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十四 再会

 七月。晴天が続き、黄色やオレンジのカラフルな花々が港町ワーリングを華やかに彩る頃、セレスは十七歳の誕生日を迎えた。今日はちょうど店の定休日。セレスはイリナとイザベルに誘われ、海沿いの美味しいシーフードレストランに来ていた。テーブルには次々に美味しい食事が運ばれ、セレスは一口食べるごとにその美味しさに感動していた。もちろん実家の食事も毎晩豪勢だったが、やはり地の物をその地で食す贅沢さは格別であるし、何より、この二ヶ月で打ち解けた姉のような二人の存在が一番の理由かもしれない。


「それにしてもセレスってば少し大人っぽくなったんじゃない? お化粧も上手になったし、今日のそのワンピースにも似合っているわ!」

「ふふっ、ぜんぶイザベルのおかげだわ」


 今日は新調したパステルイエローの初夏らしいワンピースを選んだ。髪も教えてもらったやり方で、両サイドを編み込みにして低い位置でシニョンにして纏め、お化粧も明るい色味であわせている。


「あっ、それ私も思ってた! それにこの前来てたお客さん、ずっと熱い目でセレスのこと見つめていなかった?」


 イリナが白身魚のポワレをごくりと飲み込むと、楽しそうに会話に入ってくる。年頃の女の子たちにとって、色恋の話は大好物だ。

 

「イリナも気付いていた? あの若い男の子でしょ? 仕事終わりにミーシャに聞いたんだけど、あの客、ダニエル・トレトンの息子らしいわよ」

「トレトン商会の? やだ、お金持ちじゃない! 見た目もまぁまぁ良かったわよね」

「そうね。まぁ、私にはちょっと若すぎるけど、店に慣れていない初々しさがかわいかったわね。仕事を継ぐために、この前は父親に連れられてお得意様との会合だったらしいわ」

「次期社長かぁ! いいなぁ! ……ってセレス全然興味なさそうね! もぐもぐ食べてる場合じゃないわよ」


 オマール海老のグラタンに夢中になっていたセレスは目をぱちくりさせる。


「セレスってばかわいいのにほんと男っ気がないわねぇ。どうなの? あのヴァネル先生が恋をした方が伸びるって言ったんでしょう? トレトンの息子が相手じゃダメなの? まだ男性が怖い?」


 イザベルが憂わしげな表情で問いかけてくる。まだ出会って二ヶ月足らずだが、二人のことを信用していたセレスはこれまでのことを包み隠さず打ち明けていた。


「うーん……もう前みたいに怖くはない……かな」

「良かった! じゃあ前向きに考えてみてもいいんじゃない?」 

「たしかに見られているなぁ……とは思ったけれど、あれは好意をもたれていたの?」

「えっ、あの熱視線を受けてもそんな感想なんだ……鈍いのか、経験不足なのか……あれは間違いなく一目惚れだと思うけど。きっと近々また来るわよ」

「そうかしら?」 

「えぇ、間違いなく。私はトレトンの息子、ありだと思うけどなぁ」


 その男性の顔を必死に思い出そうとするけれど、セレスには朧げな記憶しか残っていない。何度か目は合ったとは思うが、正直、ぼんやりとした印象しかないのだ。茶髪だった気もするし、金髪だった気もする。青い目だったような、黒い目だったような。

 イリナは「せっかくお金持ちなのに……」と残念そうに呟いている。


「お相手のこと何も知らないのに、お付き合いなんてできないわ。それにいつかは家に戻って両親の選んだ人と結婚するのよ。それまで清い身でいなくちゃ」

「「えぇっ!?」」


 ごく当たり前のことを言ったつもりなのに、イリナとイザベルはまるで新種の生き物でも発見したように目を見開き、ひどく狼狽している。


「えっ? 何かわたしおかしなこと言ったかしら?」

「そうかぁ……そうよね。セレスは貴族だものね……その価値観の中で育ってきたら恋なんて難しいわよね」

「あのね、セレス。驚かないで聞いてね。平民の中にも宗教や強い信念から、結婚してから処女を捧げる人もいるわ。けどね、ほとんどの平民はそうじゃないの。とりあえず付き合ってみて、好きになれる可能性があるのか探ってみたりするものよ」

