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十八 本当の姿に

 クロードから上等な酒をふるまわれた客たちは大いに盛り上がった。もともと人格に難ありだったあの頭領が船員たちに慕われているはずもなく、日頃の不満が溜まっていた男たちにとって今回の出来事は気分爽快、最高の酒のあてとなっていた。

 セレスとクロードは、そんな客たちの楽しそうな笑い声を遠くに聞きながら、演奏者控室で向かい合って座っていた。マルクに特別に入室を許可されたクロードが傷の手当てをしているのだ。

 

「こんなに跡がついてかわいそうに……痛かっただろう?」

「あっ、えっと……大丈夫です。怖いって気持ちの方が勝っていたので、痛みはそれほど……」


 セレスの腕に丁寧に軟膏が塗り込みながら、上目遣いで問いかけるクロードにセレスは今にも発作が起きそうになっていた。腕の痛みよりも今は胸の激しい鼓動の方が身体に悪い。

 今もまだ髪をかき上げたままの姿でいるクロードの眩さのせいで、セレスは正面から相対することができないでいた。目の前にいるこの美丈夫は本当にクロードなのだろうか。本当はクロードの偽物ではないのだろうか。現実を受け入れるにはもうしばらく時間がかかりそうだ。

 だがそんなセレスの心の葛藤なんて知ってか知らずか。クロードは、器用に包帯をくるくるっと巻き終えると、控室をぐるりと見渡した。

 

「控室ってこんな風になっているんだな」

「何もなくてつまらないでしょう?」

「いや、そんなことない。あれは貸し衣装?」

「はい。たくさんあるのでいつもどれを選ぶか悩むんです」


 クロードは席を立つと、ハンガーラックに吊り下げられたドレスが並ぶ部屋の一角に向かい、そしてその中からおもむろに一着のドレスを取り出した。


「このドレスを着たことは? セレスに似合うと思うんだが」

「それは……まだないです。あの……良ければ明日着てみましょうか?」

「着てくれるなら嬉しいな。明日絶対見に来るよ」


 クロードが選んだのは、ホルダーネックデザインのスレンダードレスだった。スカイブルーのサテン生地にシルバーグレーの総レースが重ねられた上品な色合いは、たしかに最近大人っぽくなったセレスに似合いそうだ。


(わたしの瞳とクロードさんの瞳を合わせたような色……って考えすぎよ! クロードさんにそんな意図なんてないわ)


 余計な妄想をしてしまったことをセレスは恥じる。単純に似合うドレスを選んでくれただけで、それ以上の気持ちなんてあるわけがない。親切な友人の心遣いを、そんな風に考えるなんてどうかしている。そんな邪な心を見透かされないように、セレスは無理矢理に別の話題に切り替えた。

 

「それにしてもあの眼鏡は伊達だったんですね。どうしてまたそんなことを? こんなに綺麗な瞳なのに」

「そう? 俺はセレスの空色の瞳の方が綺麗だと思うけど……でも、セレスがこの色を綺麗だと言ってくれるなら嬉しい」

「とても綺麗です! 冬空のような、星の光のような……」

「ありがとう。そんなに褒めてくれるならもう伊達眼鏡なんてやめようかな。これまでかけていたのだって深い理由なんてないし」

「そうなんですか?」

「あぁ、強いて言うなら女除け?」

「……女除け……」

「自分のことを男前だなんて言うつもりはないけど、それなりに稼いで、それなりの見た目をしていると、それだけで近寄ってくる女性が多くてね。気になる女性ができてからは余計なトラブルに巻き込まれない為にかけてたんだけど、それももういいかな」


(そっか……クロードさんは好きな女性のために……あっ……その女除けの中にわたしも含まれていたのね……)


 たしかにこの見た目ならいくらでも女性は寄ってくるだろう。それに加えお金持ちなのだ。世の女性たちが放っておくわけがない。

 これまでクロードがやけに女慣れしていたのも納得だ。気になる女性ができてからトラブルに巻き込まれないように、ということは、それは裏を返せば、それまでは自由に遊んできたということ。花を贈られ、誉めそやされ、浮かれてどぎまぎしていた自分が恥ずかしい。クロードにとってあんなことは造作もないことだったのに。

 それにセレスの前でクロードが伊達眼鏡を外した記憶なんてない。それはつまり、下手に外して惚れられることを厭っていたということだろう。好きになってくれるな、と言外に言われているのだとセレスは察知する。


