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十九 兄と妹

 翌日いつも通り店に行くと、いつかと同じように扉を開けた瞬間、セレスはイリナとイザベルに両腕を取られた。そしてものすごい力でぐいぐいと店内に引きずりこまれると、ピアノの前にあるソファに座らされる。


「もう! セレスったら! 昨日のあれは何? クロードさんがあんなにイケメンだったなんて聞いていないわよ」

「わたしも知らな……」

「あの大男をいとも簡単に押さえつけて。はぁぁ……滅茶苦茶かっこよかった!」

「そうね、あれには驚……」

「それであのお金の使い方でしょう? 完璧すぎるっ」

「……」


 興奮している二人は言いたいことを捲し立て、セレスが口を挟む隙間もない。あまりの勢いにくくっと苦笑いしたセレスを見て、ようやく二人は何の情報も聞き出せていないことに気付いたようだ。「悪い癖がでたわぁ」とイザベルは額に手をあて、「今回ばかりは仕方ないわよ」とイリナはイザベルの肩に手をのせる。

 気を取り直した二人はふぅっと息を整えると、ゆっくりとセレスに向き直り、「それで、今日は全部話してもらうからね」と改めて意気込んだ。


「えっ? じゃあ、セレスもあんなにイケメンだったって知らなかったってこと?」

「そうよ。今までずーっと眼鏡をかけていたんだもの。ちなみに気になる人ができてからトラブルに巻き込まれないための女除けですって」

「まぁ、それもわかるかも。……って、好きな人ってセレスじゃないの? 昨日の一連の騒動を見ていたらそうとしか思えないんだけど」

「違う違う。だってわたしの前でもずっと眼鏡をかけていたのよ。それって好きになってほしくないからでしょう? それにクロードさん、わたしのバイオリンの〝ファン〟だって言ってたもの」

「ファンねぇ……うーん、それ以上に見えたけどなぁ。それよりクロードさん、今夜も来るんでしょう? きっと大変なことになるわよ」


 そう言ったイリナの予想は的中した。いや、セレスだってこうなることはわかっていた。だがそれ以上の有様だったのだ。

 ある程度客が入り、店が落ち着いてきた頃にいつも通りクロードはやってきた。今夜はもう伊達眼鏡をつけていない。長かった前髪も後ろに流され、形の良い額も丸見えだ。慣れた様子で一番奥のバーカウンターに一人で座ったのだが、その瞬間、指名の入っていない女の子たちがクロードの隣の席をめぐって熾烈な争いを繰り広げたのだ。争いを制したのは昨夜と同じあの二人。両隣を奪われた女の子たちは二つ隣、三つ隣さえも奪い合い、八席ほどあるバーカウンターはクロードを中心として全てが埋まってしまったのだった。


(今夜はお話できそうにないわね……)


 いつもオレンジジュースを飲みながらたわいもない話をするのが好きだった。今夜は昨夜クロードが似合うと言って選んでくれたドレスを着ている。大人っぽいドレスに負けないよう、髪は高い位置でポニーテールにしてまとめ、光沢が美しいシルクのサテンリボンを結んだ。イリナとイザベルに大絶賛された装いだったが、今夜は近くにいけそうもない。


(見てほしかったな)


 遠くに女の子に群がられたクロードを見つめ、ほんの少し寂しい気分になるが、セレスはぎゅっと気持ちを切り替えた。クロードはセレスのバイオリンのファンだと言ってくれた。その期待を裏切らないことが一番大切だ。お喋りできなくても、自分にはバイオリンの音色を届けることができる。来てくれて嬉しいという気持ちが音楽に乗って伝わるように、セレスは心を込めて音を紡いでいく。

 クロードが窘めてくれたのか、少し前まできゃあきゃあと騒がしかった軍団はお行儀よく静かにしている。それでも女の子たちの無言のアピールは凄まじい。黙っていてもなぜかうるさく感じるほどだ。

 今にも零れてしまいそうなほど胸元に深くカッティングの入ったドレスに、形の良い臀部にぴったりと沿った艶めかしいドレス。

 皆それぞれ自分の持つ武器がよくわかっているようで、それを最大限に生かしてクロードの視線を少しでも奪おうと必死だ。


(わたしにも武器があったらな……って何を考えているの?)


 そもそも、クロードには好きな人が、結婚を申し込むほどの人がいるのだ。自分がどれだけ魅惑的な肉体を持っていようと関係のないこと。なにより、友人なのに自分を女性としてよく見せたいだなんて矛盾している。友人は友人らしくいるべきだし、クロードだってそれを望んでいるはずだ。

 そうわかっているはずなのに、セレスは初めて自分の貧相な身体付きを惨めに思った。こんなものだろうと諦めていたし、凹凸のない身体にも慣れていたはずなのに、なぜか胸がチクりと痛い。

 だがそんな鬱屈した気持ちでバイオリンを演奏するわけにはいかない。自分が持てるものはバイオリンだけ。それさえも満足にできないのなら、それこそ自分はクロードにとって無価値な存在になってしまう。そうして胸の痛みを心の奥底にしまい込み、セレスは営業終了の時間まで精一杯演奏を続けた。 

