十七 助けてくれるのはいつも
よろしくお願いします
いつの間にか季節は冬。あれからクロードは月に一度のペースでワーリングに来ていた。もちろん滞在中は毎夜「ナイトクラブ・リラ」に姿を見せている。
フィンロイナ王国でも南部側に位置するワーリングでは珍しく今年は雪が多い。雪国出身の者にとってはなんてことない雪量でも、慣れていない者にとっては厄介な存在だ。美しい雪を愛でるよりも、外出して怪我などしないよう家に閉じこもってしまう者の方が多かった。
おかげでナイトクラブ・リラでも最近は閑古鳥が鳴いていた。客足が遠のき売り上げが落ちたせいで、女の子たちもいつもより苛立っているようだった。
セレスが演奏者用の控室で着替えていると、廊下の方から店の女の子たちの雑談が聞こえてきた。いや、聞こえるような場所で、あえて大声で話しているのだ。
「ねぇねぇ? 今日もトレトン商会の息子来てたわね」
「来てた来てた。いつも通り指定席に座っちゃってさ。こっちに見向きもしないの」
「あんな貧相な女の何がいいのかしら? 拳ほどの胸もないくせに」
「案外、夜のテクニックがすごかったりして?」
「ぷぷっ! それはないわ。あの子、色気もクソもないじゃない」
「それもそうね。処女丸出しの、清楚だけがウリのつまらない女だものね」
「やだ、言い過ぎぃ。でもまぁその通りだけどね」
一通り悪口を言い切ってスッキリしたのか、キャハハっと笑う甲高い声が遠ざかっていく。悪たれ口を最後まで聞き終えたセレスはふぅっと小さく息を吐きだすと、何事もなかったかのように席を立ち、鞄に荷物を詰め込み帰り支度を始めた。
「なんなの! 自分たちが稼げないのをセレスのせいにして!」
だが、セレスとは対照的にイリナは怒りが収まらない。鼻息を荒くしてロッカーの扉を乱暴に閉めたが、あまりの勢いに扉は跳ね返ってきてしまった。
「清楚がウリで何が悪いのよ。自分たちのウリなんて簡単に股を開くことじゃない。客と寝ることでしか繋ぎ止めておけない分際でよく言うわっ」
口汚く罵るのはイザベルだ。美しいストロベリーブロンドの髪は怒りで今にも逆立ちそうだ。
そんな自分のために怒りを露わにしてくれる二人を見て、セレスは眉尻を下げた。そして傷ついていないことをアピールするため、口角を上げるとニコリと微笑む。
「二人ともありがとう。わたしのために怒ってくれてとっても嬉しい。でも大丈夫だから。あんなことくらいで傷ついたりなんかしないわ。音楽の世界でもよくあることでしょう?」
本当にあれくらいの悪口どうってことないのだ。胸が小さいのも色気が皆無なのも事実。美しい女の子が数多いる中、ユーゴがなぜ自分なんかに執着しているのか自分自身が一番理解できていないくらいだ。
それに、上手くいかないことへの苛立ちを他者のせいにしてしまう人間をこれまでも数多く見てきた。他者と自分を比べることは決して悪いことではない。自分に足りないものを知り、良いものを取り入れようと真似をする。それが学びだ。けれど、自分に持っていないものを持っている他者を羨み、嫉妬し、妬むだけで思考停止してしまう者もある一定数いる。そして彼らはいつしかその気持ちを憎悪に変え、自己を顧みることをしないまま、自分自身の成長を止めてしまうのだ。
音楽の世界でも、ここナイトクラブ・リラでも同じこと。悪感情を向けられるのは正直居心地は悪いが、それで傷つくかと言われるとそういうわけでもなかった。
「それはそうだけど……でもやっぱりむかつくーっ!! ミーシャやルシェルを見習えっつうの」
ミーシャとルシェルは、セレスがここで働くことをマルクに後押ししてくれたあの二人だ。この店のナンバーワンを争う二人は、こんな雪の日でも指名が途絶えることなく入り、常に引っ張りだこだった。ユーゴの席につくのは指名の入らない暇な女の子だけ。
「弱い犬ほどよく吠えるっていうけどその通りね。ねぇ、この後わたしの家に飲みに来ない? 美味しいワインがあるのよ。どうせ明日は休みだし、ぱぁーっと飲んで忘れちゃいましょうよ!」
