十五 この気持ちは
この夜の営業時間が終わり、控室に戻ってきたセレスは、イリナには右腕をイザベルには左腕をぎっしりと掴まれた。
「セレスったら、ちゃんといい人いるんじゃない!」
「あの男は誰なの? もったいぶらずに教えなさい!」
セレスに初めてのロマンスの到来かと、二人の興奮は最高潮に盛り上がっていた。ワクワクと目を輝かせながら、大きな勘違いをしている二人を見たセレスは苦笑いを浮かべ、そして少し申し訳ない気持ちになった。
(クロードさんはそんな人じゃないのにな。それに、気になる女性がいるって言っていたし……)
「落ち着いてよ、二人とも」
「落ち着いてなんていられないわよ。誰なの、あの男? 結構いい身なりしていたけど」
「この前話した、家庭教師をしていたときに支えてくれた方よ。二人が想像するような関係じゃないわ」
そう、クロードは親切なお隣さんだった人で、恩人で、友人で、大切で、誰よりも信頼できる人。ただそれだけの人で、それ以上ではない。
「またまたぁ。お姉さんは誤魔化せませんよ。あんなに情感豊かに弾いときながら、何にもないなんて」
「えっ?」
「……えっ、もしかして気付いてなかったの? あの男が現れた瞬間、セレスの音色変わったわよ」
クロードとの再会が嬉しかったのは間違いない。胸が温かくなって、いつもと変わらない雰囲気に安心感を覚えて。ただ、成長した姿を見てほしくて一生懸命弾いた自覚はあるが、それ以上の感情なんて持っていただろうか。
「そんなに変わった?」
「えぇ。アンサンブル終わった後もウキウキして走っていくもんだからてっきり好きな人かと」
「好きな人……? あぁ……なるほどね、わかったわ。あの男性はクロードさんっていうんだけど、そうね、好きな人で間違いないわ」
「やっぱり!」
「でも異性としてじゃなくて、人として好きってことよ。イリナとイザベルに対する感情と同じだわ」
セレスは自分の出した答えが正解だと自信を持って言い放った。人として好き。その答えが一番しっくりくる。
けれども二人は「そうかしら……」と神妙な顔をして納得していないようで、セレスは念押しでクロードにはプロポーズするほど気になる女性がいることまで伝えた。ほんの僅かに胸の一番奥の部分がツキリと痛んだ気もしたが、セレスはその痛みの正体に気付かない。
「そうなんだ……じゃあ私たちの勘違いなのかなぁ。クロードさん? も満更じゃなさそうに見えたけど」
「そうよね。でもさ、他に好きな女性がいるのにこんな花束まで用意しちゃって、彼、見かけによらずプレイボーイかもね」
あーあ、と残念そうにする二人はセレスの腕を解放すると、さっさとドレスから私服に着替え始める。その一方でセレスは贈られた花束を見つめながら物思いに耽っていた。
(クロードさんがプレイボーイ……まさか、ね。けど、女性を褒めたり花を贈ったり。なんだかすっごく手慣れてた……)
きっと、このもやもやする気持ちは、友人の知らなかった一面を垣間見たせいに違いない。そんなことはよくある。勝手にイメージを作り上げて、勝手にイメージと違ったからってショックを受けているだけ。もし本当にクロードがプレイボーイだったとして友人のセレスには関係のないこと。けれど、そう思う気持ちに反して、セレスの心にはもやがかかったままだ。
「あっ、そうだわ!」
着替え終わったイザベルが何か思い出したように振り向くとセレスに向けてにんまりと笑った。
「人として好きっていっても、今まで出会った男性の中で一番親しい関係なんでしょう? だったらいつ男性として好きになるかなんてわからないわ。もしそうなったら、結婚しているわけでもないんだしガンガン攻めるのよ。わかった?」
器用にパチンッとウインクを決めたイザベルを見て、セレスはふふっと笑った。
「そうね。万が一そうなったら、イザベルの教えをきっと守るわ」
◇ ◇ ◇
翌日から五日続けて、次の定休日になるまでクロードは毎日お店にやってきた。セレスは初日と同様に演奏時以外はクロードの横でオレンジジュースを飲みながら、たわいもない話をして過ごした。知識の幅が広いクロードとはいくら話しても話題が尽きることはない。以前は国の外交部で働いていたらしく、近隣諸国の文化や風習にも精通しているし、イメージとかけ離れたメルヘンチックな花言葉までも網羅する博識ぶりだ。
「知ってる? ブルースターの花言葉は、『幸福な愛』と『信じあう心』らしいよ」
と、含みを持たせた微笑みを浮かべながら教えてもらったときは流石にドキリとしたが、それ以外は至って穏やかな時間を過ごしていた。
それに、クロードは知識をひけらかすようなお喋りな男とではなく聞き上手でもあったので、セレスは危うくセレスティーナ時代の思い出までぽろっと口にしそうになってヒヤヒヤすることも多々あった。
