中にクロードがいるのだという仄かな喜びが、セレスの胸をくすぐったくさせていた。


 翌日、随分慣れた足どりで控室に入ると、ロザンナがわくわくした目で近づいてきた。


「ねぇねぇセレス! 昨夜のバー担当の二人に聞いたんだけど、あなたクロード様と一緒に飲んでいたらしいじゃない! 一体どういう関係なのよ?」

「普通の友人関係ですよ。ワーリングに来る前はコージットに住んでいたんですが、そこでお隣さん同士だったんです」

「お隣さん? クロード様が? そんなわたしたちが住むような場所にクロード様が住むものかしら?」


 言われてみれば確かにそうだ。裕福なんだろうとは何となく思っていたことだったが、デトワールのスイートルームに一週間も滞在するなんて、裕福どころか間違いなくお金持ちだ。そんな男性が一般人の暮らすアパートメントをわざわざ選ぶのは違和感がある。だが、そうは言ってもお隣さんだったことは紛れもない事実でもあるので、セレスはいささか返答に困ってしまう。


「なぜあそこに住んでいたのかは正直わかりませんが、とても親切なお隣さんで仲良くなったんです」

「へぇ? お隣さんってことは部屋を行き来したり?」

「そうですね。たまに一緒に夕食をとったり……」


 グレゴリーにされた仕打ちによって、二週間もの間、寝食を共にしたことは黙っていることにした。あの時は気が動転していて正常な判断ができなかったが、今にして思えば一人になりたくないからといって妙齢の男女があんな風に過ごすなんて、褒められたことではないとわかる。


「なるほどねぇ。でもそれって恋人同士じゃないの?」 

「まさか恋人同士なんて! 強いて言うなら兄と妹みたいな関係です」

「えー? 兄と妹? そんなこと男女間でありえなくない⁉」

「え、ありえないんですか……?」

「私にとったらね……って、ごめん! 話し過ぎちゃったみたい。早く準備しなきゃ間に合わない! 今度一緒に飲みに行こうよ。続きはまたその時聞かせて!」


 二人して慌ただしく準備をしながら、セレスは飲みに行く時間なんてあるかしら? と考えていたが、その機会は思っていたよりも早く訪れた。働き始めてからずっと休みなしで働いていたセレスを心配した支配人のローランが、この会話の二週間後に無理矢理一日休みを作ったのだ。ちょうどその日のロザンナはラウンジだけの仕事だったため、二人は夕方にホテル近くのバルに繰り出した。


「ロザンナさん、すみません。最近物入りであまりお金に余裕がなくって……」

「いいっていいって! 以前はこのバルにもよく来ていたのよ。私も全然お金なくってさ。っていうか、貴族やよっぽど実家がお金持ちでもない限り、若い音楽家で余裕のある人なんて一握りじゃない? みんな若い頃はお金で苦労しているものよ」


 年の近いロザンナと親交を深めたかったセレスは、飲みに誘われたことは嬉しかったもののお金に余裕がなかった。それを正直に打ち明けたところ、ロザンナは安くて美味しいと評判のバルを選んでくれたのだ。

 店内は密集していて隣の席の会話が聞こえるほどだが、ロザンナの言う通り注文する品はどれも美味しい。少々濃い味付けが客たちの酒の進みを速めているようだ。ロザンナもまたハイペースで酒が進んでいるようで、普段以上に饒舌になっている。


「そうだったんですね。だからみなさん、わたしが安いドレスのお店を聞いても優しかったんですね」

「そうそう! みんな若い頃は経験があるのよ。だからお金がないからって、それで馬鹿にする人なんていないわ」

「そうなんですね……あの、ロザンナさんは?」


 ロザンナはセレスより少し年上だがまだ若い。けれどお金で困っている様子もなければ、ドレスだって質の高いものを着ている。コンクールの受賞歴もまだなく、貴族出身という話も聞いたことのないロザンナが、なぜそんなにお金に余裕があるのか。セレスは素朴な疑問として何の気なしに聞いてみたのだが、その瞬間ロザンナの顔に僅かに影が差した。


「うーん……別に珍しいことじゃないし、悪いことじゃないって思っているんだけど……」

「あっ、ごめんなさい。話しにくい事情なら無理して話さなくても大丈夫です!」


 言い淀むロザンナの様子に、これは聞いてはいけないことだったとすぐに勘付いたセレスはすぐに謝罪するが、ロザンナはゆっくりと顔を横に振った。


「ううん。いつか他の人から聞いて変な誤解を持たれたくないから自分で話す。……けど、話を聞いても軽蔑しないでね? お願いだから友達でいてね?」

「もちろんです! ロザンナさんを軽蔑なんてするわけありません!」

「ありがと。……んー、何から話せばいいかな。セレスってパトロン契約って知ってる?」

「はい。後援者が芸術家支援のために金銭の援助をすることですよね? 隣国なんかじゃよくあることだと聞いています」

「うん、正解。けどね、純粋に応援してくれる人なんてほとんどいないわ。みんな対価を求めるの」

「対価、ですか?」

「パトロンがつくのって若い子たちが多いじゃない? それはその子たちの若い身体を求めているの。つまり、パトロンと身体の関係を持つってこと」

「えっ……?」

「ふふっ、驚いた? もっと驚くことを言っちゃうと男の子だってしていることよ。しかも女の子より高いお金がもらえるんだって」

「…………っ⁉」

「私ね、前まで大好きな人がいたんだ。けど、どうしてもコンクールに出るのにお金が必要でね……ちょうどそのときにパトロン契約を持ちかけられて……それで、その人とはお別れしたの」