雪が降る中、三人は腕を組みながらイザベルの家に向かった。真冬の冷たい空気が頬を掠めるが、そんなことなんて気にならないほど、セレスの胸は温かいもので満たされていた。
◇ ◇ ◇
この日は久しぶりに寒さが和らぎ、よく晴れた日だった。貿易港にはたくさんの船が到着し、街は繰り出した乗組員たちと、久々の冬晴れに浮かれた街の人々で溢れ、活気に満ちていた。ナイトクラブ・リラも例外ではなく賑やかな夜を迎えていた。あちらこちらの席から景気の良いオーダーが入り、女の子たちもスタッフも大忙しだ。そんな中、オープニングのアンサンブルを終えたセレスはいそいそとバーカウンターに来ていた。そう、今日は一カ月ぶりにクロードが店に来ているのだ。
「今夜は一段と賑やかだね。曲調もいつもとはちょっと違う?」
「はい、いつもとは雰囲気の違うお客様も多くいらしているので、明るい曲に変更したんです」
よく日に焼けた褐色の肌と逞しい体つき、そして粗野な言葉遣いは、いくらジャケットを羽織っていようと船乗りであることは一目瞭然だ。普段は大人の社交場にふさわしくしっとりした曲調を主に演奏するのだが、今日は船乗りたちが好むような明るい曲に変更していた。
特別ボーナスでも出たのか男たちの羽ぶりは良く、普段は一見の客など相手にしない女の子たちも、最近の売り上げを補填すべくせっせと愛想良く接客しているせいか、店内は異様な熱気に包まれていた。
「まるで街の酒場だな」
「ふふっ、たしかにそうですね。でもたまにはこんな日があってもいいかもしれません。皆さん気の良い方たちですし」
船乗りの男たちは少々……いや、かなり声が大きい。ガハハと笑い、手を叩いて喜び、酒をぐびぐび呑む。この店のマナーとしては相応しくないかもしれないが、楽しそうに過ごしている姿は見ていて悪い気はしない。
「次はセレスの番?」
「はい。普段とは違う曲なので、是非聴いてくださいね」
「あぁ、楽しみにしてる」
イザベルと代わるようにステージに上がったセレスは、まず目の前の席に座るユーゴに目礼で挨拶をした。そしてバイオリンを構えながら、遠くのバーカウンターに座るクロードに視線を送る。
最初の曲は「待ち焦がれし君」。これは、船乗りの妻たちが夫を心配しながらも、その帰りを今か今かと心待ちにしている曲だ。いつもと変わらず今日の客たちもセレスの演奏に耳を傾ける者はほとんどいないだろうが、それでもこの曲に込められた切ない想いが、少しでも誰かに伝わればと心を込めてセレスは弾いた。
そうやって数曲弾き終わり、そろそろイリナと交代の時間が近づいてきた頃。ユーゴの隣りのソファー席に座っていた三十代中頃くらいの屈強そうな男性にセレスは突然声をかけられた。
「ちょいちょい、お姉ちゃん、お姉ちゃん!」
酒が進んでいるようで、男の顔は随分と赤い。
「はい、どうかされましたか?」
「お姉ちゃん、あの曲弾いてくんねぇかな? なんていったっけ? ええーっと……海賊……夜……」
「『ムハームトの海賊の夜は』でしょうか?」
「あぁ、それそれ。それが聴きたいんたけど、弾いてくんねぇ?」
「かしこまりました」
この曲は外国の有名な民謡だ。何か学びに繋がるかと、クラシックだけではなく民謡も練習しておいて良かったと、セレスはほっと息を吐いた。
それに演奏を聴いているのはクロードとユーゴだけかと思っていたのに、他にも自分の演奏を聴いてくれている人がいたことが何よりも嬉しい。セレスは赤ら顔の男に満面の笑顔で承諾した。
リクエストされた曲は船乗りたちに人気らしく、赤ら顔の男だけでなく、他の席の男たちもセレスのバイオリンに耳を傾けているようだった。演奏が終わるとどこからともなく指笛がきこえてくる。普段とのあまりの反応の違いに気恥ずかしい気分になったセレスは、そそくさと一礼して控え室に下がろうとしたが、顔を上げたセレスの目の前には一人の大男が立ちはだかっていた。