(クロードさんに愛されている女性は幸せね。どうして逃げたのかしら……)


 この思いは以前にも思っていたことだ。こんなにも親切で頼りになって話だっておもしろい。それだけでも十分魅力的なのに、この見目なのだ。どうして女性は逃げたのか、セレスは心底不思議だった。

 

(こんなにも親切にしてもらって、助けてもらって……これ以上クロードさんに迷惑はかけられない。わたしにできることは邪な想いなど抱かず、クロードさんの恋路を応援することだわ)


「クロードさんは見た目だけじゃなく中身だってとても素敵な人です! だから自信を持ってください! きっといつかクロードさんの気になる人にも、想いが伝わるはずです」

「えっ? 俺応援されている?」

「クロードさんの恋の邪魔しませんので安心してくださいね!」

「なんだか思っていた反応と違うんだが……」


 困惑顔のクロードを置いて、セレスは「そろそろ帰りましょうか」と言って立ち上がった。マルクからは今夜はもう帰っていいと了承を得ている。家まで送ると言ってくれたクロードには、着替えのためしばらくの間廊下で待ってもらうようお願いすると、セレスは急いで帰宅の準備を整え始めた。


「お待たせしま……し、た」


 勢いよく扉を開けると、そこには店の女の子に取り囲まれたクロードが。女の子の頭の上から覗く顔は少し困り顔だ。よく見るとクロードの両隣にいる女の子は、先日セレスの悪口を声高に話していたあの二人。クロードの腕に絡みつき、自慢の豊満な胸元をこれでもかと押し当てている。


(こうなるだろうとは思っていたけど早すぎない? お店は大丈夫なの?)


 騒動のとき、眼鏡が外れたクロードを見る女の子たちの目が肉食獣のようにギラついていたことには気付いていた。けれど、こんなにも手が早いとは。今夜の店は大入りだ。こんなところで油を売っている暇などないだろうに。


「あらセレスちゃん! 腕は大丈夫ぅ? アイナ、すっごく心配していたのよぉ」

「この方はセレスちゃんのご友人? いつもセレスちゃんにはお世話になっているから、是非ご友人にもご挨拶したいわぁ」


 あまりの白々しさにセレスは空いた口が塞がらない。なにがセレスちゃんだ、なにが心配した、だ。普段ならこんなことくらいいくらでも受け流せるのに、今夜のセレスはこのやけに甘ったるい猫なで声に苛立ちを抑えきれないでいた。ぶっきらぼうに「その方はクロードさんです」と不機嫌さを隠すことなく無表情で言うが、そんなセレスの不機嫌さなどどうでもいい女たちは「クロードさん……素敵なお名前ね」と嬉しそうにクロードの名前を何度も口にする。

 

(なんなのよ、クロードさんだって鼻の下伸ばしちゃって…………って、全然伸びてなかった! むしろ迷惑そう……)


 以前に、ユーゴが女の子たちに目もくれずセレスばかり見ているせいで、店の中で気まずい思いをしているとクロードに愚痴をこぼしたことがあった。そのことを覚えていたクロードは、手を振り払いたい気持ちを我慢して、不本意ながらこの状況に耐えていたのだ。


(クロードさんが悪いわけではないのに……どうしてわたしはそんな冷静な判断さえできなかったのかしら)


 クロードに縋りつき、甘ったるい声でクロードの名を呼ぶ女の子たちを目の前にして、なぜかセレスはいつもの冷静さを欠いてしまっていた。そうなってしまった理由はわからないが、思慮が足りず、クロードに八つ当たりじみた感情を抱きかけた自分を反省したセレスは、努めていつも通りの穏やかな声で話しかけた。


「クロードさん、帰りましょうか」

「あぁ、早く帰ろう」


 クロードも安心したように頷き、セレスに向かって一歩踏み出そうとしたが、女の子たちはクロードの両腕をきつくロックしそれを許さない。


「えぇー、クロードさんはお店に戻って飲み直しましょうよぉ」

「それがいいわ。セレスちゃんっておうち近かったわよねぇ? 傷も深くないし一人で帰れるでしょう?」


 言う通り傷も深くないし、家だってすぐ近くだ。だが、彼女たちに言われる筋合いは一切ない。今回ばかりは何か言い返してやろうと意気込むが、言いたいことを飲み込むことに慣れてしまったセレスは咄嗟の一言が出てこない。ぐっと言葉に詰まり、自分の不甲斐なさに唇を嚙んだ。