「……!! そう……なの……!?」


 あまりの価値観の違いにセレスは絶句した。自分が受けてきた教育では、結婚初夜に旦那様になる人に全てを捧げるように言われて育ってきた。そんな、とりあえず付き合おうだなんて考えたこともない。


「それはお相手に不誠実ではないの?」

「それはお互いのためだもの。色々な男性と出会って、本当に好きになった相手と結婚する方がいいんじゃないかしら? 貴族みたいに好きでもない相手と結婚する方が愛に対して不誠実な気がするけど」

「言われてみれば……確かにそうね」


 貴族の世界では夫も妻も、外に相手がいることは当たり前で、度が過ぎなければ咎められることも少ない。結婚するまではいくら貞淑を装っても、結婚後に節操のない生活をするのならその方がよっぽど不誠実だ。セレスの両親が不倫をしない少数派だったせいか、なぜか自分もそうなれると思いこんでいた。

 

「それにあっちの相性の問題もあるじゃない? 結婚してから相性が合わなかったなんて悲劇よ」

「あっちの相性って?」

「…………」


 今度は二人が絶句する番だった。目の前にいる十七歳とは思えないほど、無知で無垢な存在に頭がくらくらする。だが、この穢れを知らない少女にもはや「とりあえず付き合え」なんて軽々しく言えないし言いたくなかった。


「セレス、あなたにはまだ早い話だったわ。これからゆっくり教えてあげるから、どうかあなたはそのままでいてね」

「そうね。無理に人を好きになる必要もないし、両親の選んだ結婚相手に全てを捧げる必要もないと思うわ。貴族が処女性を大切にするって言っても、そんなものいくらでも偽装できるわよ。だから本当に好きな人に巡り合えたときに、セレスの全てを捧げるべきだわ」


 さらっとイリナがとんでもないことを言ってのける。セレスはこれまでの価値観がぐらぐらと揺らつき、目を真ん丸にして驚いているというのに、その横でイザベルも「たしかにそうよね」と当たり前のように頷いている。

 十七歳の誕生日に、セレスは自分の知らない大人の世界を垣間見たのだった。


 ◇ ◇ ◇


 翌日、いつも通りお店に向かい、練習とアンサンブルの打ち合わせを終えたセレスは、いつもと違う雰囲気のドレスを手に取っていた。ブラックのサテン生地のワンショルダードレス。スレンダーなシルエットだが、胸元に重ねられたシフォンが右肩にかけ丁寧にタックが寄せられていることで、小さな胸は目立たず胸元を美しく見せている。

 昨日、イリナとイザベルからプレゼントされたシルバーの髪飾りに合わせて、少し大人っぽいドレスに挑戦してみたくなったのだ。


(ちょっと大人っぽすぎるかしら……でももう十七歳になったんだし! こういったドレスもたまにはいいわよね)


 いつもより少し濃い目のリップに目尻からちょっぴり跳ねさせたアイライン。たったそれだけのことで、これまでの印象とがらりと変わる。


「ちょっと、セレス! 急に大人っぽくなっちゃって。もんのすごく似合ってる! そういう感じも新鮮で素敵よ」

「わぁ! まるで子猫ちゃんじゃない! 昨日の髪飾り早速使ってくれたのね。嬉しいっ!」


 イリナとイザベルの他に、店の女の子たちもセレスを取り囲み、キャアキャアと口々に誉めそやす。

 良客と売り上げを競い合う店の女の子同士は正直仲が良いわけではない。どれだけライバルが美しく着飾ろうとも誰も褒めるなんてしやしない。けれど、演奏者は女の子たちにとって敵ではなく、とりわけセレスはまだまだ幼いせいか、みんな優しいお姉さんのように接してくれていた。