 予想していた通りこの日は最後までお喋りすることはできなかった。だが、帰宅の準備を整え店を出ると、そこには街灯にもたれかかるクロードがいて、セレスを見つけるなり白い息を吐きながら微笑んだ。


「おつかれさま。今夜の演奏も素晴らしかったよ」

「あ、ありがとうございます。でもどうしてここに? 寒かったでしょう?」


 今は真冬。それも深夜だ。ツンッと刺すような冷たい空気がよく似合う雪雲色の瞳は、暖かな光を帯びていて冷たさを感じさせない。

 

「滞在中は毎日家まで送ろうかと思って。護衛だと思ってくれたらいいよ」

「そんな……大丈夫です。申し訳なさすぎます」

「いや、今夜は全然喋れなかったし、俺のためだと思って送らせてほしい」


 一緒に出てきたイリナとイザベルはクロードの微笑みを目の当たりにして、きゃあと嬉しそうに声をあげた。そしてまるで親戚のおばさんのようないらぬおせっかいを焼いてくる。


「セレスったら甘えなさいよ。クロードさんとお話できなくて残念だったって言ってたじゃない!」


(もう! なんでそれをクロードさんの前で言っちゃうかなぁ!)

  

 たしかに喋りたかったし、着飾った自分を見てほしかった。けれど友人としての正しい距離感ってものがある。そんな言い方をしたら、さも自分がクロードに特別な感情を抱いているよう思われてしまうではないか。それはきっとクロードにとっては迷惑なことだし、セレスだってこの友人関係が壊れることを望んでいない。

 だが、二人は悪気なんてなくニヤニヤと含み笑いをしていて、セレスの気持ちにどうやら全く気付いていない。このままではさらに余計なことをバラされそうだと焦ったセレスは急いでクロードの袖を持った。


「さぁ、寒いですし早く帰りましょう!」

「ん? あぁ」


 足早に店の前から立ち去り少し進んだところで、クロードはセレスに掴まれた袖をそのまま自分のコートのポケットにがぽっと入れた。そしてポケットの中で手を反転させるとセレスの手をぎゅっと握った。


「冷たいな」

「え……っと……」

「俺の手、あったかいだろう?」

「……そうですね?」


 数カ月ぶりに触れたクロードの手。筋張った大きな手に温かく包み込まれ、セレスの胸は人知れず鼓動を早くする。寒いはずなのに身体の内側から汗が吹き出してくる感覚。吐き出した息が真っ白になるくらい寒い夜なのに、沸騰したように顔が熱い。


(きっと耳も赤くなっているわ。どうか寒さのせいだと思って……)


 友人としての距離感を忘れてはいけない。特別な感情を抱いていると思われたら、この心地良い関係が終わってしまうかもしれない。こんな手を繋ぐことなんて、クロードにとったらたわいもないこと。それを勘違いしてはいけない。セレスは必死に自分に落ち着け、落ち着け、と言い聞かせる。

 そもそも、なぜ友人であるクロードにこんなにも胸が高鳴るのか。

 想像よりも見目が良かったから? もしそうだとしたら自分は思っていた以上に軽薄な人間だったようだ。見た目や資産で近づいてくる女性は嫌だとクロードは言っていたが、まさか自分もそうだったなんて思いたくない。では、男性に慣れていないからだとしたら? それならばまだ自分を許せる気がする。セレスは胸の高鳴りの理由を後者だと思いたかった。

 そんなことを思案していると、セレスはふと上の方から視線を感じた。そっと見上げてみれば、優しい眼差しをしたクロードと視線がぶつかる。どうやらセレスが一人思考を巡らしている間、ずっとこちらを見ていたらしい。


「くくっ、何を考えていた? くるくると表情が変わっていたが?」

「あ、いえ、大したことじゃないんです」

「そうか? それにしても今夜は選んだドレスを着てくれてありがとう。想像通り、セレスによく似合っていた。初めて会った頃より随分大人っぽくなったね」

「……っ!! ありがとうございます!」


 遠くからでもちゃんと見ていてくれたことが嬉しい。それに大人っぽくなったなんて、セレスにとっては最高の誉め言葉だ。身体の凹凸の成長は全然なくせに身長だけはしっかりと成長して、まるでバイオリンの弓のようだと自分を蔑んでいたが、クロードにそう言われたら少しは自分に自信が持てそうだ。

 店の女の子たちが自分磨きに勤しむ様子に感化され、セレスも外見に気を払うようになった。似合う髪型を探求したり、お化粧の練習をしたり、そういった日々の努力が実を結んだのだと思うと、甘酸っぱい喜びが胸にじんわりと広がっていく。

 それに追い打ちをかけるように「この髪型もすごくいいね」なんて言うものだから、セレスは大照れになってしまう。弛んだ顔を見られたくなくて、ぷいっとクロードから顔を逸らすと、後ろから忍び笑いが聞こえてきた。

 