「よぉ、姉ちゃんのこと気にいったぜ。俺と一緒に飲もうや」
酒臭い息をセレスの頭上に浴びせながら、その大男はセレスの腕をぎしりと掴んだ。故意ではないだろうが、そのあまりの力の強さに身がすくんでしまう。
「ひっ……申し訳ありません……わたしはバイオリニストですので……」
「つまんねぇこと言ってんじゃねえよ。俺が来いって言ってんだ。つべこべ言わずに来い」
一瞬にして店内は嫌な静寂に包まれる。この大男は船乗りたちの頭領であったせいで、この野蛮な行為を止められる者は誰もいない。普段トラブルが発生したときにはオーナーのマルクが対処してくれるのだが、タイミング悪く追加の酒を取りにバックヤードに下がっていた。
こんな大勢の前で手荒な真似はされないとわかっていても、グレゴリーに乱暴されたときのことがフラッシュバックで蘇ったセレスは恐怖のあまり身を固くしていた。
慣れた女なら上手くいなすこともできるのだろうが、セレスがそんな手管など持ち合わせているはずもない。ただ、叫び出さないように堪えるので精一杯だ。
「あ……あの…………」
「ちょっと酒注ぐくらいでもったいぶんなよ、ほら来いよっ。お前もこの店の女だろ」
なかなか従わないセレスに男は少々苛立ってきているようだった。涙目になりながら周りに助けを求めようと視線を彷徨わせると、近くの席に座るユーゴと目が合った。だが、ユーゴはその視線を振り切るようにそっぽを向いたかと思えば、慌てて見て見ぬふりをした。
(そ……そんな…………)
セレスのことが好きだと、こんな気持ちになったのは初めてだと言ったくせに。ユーゴの想いなど、好きな女が酔っ払いに絡まれていても見過ごせる程度のものだったのだと落胆する。
(好きだなんて……結局は言葉だけだったのね……)
いつか父親が弟に言っていた言葉がふと思い出される。『人の本音は言葉ではなく態度に表れる。商売するに値する人物か悩んだときは相手の態度こそよく見なさい』
あぁ、父の言う通りだったとセレスは思う。これは商売ではないが同じことだろう。だが、ユーゴに対して失望の気持ちはもちろんあるが、心を明け渡していなくて良かったと心底思う。好きになる前で良かった、言葉を真に受けて馬鹿を見る前で良かった。
(それよりも、これ以上騒ぎを大きくするわけにはいかないわ。わたしがお酌するだけで満足してくれるのなら……)
男性を接待する行為を蔑んでいるわけではないが、セレスにも音楽家としての矜持がある。誰も聴いていないかもしれないが、音楽家としてこの場に立ち、お金をもらっているという自負がある。お酌をするためにここで働いているわけではないのだ。けれど他の客や店に迷惑がかかるくらいなら、こんな役に立たないプライドなんて捨ててしまおうと、セレスは歯がゆく思いながらも抗うことを止めた。
すると無抵抗になったことに気付いた大男がニヤリと笑い、そして自らの方へ手を引こうとする。だが次の瞬間、セレスの頭上から「いってぇな」という怒鳴り声が聞こえてきた。
「手を離せ。彼女は音楽家だ」
(えっ? クロードさん?)
目の前にいたのはクロードだった。大男の腕をがっちりと掴むとギチギチと上に捩じり上げていき、そしてついにセレスの腕は大男から解放された。白い腕にはくっきりと男の手の跡が残っている。
「あぁ? お前誰だよ、部外者は引っ込んでろ」
「俺は彼女の友人だ。あんたこそ早く自分の席に戻りな」
「はぁ? 眼鏡小僧のくせに生意気な口を聞きやがって。あぁ……そうか、女に良いところ見せたくて必死なんだな」
男がニヤニヤと嘲笑うかのように口元を歪めて笑う。
「はっ、残念だったな、眼鏡小僧。お前は床とキスでもしてな」
そう言うやいなや、男は突如クロードに殴りかかってきた。太く鍛えられた右腕を大きく振りかぶると、クロードの顔面目がけてぶんっと振り下ろした。
(クロードさんっ!!)