「えっ、じゃあ明日にはワーリングを発つんですか?」
「あぁ。輸出交渉があるから明日からは隣国にね。契約の締結までの一ヶ月くらいはあっちに滞在することになるかな」
「そうなんですね……」
「ん? それは少しは寂しく思ってもらえていると思ってもいいのかな?」
頭をこてんと横に傾け、わざとらしくかわいこぶった仕草を見せるクロードにセレスは笑いながら怒って見せた。
「もう、当たり前です。こんなに仲良くなった友人としばらく会えないのに寂しくないわけないです!」
「友人……か。くくっ、親切なお隣さんから友人に格上げされたようで嬉しいよ」
長い前髪を揺らしながらおかしそうにクロードは笑った。そして指先でセレスのミルクジャム色の髪を一房持ち上げると、その柔らかな感触を楽しむようにくるくると指に巻き付けた。
「……将来のために頑張ってくるよ。セレスもたまには俺のこと思い出して」
そんな意味深な言葉を残してクロードは翌朝の船で隣国へ旅立って行ってしまった。
それからセレスにはこれまで通りの日常が戻ってきた……はずだったのだが、なんだか少し物足りないような、おしゃれに気合が入らないような、そんないささか退屈になった日々を過ごしていた。
空の青が一段と濃くなり、本格的な夏の到来を感じるようになってきた頃。セレスとイリナはいつも通り練習のため、早めにお店に来ていた。
「ねぇ、セレス? あの青年……ユーゴだっけ? 最近すごいわね」
「……うん。どうしよう」
楽器の準備をしていると、イリナが呆れたような口ぶりでセレスに話しかけてきた。ユーゴとはあのトレトン商会の息子のことだ。ユーゴはクロードの不在を好機と見たのか、ここ最近、セレスに積極的なアプローチをしかけてきていた。
これまでは父親に連れられ、会合目的でしか来店していなかったのに、ある日突然ユーゴは一人で来店した。そしてステージ目の前のソファー席に座ったかと思えば、ただひたすらに演奏するセレスを恋焦がれるような視線で見つめてきたのだった。それからは連日のように店を訪れている。
誰がどう見てもセレス狙い。そういった事柄に疎いセレスにだってわかるほどのあからさまな好意に、セレス自身も戸惑っていた。グレゴリーのような醜い下心であれば拒絶すればいい。けれどユーゴの眼差しはそういった類のものではなくて、極めて純粋な恋心だった。だからこそセレスは対応に困っていた。
ユーゴに対して怖いという感情はないし、バイオリンを聴いてくれて嬉しいとも思う。不快な感情も抱いていないし、品の良い客だと女の子たちからの評判も悪くない。だが、言うなればそれだけなのだ。特別な感情をユーゴに対して抱いていない。できるならばこのままの演奏者と客という立場のままでいたいが、きっとそれは無理だということも薄々わかっていた。
「きっと近々デートに誘われるわよ」
「デート……行かなきゃだめかしら?」
「行ってみてもいいんじゃない? 変な男じゃなさそうだし……というより、むしろかなりの好物件よ。それにデートしてみれば、思ったより良かったとか、全然合わなかったとか、何かしらわかるじゃない」
「そうよね……けど……」
「なにもデートしたから絶対に付き合えとかじゃないわ。色んな男性と出会うことで、見る目も養われるでしょうし、自分が男性に何を求めているか知るきっかけになるんじゃないかしら?」
イリナの言うことは最もだった。もう少しユーゴのことを知れば、興味だって湧いてくるかもしれないし、逆にセレスがユーゴに幻滅されて終わる可能性だって大いにある。
(クロードさんだって初対面したときの印象は最悪だったけど、今では大切な友人になれたんだもの。ユーゴさんが友人になる可能だってないわけではないわ)
数ヶ月前の最悪な出会いを思い出したセレスはくすくすと忍び笑いをした。不審者と疑って怯えながら早口で話しかけたあの日の自分に、今の二人の関係を教えてあげたい。その不気味な男は誰よりも信頼できる友人になるんだと。
家出をしてから色んな人と出会った。危険な目にあいもしたし、全てが良い出会いだったわけではない。けれどそれ以上に素晴らしい出会いもたくさんあった。その思い出の数々がセレスの心持ちを前向きなものに変えた。
「そうよね……じゃあ、もしお誘いを受けたら一度くらい行ってみようかしら」
そんな心づもりをしてから数日後、予想通りセレスはデートに誘われた。店の営業が終わり退店しようとしたところを、扉の前で待っていたユーゴに声をかけられたのだ。緊張のせいか声を上擦らせながらではあるが、まっすぐにセレスの目を見て誘う姿に実直さが垣間見える。
「セレスさん! あ、あの……僕……ユーゴっていいます」
「ユーゴさん……はい、存じております。いつも演奏を聴いてくださりありがとうございます」