「そういえばさっきのお友達の話だけど、俺と話せなくて残念だったって本当?」

「……はい。本当は少しでもお話したかったなぁって」


 本当はこの感情をクロードにバレたくなかった。だがここで否定するのはさすがに無理がある。それに、この発言を聞いたとき、クロードは気を悪くした様子も、迷惑そうな様子もなく、むしろご機嫌なようにも見受けられた。だからセレスはこの、友人としてはいささか距離が近すぎる感情を認めても大丈夫かもしれないと、観念したように本心を告げた。


「そっか。セレスにそう思ってもらえて嬉しいよ」


 そう言ってクロードは破顔した。月明かりに照らし出されたその表情は、まるで少年のような屈託のないもの。男女間にあるような湿っぽい感情がそこにはなかった。

 それを見たセレスは、なぜクロードがこんなにも自分に対して優しく接してくれるのか、なぜ特別な存在かのように扱うのかようやくわかった気がした。きっとこれは兄妹愛に近い感情。これまで言われた「かわいい」という言葉も、酔いつぶれて眠ってしまっても手を出されないことも、妹としてなら納得がいく。いつも側で支えてくれるのも、困ったときに助けてくれるのも、兄のような感情からくるものだとしたら、すべて辻褄が合う。

 きっと自分の気持ちも同じものだろう。なぜこんなにもクロードと話したいのか、なぜ着飾った姿を見てほしいのか、なぜクロードに褒められるとこんなにも嬉しいのか、これまでその理由を自分自身もわかっていなかった。けれど、きっと自分は知らぬ間に家族を求めていたのかもしれない。親の愛情がわからなくなり、一人家を飛び出した。その心の隙間をクロードが埋めてくれたのは間違いない。だからこの感情もまた兄を慕うようなものなのだろう。


「あの、よろしければ家によって行きませんか? 何もありませんが温かい紅茶くらいならご用意できます」

「えっ、セレスの自宅に? こんな時間にいいのか?」

「もちろんです。体も冷えたでしょうし、ぜひ」


 寒空の下、自宅まで送り届けてくれたクロードに温かい紅茶を飲んで暖まってもらいたいと思うのは当然のこと。そこに男女間のなにかがあれば、躊躇するところだが、わたしたちは兄妹のようなもの。そうであるならば問題はないはずだ。

 

「それじゃお言葉に甘えて」

「ちょっと散らかっていますが……」


 クロードのポケットからするりと手を抜くと、セレスは自宅の扉を開けクロードを部屋に招き入れた。ごく普通の庶民じみた家に、こんな美丈夫がいる違和感。セレスはそのあまりにも似つかわしくない様子にくすくすと笑いながら、クロードをソファに案内した。


「料理は得意でないですが、紅茶ならそれなりに自信があるので安心してくださいね」

「ははっ、期待しているよ」


 セレスはせっせと紅茶の準備をする。実家にいたとき、とても美味しい紅茶を入れてくれる使用人がいて、ひそかに教えてもらっていた甲斐があった。実家のように高い茶葉ではないが、美味しくなるように念じながら丁寧にカップに注ぐと、さわやかで深みのある香りがふわりと鼻腔をくすぐった。


「どうぞ。お口に合えばいいですが」

「あぁ、ありがとう…………うん、美味しい! セレスはバイオリンだけじゃなくお茶を淹れる才能まであったんだな」

「ふふっ、褒め過ぎです。でも、実のところ誰かのために紅茶を淹れるのは初めてだったんでドキドキしていたんです。だからそう言ってもらえて安心しました」

「俺が初めて? それは光栄だな。あっ、じゃあ家に人が来たのも?」

「イリナとイザベルは何回か来たことありますよ。ただ紅茶を淹れるタイミングがなくて。男性ではクロードさんが初めてです」


 あからさまに嬉しそうな表情を見せたクロードだったが、少しすると「うー-ん」と呻り声をあげ、眉を寄せて思案顔になった。何か思うところがあったらしい。


「それって、俺が安全パイってこと?」

「安全パイ?」

「えーっと、一応俺も男なんだが、家に招き入れても危なくないと思った?」

「はい! コージットの家に来られたときも危険なことなんて一切なかったですし、なによりわたしが妹ポジションだってことはわかっています」

「は? 妹ポジション? ってことは、俺はセレスにとって兄ってこと?」

「ふふっ、そうなりますね。ですが、こんなに素敵な兄だったら物凄くお兄ちゃん子になっていたでしょうね」


 楽しそうに笑うセレスの横で、クロードは顔を引き攣らせている。クロードは気を取り直すようにもう一口紅茶を口に運ぶと、自嘲めいた笑みを浮かべながらセレスに力なく問いかけた。


「それは親切なお隣さんよりも、友人よりも、格上の存在になれたと思っていい?」

「それは、はい。もちろんです」

「そっか……ならもうそれでいいか……」


 クロードの最後の言葉は自分に言い聞かせるような小さなもので、セレスの耳に届くことはなかった。

 そして翌日も、またその翌日も、クロードはセレスを自宅まで送り届け、その後はセレスの家で紅茶を一杯飲んで帰るようになった。そんな日々が一週間ほど続いた頃、クロードは珍しく一人の男を連れて店に来店したのだった。

他作品の書籍化作業で投稿に間が開き申し訳ないです。

少し余裕ができたのでペースアップがんばります!

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