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04





 結論から述べると、私はマリアベラ様のお付きになった。


 当人ではないので予想になるけれど、天才魔法使いの孤独は、たぶんカインたちとの旅を経ても特に解消はされなかったのだ。

 もうちょっと突っ込んで予想をする――した、というべきか。この予想はヴィオレッタ様から旅の話を聞いたときに考えていたことだ。


 なんというか、旅の途中で孤独が薄まり、旅の終わり際にはもっとずっと深まったのだと思う。


 だって、同じ目的を持った男女複数が同じ日々を生き、同じように苦労して、同じように成功を重ねていったのだ。それでなにも感じないのは、さすがに嘘だ。仮にそれでなにも感じないのだったら、最初から孤独だって感じていない。


 そしてカインたちの旅の後半は、とても順風満帆とは言えないものだった。


 大陸を渡ったところから苦労が始まり、ディーノ様を失った。ほとんど補給なしでの強行軍。そんな中で女冒険者イザベラが逃げた。それでもカインたちは魔王を殺すことを選んだ。どういう気持ちや考えだったのかは知りようもないが、とにかく実行した。女神官ジータ様は片腕を失い、マリアベラ様は魔力を失い、カインとヴィオレッタ様は疲弊はしたけど、たぶんなにも失わず……。


 とんでもない喪失感を覚えているだろう。

 私はそう考えたし、だからその弱味につけ込んだと言える。


 勇者の幼馴染だった女の子は、帰還した勇者と結婚なんかできず、その勇者ときたら姫騎士様と結婚するんですって。

 私もそれなりに、可哀想じゃない?

 そういうことだ。


 マリアベラ様は私を専属のメイドとして雇い、まるで乳母に甘える赤子みたいに私に引っ付いて離れなかった。

 例えば食事のときは私を同じテーブルに座らせ一緒に食べることを望んだし、食後のお茶だって一緒に飲みたがった。メイドなのだから普通は後ろに立たせて当然なのだが、「そうしたら、後でアーシェが食べるとき、私が暇だから」なんて言って、メイド服の裾をぎゅっと握ってきた。


 正直、とんでもなく可愛かった。


 傷つき、損なわれ、失った女の子に対して抱くような感情ではないのは判っていても――子猫みたいにこちらを見上げてくるマリアベラ様を可愛らしいと思うのは、もはや仕方のないことだった。


 もちろん私だって相応の努力はした。

 最初が肝心だ、とマリアベラ様の要求をなんでもかんでも叶えようとしたし、メイドとしての仕事も疎かにはしなかった。まあ、屋敷の采配に関しては王家が雇った家令が行っていたし、私自身の仕事はマリアベラ様の専属であることが最優先されたので、雑務なんかはほとんどなかったのだけど、それはさておき。


 客観的に見て、マリアベラ・オデッセに必要なのは、十分な愛情だった。


 オデッセ家が彼女を持て余したのは知っての通りだし、カインたちも仲間としての友情はあれど、愛を注ぐような関係性ではなかった。英雄として帰還したマリアベラ様を待っていたのは、称賛や厚意ではなく、やはり『持て余し』だ。

 魔力を失った英雄。

 有用な駒であることは間違いないが、利用するには使い難いし、王家が匿ってしまった以上、使い捨てることも難しい。結局、彼女と接触しようとした人物は私以外にいなかっただけのことだ。


 誰一人としてマリアベラ様を労ろうなんて思っていなかった。

 だから差し伸べた手を掴んでくれるだろうと考えた。


 子猫みたいに甘えてくるとは思ってなかったが。

 例えばそれは、こんなふうに――。


「アーシェ。今日は日向ぼっこをしたい。しよう」


 朝食を済ませてからマリアベラ様を着替えさせ、今日はいかがなさいますかと訊ねれば、そんな答えが返ってきた。

 まあ、森の傍にあるこの屋敷でやれることなんて、ちょっとした散歩か、蔵書を読むか、庭でのんびりするくらいしかないのだけど、今日はそういう気分なのだろう。もちろん私はにっこり笑って頷いた。