 おちゃらけた口調とは裏腹にロザンナの顔はひどく悲し気だ。その今にも泣き出しそうな瞳が誰を想っているかなんて一目瞭然で、きっとその彼のことを愛していたからこそ別れを選んだと容易に推し量ることができた。こうやって明るく話さなければ、きっと簡単に暗い闇に飲み込まれてしまうのだろう。ロザンナの精一杯の強がりが痛々しい。


(わたしは本当に世の中のことを何も知らないできたのね)


 コンクールで平民の子にたくさん会った。多くは裕福な家の子が多かった気がするが、全員がそうだったわけでもないはず。きっとあの場にも自分の身体を対価にお金を支援されていた者もいたはずだ。


(自分のことしか見えていなかった。わたしよりも辛い境遇の子なんて山ほどいたのね)


「……最低でしょ? 軽蔑した?」

「そんなわけないです! ……ただ胸が痛くて」


 恐る恐るそう問いかけるロザンナをセレスはきっぱりと否定した。パトロン契約なんて珍しいことじゃない、悪いことじゃない、そう自分に言い聞かせて何とか平静を保っているだけで、本当は倫理的に間違っているとロザンナだってわかっているのだ。けれど音楽で大成するためには少なくないお金が必要で、夢のために身体を対価にするしかない現実。セレスとて実家から持ち出した宝石がなければ同じ状況になっていただろう。

 だから軽蔑なんてしなかった。ただ、美しい音楽を奏でるその裏で、どのような想いを抱いていたのか考えると胸が軋んだ。


「良かった。セレスに軽蔑されたらって思うと怖かったんだ。あー、なんだか安心したらお腹が減っちゃった。追加で食べ物とお酒注文していい?」

「はい! わたしも今夜はなんだか飲みたい気分です」


 努めて明るくしようとするロザンナに合わせて、セレスもしんみりした空気をどうにかしようと明るく振る舞った。

 お酒を覚えて一年以上が経ち、セレスは随分お酒に強くなった。多少飲んでも酔いつぶれることはもうないが、今日はいささか飲み過ぎたようで、気付けばセレスは普段口にしないような秘めた悩みをロザンナに打ち明けていた。


「わたし、胸がぺちゃんこなんです。これまでわたしに性的に興味を持った男性なんて、ロリコン男だけです」

「ふはっ、ロリコン男に好かれるなんてセレスも苦労したのね。けどね、いいことを教えてあげる。いい男ってのは胸の大きさなんて気にしないものよ。貧乳好きは変態が多いけど、巨乳好きだって童貞かマザコンがほとんどだわ」

「そんなこと初めて聞きました。みんな大きなお胸が好きだとばかり」

「セレスもまだまだおこちゃまね。いい? いい男って好きな女性の胸が好きなの。大きくても小さくても好きな女性の胸は特別なのよ。そりゃ美乳だったらラッキーくらいに思うかもだけど。あとはまぁ、感度が高いのが一番かな」

「感度?」

「あら、セレスってばまだその段階なのね。ふふっ、今度おねーさんが詳しく教えてあげるわ。とりあえずまわりの男の会話を聞いてみたら? みんな下世話な会話しかしていないわ。男の本性がわかるわよ?」


 そう言って含みのある笑いをしたロザンナは視線だけで「あっちの男たちの会話を聞いてごらん」とセレスに器用に伝えた。セレスはお酒を飲むふりをしながら、言われた方向にいる男たちの会話に耳を澄ました。

『この前会った女がよ、身体はすげーのに顔が好みじゃなくてさ。しょうがねえから後ろから突きまくってやったぜ』

『お? 俺は逆だったぜ。綺麗な女だと思って声をかけたら大した身体じゃなくてよ。だから俺も後ろからガンガンに突いてやったんだ』

 そこから聞こえてきたのは耳を塞ぎたくなるほど下世話なものばかりで、セレスは少し聞いただけで顔を真っ赤にして俯いてしまった。


「ね? 最低よね。けど好きじゃない女性相手だと男ってこんなもんよ」


 男たちの会話をロザンナは鼻で笑うが、セレスはしばらく俯いたまま、顔を上げることができなかった。

念のため、、、

これは異世界のお話であり、異世界の価値観です。

もし音楽や芸術に携わっている方がいて、お気を悪くされたら申し訳ありません。


あと一話だけセレス視点です。その次にクロード視点入ります。

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