「おーい。何してるんだ? 早く所定の位置につけー。オープンの時間だぞ」

「はぁー-い」


 マルクが大きな声をあげ注意すると、女の子たちは接客用の猫なで声で返事をしながら扉の前に立ち並び、セレスたちはステージに立つと急いで演奏を始めた。

 一通り客が席に着き、店が落ち着いた頃、静かに一人の客が入店してきた。スタッフが声をかけるとソファー席ではなく奥のバーカウンターへ案内されていく。ナイトクラブ・リラは基本的には女の子とお酒を楽しむお店だが、音楽とお酒を楽しむ用途として使っても問題ない。ただそんな客なんてほとんどおらず、バーカウンターを使っているのはオーナーのマルクくらいなものだが。

 セレスは案内されるその男を見て、すぐにそれが誰だかわかった。


(あっ、クロードさんだわ! ふふっ、全然変わっていない)


 ちらっとステージに顔を向けたクロードはセレスを目に収めると口元を少し上げた。白いシャツにベージュのリネンで作られたサマージャケットは見るからに仕立てが良く、長身の身体によく似合っているのに、いつも通りのうっとおしい前髪に黒縁眼鏡が全てを台無しにしてしまっている。けれど、そのいつもと変わらない姿に、セレスは安らぎと癒やしを感じていた。


(あの髪型も眼鏡も、見慣れてくるとなんだかかわいらしいものね)


 身内贔屓が過ぎる評価をしている自覚もなく、セレスはバーカウンターに座ったクロードを見て僅かに微笑んだ。なんだか胸が温かい。クロードもまた琥珀色の蒸留酒をロックで飲みながら、まっすぐにセレスを見つめ、演奏に耳を傾けている。


「ねぇ、セレス! さっきの演奏どうしたの? ……ってどこ行くのー?」

「イリナごめん、ちょっとわたし行くところあるから、また後でね!」


 アンサンブルが終わりイザベルのピアノ独奏の時間。控室に戻ったセレスとイリナであったが、セレスはバイオリンを置くとイリナの質問に答える時間も惜しむように控室を飛び出して行った。向かう先はもちろんクロードのところだ。


「クロードさん! お久しぶりです! いつワーリングに来られたんですか?」


 急いで駆け付けたせいか僅かに息が上がっているセレスを見たクロードは眩しいものを見るように目を細めた。けれど長い前髪が邪魔をして、その優しげな表情がセレスに見えることはない。

 

「ははっ、久しぶりだね、セレス。演奏素晴らしかったよ。ワーリングには昨日来たんだ」

「そうだったんですね。お元気そうで良かったです」


 セレスも元気そうで良かった、と微笑んだクロードはバーテンダーに声をかけ、セレス用にオレンジジュースを追加で注文する。


「順調そうだね。それにしても今夜はとても大人っぽい恰好をしているんだな」

「……おかしいでしょうか?」

「いや、とてもよく似合っている。それは十七歳になったから?」

「えっ?」

「はい、これ。一日遅れだけど誕生日おめでとう」


 隣の座席に置いていたらしい小さな花束を手に取ったクロードは、気取った感じも気負った感じもなく、さらりとセレスに花束を渡した。


「わぁ、綺麗! ありがとうございます! ……あれ? わたしクロードさんに誕生日お伝えしていましたっけ?」

「うん? あぁ……あれだ、セレスが酒に酔ったときに。覚えていないだろうけど」

「そうだったんですね。記憶がなくて恥ずかしいです……でも本当に綺麗。ブルースターとかすみ草ですね。ふふっ、どちらも大好きな花です」


(もしかしてわたしのことを想像して選んでくれたのかしら? 女心を心得ているタイプに見えないけれど……)


「花屋でね、ブルースターを見た瞬間、これだって思ったんだ。セレスの瞳と同じ色だからね」


(えっ? やっぱりそれが理由なのね! 見かけによらず意外と器用な人なのかも)