「承知しました。それでは料理人に用意をさせて来ますので、マリアベラ様は日向ぼっこ用の本を選ぶか、私に聞かせる話を考えていただけますか?」


「判った。今日はカインの話をしようと思う」


「カインの、ですか?」


「そう。実は旅の途中、アーシェのことを何回か聞く機会があった。そういうのも含めて、話しておきたいと思う」


 言葉だけ聞くとなにか重大な話題のようだが、その科白を口にするマリアベラ様の表情はぽけっとしている。最初にこの屋敷で会ったときは薄ぼんやりしていたような感じだったけれど、今はそれこそ日向で寝転がる子猫みたい。


 たっぷり愛情を注いでいるので。


 ともあれ、調理場へ向かって料理人に弁当を作らせ、他の使用人に飲み物の手配を任せ、部屋に戻ってマリアベラ様に手を引かれ、庭へ出る。


 きっちりと刈り込まれた芝生がかなりの面積に渡って広がっており、ほんの少しだけ小高くなっている場所に私たちは腰を下ろした。


「カインはアーシェのことを気にしてるみたいだった」


 私にもたれかかるようにして、何度かもぞもぞと身体を動かしてから定位置を決めたマリアベラ様は、前置きもなにもなく、いきなり言う。


「えっと……それは、どのくらい気にしていたのですか?」


 あいつがずっと私のことを気にしていたとは思えない……いや、単に思っていなかっただけか。なにしろ私の方がカインを気にしていなかったので。


「なんか、最初のうちはことあるごとに『あいつだったら』みたいなことを言ってたと思う。ディーノがなんか文句を言ってた気がするけど、それはちょっと覚えていない。でも、とにかく、しばらくは気にしてた」


「ヴィオレッタ様と合流してからも、ですか?」


「そうだね。しばらくは、そうだったと思う。頻度は減ったけど、たまにアーシェのことを話してた。自分より頭が良くて、要領も良くて、するべきことを選ぶのが上手いって言ってた。たぶん、尊敬してるんだと思う」


「カインが? へぇ……全然知りませんでした」


 村で一緒に育って、一緒に生きて、たぶんずっと一緒だと思っていたから、カインについて私から特に思うことはない。そりゃ、それなりに顔が整っているとか、性格が悪くないとかは感じていたけど、なんというか……当たり前のものに、いちいち感慨なんて覚えないじゃない?


「ヴィオレッタがカインに恋をし始めたのは、きっとアーシェに嫉妬したから」


「なんですかそれ」


 怖い。

 人の知らない場所で嫉妬しないで欲しい。


「あの女は他人に嫉妬することなんか、なかったんだと思う。カインはヴィオレッタが合流した頃にはもうかなり強くなってたから、あの女は結構意識してて、妙に絡んだりしてた」


 そうして一方的に姫騎士が勇者へぶつかり、いつしか二人の間には情が生まれ、嫉妬を種に恋の花が咲き、苦境を越えて愛を育んだ。そんな感じだろうか。


「でも、ジータは可哀想だった」


「神官様が、ですか? もしかしてカインに……?」


「ん。違う。ジータとねんごろだったのはイザベラ」


「あー……」


 淡々と答えるマリアベラ様に、間抜けな声を返してしまう。

 そういえば神官ジータ様は男性不信で、女冒険者イザベラにはそっちの気があるのだっけ。同じ時間を共有し、なにかが生まれたとしてもおかしくはない。


「野営のときとか、発情した馬みたいにうるさかった」


「あー……」


 生まれたのは愛欲の方だったらしい。

 別に、どうでもいいけれど。


「だけどディーノが死んで、私たちがギリギリになったとき、イザベラはあっさり逃げた。結構、見てられなかったよ」


 身体を許した相手がいきなり逃げたのだから、心中察するものがある。そんな相手に身体を許したのだ、とも言えてしまうのだし。


「正直、もう無理だと思ってた。旅で肝心な役割を負ってたのは間違いなくディーノとイザベラだったし。私もジータも、旅の事務的なこととか、全然できないもの。カインはちょっとずつ覚えてたけど、それでも、十分じゃなかった」