「あっ、認知してもらえていたんですね! ははっ、嬉しいな。あの……も、もし良かったら、今度僕と食事に行きませんか?」
「……はい」
「本当に!? うわぁ、どうしよ。正直承諾してもらえると思ってなくて……ものすごく嬉しいです! 早速ですが今度のお休みの日空いていますか?」
◇ ◇ ◇
「で? 結局デートはどうだったの?」
定休日の翌日、いつも通りの一番乗りの時間に出勤したセレスを、イリナとイザベルは今か今かと待ち構えていた。そして扉が開くやいなやセレスに駆け寄り、我先にと何の前置きもなしに質問攻めにしたのだ。二人の瞳はわくわくを通り越して、ギラギラしている。
「普通に食事をして、海岸通りを一緒に歩いて帰ったわ」
「どこで食事したの?」
「ファヴールだけど……」
「ファヴール!? 超高級レストランじゃない! 彼の本気度が伺えるわね」
「ねぇ、本当に食事して歩いただけ? もっと何かあったでしょう?」
セレスとは段違いの経験値を持つ二人には何もかもお見通しだった。隠しごとにする気はなかったが、頭の整理ができてから追々相談しようと思っていたのに、出勤してから僅か一分足らずで全てを露呈する羽目になってしまった。
「……好きだと……付き合ってほしいと言われたわ」
「きゃあ! やっぱりね。で? セレスはなんて答えたの?」
「お断りしたわ。だって彼のことまだ何も知らないのよ? それに良い人だと思うけど……」
「なにか違ったのね? その直感って結構当たるのよねぇ……好物件だけど、セレスがその感じなら仕方ないわよね」
昨夜のユーゴに悪いところなんてなかった。終始誠実に接してくれたし、気遣いだって至るところに感じられた。けれど、男性として特別な感情を抱いたかと言えば否だ。何が違うなんて明確なことはわからない。けれど恋愛を知らないセレスでも、本能的に何かが違うという感覚があった。
それにデートする前は、これから親睦を深めていけば友人になる可能性もあるかもしれないとも思っていたものの、実際会ってみてわかったことは、一方が恋情を持っていては男女間の友人関係なんて成立しないということだった。
セレスの抱いた好意と、ユーゴの抱いている好意は全くの別物。同じ好意という言葉で一括りにできないほど、その姿形が違う。ユーゴが求めている好意をセレスは与えることができないし、ユーゴの好意をセレスは受け取ることもできない。
「それで、彼は納得してくれたの? なかなかセレスにご執心の様子だったけど」
「……諦めないって。もっと自分をよく知ってから、もう一度判断してほしいって言われたわ」
「うわぁ……言いそう……けどそんなの独りよがりじゃない? でもまぁ、そういった節はそこかしこに見受けられたけどね」
三人は目を見合わせて小さな溜息をついた。
なかなかの見目を持ち、かつ次期社長という肩書を持つユーゴはかなりの良客だ。そんな良客をセレスに取られたと逆恨みする女の子がいるのは当然である。これまでセレスは店の女の子に優しくされていたのは、無害な存在だと認定されていたからこそ。ユーゴに悪気はないかもしれないがその振る舞いのせいで、セレスは肩身の狭い思いを強いられていた。
セレスにだけに熱い眼差しを向けるユーゴは、周りの状況がよく見えていないようだった。クロードのようにバーカウンターでひっそり飲んでくれれば、この客は音楽目当てだと認知され、ライバル認定なんかされないで済む。だが、ユーゴはセレスを間近で見たいがために、女の子を横に侍らせるソファー席を選ぶのだが、横に座った女の子に目もくれずセレスにだけ熱視線を送り続けるのだ。
売り上げ重視の女の子にはそれでも構わない。まともな接客をしないでもそれなりにお金を使ってくれる楽な客だと思われるだけで済む。けれど、ほとんどの女の子にとってはそうではない。自分の見目に自信があり、常に磨いている女の子たちのプライドをどれほど傷つけるのかわかっていないのだ。
「悪い人じゃないんだけどね……セレスを好きなのはよくわかるし真面目だと思うんだけど、もうちょっとセレスの置かれた状況を考えてくれたらいいのにね」
「ほんとほんと。でもまぁ、恋は盲目って言うくらいだし。仕方ないかもだけどね」
呆れたような口ぶりで話す二人を見て、セレスは困り顔をして曖昧に笑うしかなかった。
恋をすると人は愚かになる、と昔の詩人は言っていた。そうであるならば、自分もいつか周りが見えなくなるような恋をするのだろうか。独りよがりの恋に苦しむ日がくるのだろうか。
イリナとイザベルのお喋りを聞きながら、セレスはそんなことをぼんやりと考えていた。
ここまでで書き溜めていた部分が終わりになります。
一話の文字数が多いので、これからは毎日更新は少し難しくなります(目標は三日で一話更新)
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