03
カインたち勇者一行は魔王を討ち倒した。
カヴァネリア王国の北端から国を越え、さらに北上して海を越え、魔王の居城がある魔大陸へ渡ったカインたちは、ほとんど一直線に魔王城を目指し、魔王だけを殺して逃げてきた、とのこと。
いや、まあ、それはそうだろう。
魔王がどんな存在なのかは私みたいな一般メイドでは預かり知らぬことではあるけれど、王城があるような場所の主を殺して帰って来いなんて、考えてみれば無茶苦茶な話だ。近場の山の大きな魔物を倒すのとはわけがちがう。
しかしカインたちはやり遂げた。
が、損失なしというわけにはいかなかった。
王国を出るか出ないかのあたりで姫騎士ヴィオレッタ様と合流したカインたちは、旅路の途中にいたりあったりする魔王配下の拠点を潰したり、なんか強い魔族を倒したりしながら北上を続けた。
大陸を渡るまで、勇者カイン、騎士ディーノ様、神官ジータ様、女冒険者イザベラ、魔法使いマリアベラ様、姫騎士ヴィオレッタ様――この六名は健在だった。激戦はくぐり抜けたけれど、大きな怪我もなく、船を入手して海を渡るところまでは順調だった。ここまでの時点で、もう十分に奇跡は使っていたのだ。
魔王の大陸に渡ると、当然ながら人間の街なんかほとんどなかった。あったとしても魔族の管理下にあったり、難民のスラムみたいになっていたり、とてもまともな社会が形成されている感じじゃなかったらしい。
ここからカインたちは補給なしで戦うことになる。
話によると、ディーノ様が相当に頑張ったらしい。そしてディーノ様は頑張りすぎてしまった。大陸に渡ってから、魔王の住処に見当をつけるのも一苦労で、それでもどうにか情報を集め、城へ向かい、当然ながら手強い魔族との戦いが続くことになる。誰もが疲労を抱えており、ディーノ様のそれは他の面々よりもおそらくはかなり重かった。
そして、そんな状態で戦い抜くことができるほど、甘くなかった。
ディーノ様は死んだ。
魔族の幹部みたいなやつとの戦いで。
そこからは半ば決死隊になった。
補給も望めず、魔王退治が長期化すればするほどジリ貧になるのは明白。なのでカインたちは一直線に魔王城を目指した。
途中で女冒険者イザベラが逃げ出し、魔王城に辿り着く直前で神官ジータ様は右腕を欠損し、それでも本当にまっすぐ魔王の元まで無理矢理に辿り着き、勇者の剣が魔王を貫いた……のであればまだ良かったのだけど、ぶっちゃけ全然通用せず、魔法使いマリアベラ様が全ての魔力と引き換えに魔王を弱体化させたところを、カインと姫騎士ヴィオレッタ様が滅多刺しにして魔王を殺した。
で、一目散に逃げ出した。
魔族や魔物たちがどうなったのかは知らない――。
と、カインたちの魔王退治についてわざわざ私に詳しく話してくれたのは、姫騎士ヴィオレッタ様だった。
カインたちが王城へ帰還して、翌々日のことだった。
いつものようにせっせと噂話を集めようとしていた私の元へやって来たヴィオレッタ様が「話がある」と言い、第三王女であらせられる彼女の私室まで連れて行かれて、二人きりで話が始まったのだった。
ちなみに、お茶は私がいれた。
メイドとしては結構デキる方なので。
「大陸の南端で船が待っていてくれたのは、僥倖だった。上陸してすぐの位置にあった町を魔族から開放したのが結果的には正解だったな。あれはディーノが強硬に主張したのだったが……あいつは、いつも我々のことを考えていた」
ふっ、と笑ってカップをテーブルへ置くヴィオレッタ様は、一度見たあのときとは随分と様変わりしていた。
初対面のときはあんなにも自信たっぷりに見えたのに、今ではガキ大将の座を実力で奪われたやんちゃ坊主みたいに哀しげだ。
目の下に濃い隈が浮いたままで、全く元気ではなさそうだった。燃えるような赤い髪も、心なしかくすんで見える。
ようするに、彼女は憔悴していた。
話を聞き終えた今となってはヴィオレッタ様の憔悴も十分に理解できる。疲れていないわけがない。しかしイマイチ理解できないのは、どうしていろんな偉い人よりも先に――本当に偉い人に対してはとっくに話を済ませただろうが――私、『勇者の幼馴染』であるアーシェへこんな話をしたのか、ということだ。
いや、『理解できない』は嘘になるか。
予想くらいはできている。
答え合わせをしなきゃいけないだけだ。
「ヴィオレッタ様。どうしてそのような話を、貴女様が私に直接したのですか? 私のようなただのメイドに知らせねばならない話ではないはずですが」
わずかに首を傾げて問うてみれば、姫騎士の疲れ切った相貌に苦味のようなものが浮かんだ。いかにも気まずそうで、気が進まなそうで、しかしそれでも……みたいな、そんな表情。
「私は、カインと結婚することになる」
ヴィオレッタ様は言った。
私は特になにも答えず、黙ったまま続きを待つ。
「最初は、勇者だかなんだか知らないが、どっかの村で育ったような男だと見下していた。しかし私が旅に合流した時点で、やつはもう立派な戦士で、立派な勇者だった。当初は認めなかったがな」
やばい、話が長くなりそうだ。
私は黙るのを止め、不敬を知りつつ口を挟む。
「つまり、一緒に旅をして一緒に戦っているうちに、ヴィオレッタ様はカインを好きになったということですか?」
「うっ……まあ、そうだ。そういうことになる」
「こうしてわざわざ私に話をしに来たのは、筋を通すため――でしょうか。元はカインの婚約者であった私に対して」
「……そうだ。既にやつと私は想い合っている。おまえには悪いと思うが、私にはカインが必要だ。この国にとってもな」
譲らない。
口調も表情も雰囲気も、その一点を主張している。先程まで見えていた憔悴も、今この瞬間だけは、影を潜めていた。
「わざわざこうして私に伝えずとも、ヴィオレッタ様とカインがそうするというなら、私としては否も応もありませんのに……」
「カインはずっとおまえを気にしていた」
えっ、そうなの?