 名前の挙がらなかった姫騎士様は、言うまでもないだろう。

 貴族との遣り取りはむしろ得意だろうが、旅の手配なんかは不得意中の不得意ではないか。会話をしたのは数えるほどだけど、王族って感じだったもの。


「一番役に立たなかったヴィオレッタが、旅を続けるって言い出して、カインも頷いた。ディーノの死を無駄にはできない、とか言って。ジータも同意しちゃった。あれ、間違いなく自棄になってたと思う」


 怖かったもん、とマリアベラ様は私の腕をぎゅっと掴んだ。


 そっかぁ……自棄っぱちで突っ込んだせいで片腕を失くしたのか……。やっぱりジータ様のところに行かなくて正解。

 彼女の場合は腕こそ失ったけど力は失ってないので、そもそも就職は望めそうになかったのだけど。


「私は、死にたくなかった。そんなふうに思ったことはなかったけど、普通に考えたら死ぬだろうなって思って、死なない可能性が低いことも判って、それで、すごく死にたくなくなった。生きていたいんじゃなくて、死にたくない、って」


 誰でもそんなものだろう、と思ったけど言わなかった。

 私は死を前にしたことなんてないし、仮にあったとしてもマリアベラ様のそれは彼女だけの経験だから、理解も共感もするべきでないような気がした。

 黙って頷くだけ。


「全部の魔力を使って、魔王を動けなくして……それで、カインとヴィオレッタが死にものぐるいで魔王を殺した。戦場の新兵みたいな恐慌状態だったよ。戦場のこと、知らないけど、たぶんね」


「後悔しているのですか?」


「ちょっと前まではしてた。今は、いいかなって思ってる」


 言って、マリアベラ様はふにゃりと微笑む。

 穏やかな陽射しの中、整えられた芝生の真ん中で、生まれて初めて呼吸をしたことが嬉しい、みたいな顔をして。


 どきどきしてしまう。

 意思とは関係なく跳ねる鼓動に、私は苦笑を噛み殺した。



◇◇◇



 変わらない毎日がずっと続くことを、以前は疑っていなかった。


 信じていた、なんて思うことすらなく、それは信も不信も挟まる余地がないものだったからだ。平凡な農村の、たまたま同い年に生まれた私とカインが当たり前に育って、当たり前に結婚して、子を生み、畑を耕して家畜の世話をする……。


 現実はそうじゃなかった。

 いつだって変化は向こうの方から唐突にやって来て、昨日の続きを断ち切ってしまうのだ。そのことを私は別に憎んだりしていない。天災みたいなものだ。大雨だとか、突風だとか、あるいは日照りだとか。


 この世界に自分たち以外がどうしようもなく存在している以上、いつかどこかで誰かが介入する。

 絶対ではないけれど、その可能性はいつだって否定できない。


 だから、ある日ヴィオレッタ様が屋敷を訪ねて来ても、私は驚かなかった。

 むしろさっさと来て欲しかったとすら思っていた。


「カインとの結婚式を挙げることになったのだが、来てくれるだろうか?」


 来客用の部屋へヴィオレッタ様を通し、マリアベラ様の分と合わせて紅茶を提供したところで退室しようとしたら、そんな発言が飛び出た。

 別に、意外じゃない。

 二人は結婚する予定だったし、結婚式を挙げるのも当然だ。


 私は一瞬だけ止めた動作を再開し、さっと会釈をして部屋を去ろうとしたが、その私のメイド服の裾をマリアベラ様が引っ張った。


「アーシェもいて。同席を許可しないなら、話を聞く気はない」


 二人でいるときはまず出さない硬い声音。

 対面に座っているヴィオレッタ様はやや怯んだようにマリアベラ様と私を交互に見てから、わずかに間を置いて頷いた。


「……ああ、そうだな。アーシェが聞いていたところで不都合などあるはずもない。カインの幼馴染なのだからな」


「私に結婚式に来て欲しいの? それとも、アーシェに?」


「マリアベラだ。魔王討伐の仲間だろう。すまんがアーシェを結婚式に呼ぶ理由はない。呼べばややこしいことになるだろうからな……」


 言っていることの意味は判る。

 私は『勇者の幼馴染』で、それ以上ではない。貴族たちからすれば、さぞや扱いやすい駒に見えるだろう。その政治的ごたごたに巻き込まれないためにも私はマリアベラ様の専属として雇ってもらったのだ。