クロードとて背は高い。けれどそれ以上の上背と、ジャケットを押し上げる筋肉隆々の体躯と比べると、どうなってしまうかなんて明らかだ。セレスは顔を背け、ギュッと目を瞑った……が、クロードが倒れる音はいつになっても聞こえてこない。代わりにカランカランっと軽いものが転がる音だけが店内に響いた。
「あっぶな」
目を開けると、形を歪に変えた眼鏡だけが大理石の床に転がっていた。スレスレのところで避けたせいで、眼鏡だけに大男の拳はあたったようだった。
「な、な……」
大男は渾身の一撃が、こんな細身の男なんぞに避けられるとは思っていなかったのだろう。思い切り空を切った腕の力によろめいている。
「あーあ。眼鏡ダメになったな、気に入ってたのに」
「うっせぇ!」
激昂した男は今度は左腕を振り上げ、そしてもう一度殴りかかるが、クロードはそれもひょいと身軽によけると逆手でその腕を取った。
「あんた、大振りしすぎ」
そう言うと、大男の腕を背中側に引っ張り、くいっと捻り上げた。
「いっっででででぇ!!」
大した力を使っている風でもないのに、クロードの手によって操られるように男は膝をついた。それでもなお男は抵抗しようともがくが、後ろで拘束された腕はきっちり固められておりびくともしない。しぶとく暴れようとする大男に溜息をついたクロードは、少し力を込めてうつぶせにさせると、背中を膝で押さえつけ、目にかかる長い前髪を後ろにかき上げた。
「うぎぃ……」
関節をきめられている大男は情けない声を出すが、クロードはそんなことなど全く意に返さず、淡々と近くにいた女の子にオーナーを呼ぶように指示を出す。
「セレス? 腕は痛くない?」
「えっ? あっ、はい、ありがとうございます!」
「あとで握られたとこ見せてね。この男、馬鹿力だから痛かっただろう?」
「あっ、はい……」
クロードは淡々としているが、セレスは受け答えするので精一杯だった。目の前で繰り広げられた大捕物に驚いたことはもちろんだが、それ以上に初めて見るクロードの瞳に釘付けだったからだ。
寒い冬の朝の空のような、銀色と灰色が混じったような神秘的な瞳。かき上げられた前髪によって露わになった形の良い額。ダサ黒縁眼鏡と陰鬱前髪によって長い間隠されていた目元は、息を飲むほどの美しさで、そこにすっと通った鼻筋と控えめな口元が絶妙なバランスで配置されているのだ。つい目が奪われてしまうのも無理なない。
(えっ……これがクロードさん……? 信じられない……)
突然の出来事に呆然とするのはセレスだけではない。これまで歯牙にもかけなかった男が、これほどまでの美丈夫だとは思いも寄らず、店の女の子たちも色めき立っていた。
じきにマルクが来ると、クロードは事情を説明して警備団に大男を引き渡した。
「クロードさん……あの……本当に助けてくださってありがとうございます」
「いや、大したことじゃないから」
「でも眼鏡が……必ず弁償しますので!」
「あぁ、あれ伊達眼鏡だから別にいいよ」
「伊達?」
「あぁ。なくても困らない。それより腕見せて……うわぁ赤くなっているじゃないか。今夜の演奏はもうよした方がいい」
「そうですね……それに店もそんな雰囲気じゃなさそうですし……」
二人が店内を見渡すと、あんなに熱気の包まれていた店内はいまだに騒然として、音楽を聴きながら酒を楽しむような雰囲気ではなくなっていた。
「うわっ、ごめん。店の雰囲気台無しにしちゃったね」
「クロードさんのせいじゃありません」
「んー、でももっと静かに取り押さえることもできたのに、ついカッとしてしまって……すまない」
そうしょぼくれたクロードはしばし思案すると、店内に向けて大きな声を張り上げた。
「せっかくの夜にすまなかった。お詫びに俺から各テーブルにワインボトルを差し入れよう。まだまだ夜はこれからだ。どうか美しい音楽とうまい酒を楽しんでくれ」
投稿が遅れがちで申し訳ありません。
すべては花粉と生理痛と春休みのせい、、
遅くなっても最後まで書き上げますので、どうか見捨てないでください。。