思わず驚いてしまったが、そりゃそうか。
カインの人生は村を出る前と出た後で区切られており、その前半にはずっと私が存在していたのだ。カインはそういうのを放り捨てる類の人間じゃない。
えー。でも、気にしてたんだ。
気にしてるだろうって考えてなかったので、素直に意外だ。
これは私が間抜けと言うべきか。
「あー……っと、そのカインは、どうしているのですか?」
「『上』の連中に捕まってるよ。もちろん罪人としてではなく、な。しばらくは私以上に忙しいだろうから、たぶん、会うことは出来ない」
「なるほど」
と、私は頷いた。
であれば――さて、どうしようか。
◇◇◇
魔王との戦いでその魔力を使い切り、その後遺症なのか魔法が全然使えなくなってしまった魔法使い――マリアベラ・オデッセ様。
彼女は魔王を倒した瞬間から、勇者一行にとっては全くの足手まといであり、そのことを本人も自覚して「置いていけ」と主張したらしい。もちろんというべきか、彼女以外の全員が反対した。
そんなわけで、マリアベラ様は魔法を失った状態で王都へ帰還し、実家のオデッセ家ではなく王家が手配した王都の屋敷に逗留していた。
魔王退治の英雄。
その肩書はオデッセ男爵家では手に余るし、まして当人が魔力を失っている以上、当人の手にも余ってしまう。
言うまでもなく、政治的に、権力闘争の駒として、マリアベラ様は有能な駒である。だから一時的に王家が匿った、というわけだ。
私はその屋敷に来ていた。
姫騎士ヴィオレッタ様に対し、カインとの結婚についてなにも口を出さないし自分からカインに会いに行かない、その代わりにマリアベラ様に逢わせてくれと頼んでみたら、承諾されたのだ。
マリアベラ様は、郊外の森に近い場所にいた。
きちんとした庭師が手を加えているのがすぐに判るきれいな庭、芝生の上に設置されたテーブルに、ひどく小さな女の子が座っている。
初めて逢ったとき――今に至るまで逢うことなんてなかったけれど――マリアベラ様からは、確固とした自我を感じた。
今にして思えば、それは天才であるが故のものだった。
オデッセ男爵家が手に余し、王国の宮廷魔術師たちの中でも抜きん出てしまったマリアベラ様の魔法の才。彼女はそれに縋って立たねばならなかったし、そうしなければ生きていけなかったのだ。まあ、たぶん。
そして今では、それは失われてしまった。
特徴的だったとんがり帽子もしておらず、魔女らしいローブも着ていない。わずかにくすんだ空の色をした髪はぼさぼさに伸ばしっぱなしで、誰かに用意されたのであろう貴族の子女らしいかっちりした服は、いいかげんに着崩されている。
テーブルの上には茶器が置かれているけれど、どう見ても冷え切っていた。
「マリアベラ様」
と、私は声をかける。
かなり近づいてからそうしたのに、彼女は至近距離に立つ私に初めて気づいたかのように視線を向け、しかしすぐに視線を逸した。
別に、何処かを熱心に見ているわけではない。
中空あたりをぼんやりと眺めているだけ。
私は構わず言葉を続ける。
「覚えておいででしょうか――と言っても、覚えていないと思いますが、私は覚えています。カインを連れ出したあの村で、カインと婚約をしていた村娘がいたのは記憶にありますか? あれが、私です」
アーシェと申します。
言って、メイドとしての会釈をひとつ。
顔を上げてみれば、マリアベラ様は思いっきり目を丸くして私を見ていた。
興味を引くことはできたようだ。
「カインの……幼馴染……?」
「はい、そうです。勝手ではあると存じながら、ヴィオレッタ様にマリアベラ様の居場所を教えていただきました」
「……どうして?」
目を丸くしたまま、華奢な女の子が問いを口にする。
私は可能な限りきれいに微笑みながら、言う。
「カインに振られてしまったので、行く場所がなくなりました。貴女の傍にいさせて欲しいと思ったのです。私を傍に置きませんか――マリアベラ様」
嘘でもあるし、本当でもある。
厳密に言えばカインと私は話をすることなんてなかったし、そもそも婚約なんか誓約書もなにもない村での口約束にすぎない。カインが勇者として旅立つことが決まったときには、もう彼との結婚なんてさっさと諦めていた。
でも、あの村で一人生きて、カインじゃない誰かと結婚して子を生み、農民として生きていくのは嫌だと思ったのだ。
故郷を嫌っているわけじゃないけれど、あんな場所で暮らしていて、とっても素敵な誰かに出会える可能性なんて限りなく低い。カインと結婚するのは、もうずっと昔から「そうなるんだろうなぁ」と思っていたから抵抗感もなかったし、子供をつくることも別に嫌じゃなかったけれど――別の誰かは、嫌だった。
待つことも、諦めることも、私はしなかった。
何故なら私は恋を信じていないから。