 側にいる限りはマリアベラ様の手元からさらっていくような輩はいないだろうけれど、ちょっと離れてしまえば、もう判らない。


 気遣いだ。

 そのはずなのに、ヴィオレッタ様の表情は浮かない。

 というより――はっきりと気まずそうだ。

 王族としての教育を受けた人間が浮かべるような表情ではない。


「じゃあ私は行かない」


 ぽんっ、とそこらの小石を蹴飛ばすような軽さでマリアベラ様は言う。

 ヴィオレッタ様は苦々しげに頷くだけ。


「ねえ、姫騎士様? そっちの都合で私を呼びたい気持ちは判らなくもないけど、私を呼んだって仕方ないってことも、判ってるはずだよね? 魔法の使えない魔法使い。宮廷魔術師の職だって失ってる。そんなの呼んで、どうするの?」


「……実はその話もある」


「なんだ、そっちが本題? じゃあ結婚式は欠席。それでいいよね? それとも――ねぇ、アーシェはカインと話すことはないの? また会って、幼馴染の男の子と話をしたいって思わないの?」


 急に話題の矛先がこちらへ向いた。

 が、私としてはなにもやましいところがないので、首を横に振るだけだ。


「わざわざ苦労してまで会う必要性は感じておりません。五体満足のようですし、私からなにか言うこともありませんので」


 本音だった。

 正直、そんなにカインと会いたいわけじゃない。


 そりゃあ道端でばったり会ったら世間話くらいするだろうし、あれこれ話すことも出てくるかも知れない。けれど、そのために会いたいかと言われれば「別に」と答えるしかない。本当にそんな感じなのだ。


 あの日まで続いていた毎日は、途切れたのだ。

 代わり映えのない続きなんて……ない。


「……マリアベラの今後について、色々と話が出ている」


 気まずそうな表情のままでヴィオレッタ様は話を戻す。

 要約すれば、魔王退治の英雄であり魔力を失った魔法使いをどう扱うべきか、王家や貴族たちの間であれこれ協議……というか、内々で話し合っているそうな。


 今は王家が用意した屋敷で療養中、そんな扱いだが、このまま生涯療養しているわけにもいかない。

 もちろん魔力を失っている以上、宮廷魔術師に戻るわけにもいかないし、マリアベラ様の実家であるオデッセ家では彼女を持て余す。

 かといって、それではどういう落とし所がいいのかと言えば……派閥などもあり、内々のうちから既に意見が分かれに分かれているとのこと。


「実際のところ『これ』という案がない。マリアベラには悪いが、おまえの扱いに困っているのが実情だ。いっそ私とカインで保護しようかとも思ったが――」


「魔王討伐の仲間で固まるのは、良くないでしょ」


 そっけない回答に、姫騎士様も苦笑気味に頷く。


「力もない、権限もない、もはや義務すらない。だが名声はある。マリアベラ、おまえ自身はどう考えている?」


「さぁ? どっかに引っ込んで、のんびり暮らせればそれでいいよ。それが許されるくらいのことは、したでしょ」


 そう、マリアベラ様がその魔力を全て注ぎ込んで魔王の力を弱めなければ、勇者の剣が届くこともなかったのだ。


「しかし、な……」


「ねえ、ねえ、アーシェはどう思う?」


 なんて、いつもの二人で話すときみたいに、マリアベラ様は私へ振り返ってそんなことを言った。こういうとき、いつだって彼女は真面目な回答を求めている。いいかげんなごまかしは、しない……したくない。


 私は少し考えてから一度だけ溜息を吐き、言った。


「ペレッリ家を頼るのがいいかと思います」





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