「俺がセレスを送りたいんだ。放っておいてくれないか」


 そんな中、クロードは少々力を込めて女たちの手を振り払うとセレスの手を取り、出口に向かって歩き出した。

 女の子たちはクロードが一瞬自分たちにだけ見せた、凍り付きそうなほど冷たい視線に唖然とする。が、高級ナイトクラブで働き、男たちにちやほやされ慣れている彼女たちは、女として過剰ともいえる自信を持っている。まさか自分たちが男にそんな目を向けられるなんて露ほども思っておらず、何かの見間違いだろうと深く考えることもなく、すぐさま気を取り直した。


「明日はアイナを指名してくださいねぇー」


 廊下の後ろから纏わりつくような猫なで声が響くが、クロードは振り返ることなくずんずんと進んでいく。そして店の外に出るなり、はぁっと溜息をつくと、ようやくその歩を緩めた。


「今夜は色々と災難だったな」

「せっかくお店に来てくださったのに楽しい時間を提供できなくてすみません」

「いや、それはいい。逆に今夜来られて良かったよ。セレスがお酌をするなんて許せないから」

「……ありがとうございます。本当に……本当に助かりました」


 騒ぎが大きくなるくらいなら、自分がお酌をすることで何とかなるのなら、音楽家としての矜持なんて捨ててしまうおうと思った。けれど、こうやって自分以上に自分の身体だけでなく心までも守ってくれる人がいる。それがセレスには溜まらなく嬉しかった。

 今やっと落ち着いたことで自分の気持ちがはっきりとわかる。自分が捨てようとしたものは、決して捨ててはいけないものだった。音楽を続けるために離れた両親、少ないながらも自分の演奏に耳を傾けてくれる観客、セレスの夢を遠くから応援してくれている友人やベルタ。そんな人たちの気持ちを踏みにじる選択をするすんでのところでクロードが助けてくれた。感謝してもしきれない。

 大切なものを失わずに済んだせいか、喧騒から離れほっとしたせいか、セレスはなんだか泣きたい気分だった。


「それにしても、店はいつもあんな感じなのか? バイオリンに集中できるような環境じゃないように見受けられたが?」

「……演奏者の女の子たちとは切磋琢磨できる良い関係なんですが……」

「セレスの選択に口を出したくはないが……」


 クロードの指摘は最もだった。セレス自身も最近考えていたことだが、今の環境のままではバイオリンの上達はそれほど見込めないだろう。イリナとイザベルの存在のおかげで、このお店で働くことは楽しい。けれどいつまでもぬるま湯に浸かっているわけにはいかないこともわかっていた。

 本来ならバイオリンを第一に考えるべきなのに、ユーゴに興味を持たれたり、またそのせいで女の子たちに目を付けられたり、挙句の果てには今日のような騒動に巻き込まれてしまったり。最近の悩み事は専ら人間関係ばかりで、精神的にバイオリンに割く時間が削られてしまっている。

 セレスのタイムリミットはあと二年と少し。このままでは自分の目指す場所に辿り着けない。だからといって他に働く場所がすぐ見つかるわけもなく。今はできるだけ人間関係に心乱されず、より良い仕事にありつける機会を狙っているような状況だった。


「わたしもこのままじゃだめだとはわかっているんです……でもどうすればいいのか……」

「……そうか。俺にできることがあればいいんだが」

「これ以上クロードさんに迷惑はかけられません。自分で何とかします」

「全然迷惑じゃないから。それに俺はセレスのバイオリンの一番のファンだからね」

「ファン……」

「そう。だから俺がしたくてやっているだけだから気にしなくていい。あぁ、それと今回の滞在はちょっと長めに取ろうと思っている。と言っても二週間が限界だろうが。だからまた定休日に遊んでくれないか」

「えぇ、喜んで」


 そう答えると、クロードは雪雲色の目を細めて笑った。初めて見えたその柔らかな眼差しに、セレスの胸が小さく跳ねる。

 いつもクロードは厚い前髪の裏でこんな風に自分を見つめて笑っていたのだろうか。美しい瞳に自分が映っていることに、セレスは淡い喜びを感じていた。

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