「ありがとうございます。以前にもそう言ってブルースターを贈られたことがあったんです。それからこの花が大好きになりました」

「……それは男?」


 胸元に抱えた花束をじっと見ていたセレスだが、僅かに声が低くなったクロードの声に驚き顔を上げると、おかしそうに笑った。


「男……ふふっ、男といえば男です。わたし、三歳年下の弟がいるんですけど、今はもう反抗期で絶対に花なんて贈ってくれないですが、幼い頃に一度だけ『姉さまのお目目の色見つけたよ』って言って」


 懐かしい日のことを思い出したセレスは、幸せそうに笑う。


「なんだ……弟か……」

「花なんて、家族からしかもらったことありません。家族以外で贈ってくださったのはクロードさんが初めてです」

「それは光栄だな」

「わたしなんかに贈るもの好きな男性なんていないですよ」

「そうとは思えないが……」


 そう言ってステージ前のソファーに視線をうつしたクロードを追うと、そこのいたのは昨夜話題に上がっていたトレトン商会の息子だった。横に座る女の子と会話をしながらも、ちらっちらっとこちらを気にして窺っているのがまるわかりだ。ちなみに髪は薄茶で瞳はこげ茶色。昨夜辿った朧げな記憶はことごとく間違っていた。


「あー、そうですね。世界は広いので、もの好きな男性は一人くらいはいるかもしれませんね」

「もの好きというより、見る目があるんだろう。セレスはかわいいから」

「えっ?」


 くくっと悪戯そうに笑ったクロードは、視線を男からセレスに戻すと、カランッとロックグラスをまわし一口酒を口に含んだ。


「もう! そういうのに慣れていない女性をからかうのは良くないですよ」


 悲しいくらいに男性と接点の少なかったセレスは、たかだか「かわいい」という言葉ひとつを消化するだけの耐性さえ持っていない。

 耳をほんのり赤くさせ、照れ隠しのようにオレンジジュースをグイッと飲みこむと、横から「本心なんだけどな」と聞こえてきて、セレスはたまらず大きく咽せ返ると、今度は耳は真っ赤に染めてしまう。


「……クロードさんってそんなこと言うタイプだったんですね」

「嫌いになった?」

「いえ、まさか。ただイメージと違って驚いただけです」

「くくっ、そろそろ本気出そうかと思って」

「えっ?」

「まぁ、そんなことよりセレスはあの青年どう思ってる? もう好きになっちゃった?」


 おそらく上目遣いだろう角度に顔を傾けたクロードは、冗談めかして、けれどどことなく冷たさを感じさせる声色で問いかけた。


「いえ……彼のことは何も知らないですし、それにわたしは男性を好きになったことがないので、正直よくわからないんです」

「そっか」

「クロードさんは気になる方とかいらっしゃらないんですか?」

「俺? 俺は……気になる子がいる……っていうか実は結婚を申し込んだんだけど逃げられてね」

「えっ、クロードさんみたいに親切で優しい方をふるなんて、その女性見る目ないです! もっと他の女性に目を向けてもいいと思いますよ」


 クロードはなんとも言えない苦々しい顔で笑った。酒を飲もうとグラスに口をつけると中は既に空になっていて、グラスを軽く持ち上げる仕草でもう一杯おかわりを頼む。バーカウンターに右肘をつき頬杖をついたクロードは目を細めてセレスを見つめた。


「でも……俺、結構執念深いんだ。その子以外考えられなくて」


 陰鬱な前髪、黒縁眼鏡。世間一般ではダサ男に分類されてしまうような男性のはずなのに、どうしてかクロードからは色気がダダ漏れていて、セレスは思わず息を呑んだ。なにか目に見えぬ罠に捕らわれたかのような感覚に、茫然とクロードを見つめてしまう。

 そんな言葉を失っているセレスの元に、スタッフが物音を立てずに近づき、「まもなく出番です」と声がかかる。そこでようやくセレスは夢から覚めたように平静を取り戻した。


「あ、あの、わたしもうすぐ出番なんで、良かったら見て行ってください。お時間があるなら最後にもう一度アンサンブルもありますので」


 そう告げるとセレスは逃げるようにして控室に戻って行った。その後の演奏が素晴らしい出来だったのは言うまでもない。

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