02
王都へ引っ越してから一年ほど経っただろうか。
ペレッリ家でメイドとして活躍していた――自慢のようだけど、かなり真面目に頑張っていたので家令さんにも褒められるくらいになった――私に、当主様から提案がされた。
王城で働かないか、というものだった。
ペレッリ家で働く中、当主様の仕事中に私がお茶を持っていく機会が多くなり、『勇者の幼馴染』として、認知されるようになったそうな。というのも、侯爵様と会話をするような人たちの間で、だ。
となると、俄然活躍中である勇者カインの幼馴染をペレッリ家が抱えているのはあまり良くないのではないか、なんて話も出てきたらしい。そういうわけで、それじゃあ王家で召し抱えれば勇者に対して特定の貴族が良い顔をするってことにもならないし、いいんじゃないか……そんな流れになったそうだ。
正直、予想外だった。
私はそこまで私自身に価値を見出してなかったから。
勇者カインを縛る枷、あるいは後々作用するかも知れない感謝の種、そんなものに成り得るなんてことを私自身が理解していなかった。
が、結果的に良しとしよう。
いずれにせよ否応なしだ。
ペレッリ家のメイドが、王城に務めるメイドになった。
栄転?
なのかどうかは、よく判らないけれど。
私にとって重要なのは、私に入ってくる情報の量と質が増したことだ。
カインたちの動向はペレッリ家で働いていた頃よりも詳細になったし、以前よりも『勇者一行』について知る機会が増えた。
例えば、あの銀髪の女神官様。
ジータ・ロジーナという名の神官は、元は孤児だったという。
神殿に勤めている大神官様が神託を授かり、ジータ様を見出して神官として教育を施したそうだ。噂によると極度に男性不信なところがあり、そのかわり女性に対してはやけに無防備だそうで、あれこれ心配されていたとか。
治癒魔法や聖魔法の才能があり、勇者発見の神託を授かったことからも、勇者の旅に同行するのは当然のような感じだったらしい。
あるいは、あの女冒険者。
イザベラ・フルッチという彼女は、王都の騎士団長を兄に持つ、いうなれば武家に生まれたじゃじゃ馬娘だとか。
女騎士という職業選択もあったのに、わざわざ冒険者登録をして、ほぼ単独で名を上げ、騎士団の依頼を受けることもあったそうだ。冒険者には冒険者の得意分野があり、騎士団には騎士団のそれがある――なので、勇者一行への参加も、冒険者への依頼として受領したらしい。
性格は、奔放無頼。
場合によっては無作法だったり失礼だったり、いろんな形容がされた。
特筆すべきは、そっちの気があるという噂だ。
これには私も驚いたけど、考えてみると騎士団員の中には男色の方が一定数いるようなので、女冒険者の人にそれっぽいのがいても、なんらおかしくない。
もちろん農村ではあり得ないことだ。それは子供が生まれないからという実際的な理由が大きい。子供は労働力だから。
そこを考えなければ、誰と誰がどんな恋愛をしようが構わないはずだ。
愛には理屈なんてない。
理と利が必要なのは、社会の方だ。
私とカインがたぶん結婚できないのも、実利的な理由なのだし。
それから、魔法使いの彼女――マリアベラ・オデッセ。
彼女については、あまり噂がなかった。
というのも、王城に務めるメイドは宮廷魔術師とほぼ関わらないからだ。私自身はペレッリ家に勤めていたときから貴族の相手をする場面が増えていたし、王城に勤めてからもその機会は減らなかったので、皆無とは言わないにしても、彼女がどんな人物かを把握するのは難しかった。
天才的な魔術師であるとは聞いた。でもそれを言うなら勇者の一行はカインを含めて、ある種の天才ばかりなのだろう。だからマリアベラ様があまりの天才ぶりに宮廷魔術師たちの間でも孤立気味だったとか、オデッセ男爵家でもその才能を持て余され、半ば追い出されるように宮廷魔術師になったとか、そういう話を聞いても特に驚きはなかった。
マリアベラ様は才能が故に孤独に生きていて、それでもその才能を育て上げて誰からも一目置かれる存在になった。勇者の旅路に同行することになったのは、派閥に入っていなかったのが大きな理由だろう。
何処だってそんなものだ。
私が生まれ育った農村にだって派閥みたいなものはあったし、ペレッリ侯爵家だって王国内での派閥があり、それを意識して立ち回っていた。
社会は理と利で回っている。
だったら恋や愛を回すのは、一体なんだろう?
そんなことを思った。
◇◇◇
さらに半年ほど時間が流れた。
私はただのメイドとしてはちょっと驚くくらいに出世しているみたいだったけど、よく考えれば『勇者の幼馴染』なので一般メイドとして括るのは卑怯かもしれない。まあ、とにかく仕事や礼儀作法は頑張ったのだ、私は。
その日もちゃんと真面目に仕事をしていて、来客用の部屋を掃除するため、道具を抱えて廊下を歩いていた。
「貴様が『勇者の幼馴染』とかいう女か?」
と、そんな私に、とんでもない美人が声をかけてきた。
燃えるような真っ赤な髪と、宝石みたいな青い瞳、それにメリハリのはっきりした野生動物めいた肢体の持ち主。
彼女が誰かは、私は王城の噂を拾いまくっていたので、察することができた。
カヴァネリア王国の第三王女。
つい先日まで外国へ留学していた、姫騎士ヴィオレッタ・カヴァネリア様。
「ええと……はい。私がアーシェでございますが」
必要以上に謙らないよう、でも決して失礼にならないようにも気をつけながら言葉を返す。貴族というか、偉そうな人って他人の態度にやたら敏感なのだ。
経験上、ヴィオレッタ様みたいな人は平身低頭みたいな態度を嫌う。
「『勇者』の旅について、知っていることはあるか? どうして私が参加していない? この姫騎士ヴィオレッタを魔王退治という名誉ある戦いに参加させなかったのはどうしてだ?」
青い瞳が私を射抜く。
が、いちいち怯えても仕方がない。
「特に知っていることはありません。ヴィオレッタ王女が参加できなかったのは、国外におられたためではないでしょうか」
「ふむ?」
形の良い眉をくいっと上げ、ついでに唇の端を持ち上げるヴィオレッタ王女。なにが気に入ったのかは判らないが、機嫌を損ねずに済んだようだ。
「ふむ、ふむ――なるほどな。貴様が幼馴染、か……。『勇者』に興味が出てきたぞ。本当に魔王を倒せるのかも含めてな……」
クスクスと様になる笑みを漏らし、真っ赤な髪をたなびかせながら、ヴィオレッタ王女はそれ以上はなにも言わず、そのまま歩き去って行った。
はぁ……びっくりした。
思わず胸にぎゅっと抱えていた掃除道具を床に降ろし、私は何度か呼吸を整えてから、仕事に戻った。
姫騎士ヴィオレッタが勇者一行に加わった、という噂話を聞くことになるのは、それから数カ月後のことだ。
◇◇◇
時は流れる。
王城であくせく働く中、どんどん『勇者一行』の噂が少なくなり、途切れていき、五十日も音沙汰がない、なんてことがあった。
それはつまりカインたちの旅が進んでいる証左だ。出発地点から離れていくほどに、彼らの痕跡がこちらに届くまで時間がかかる。魔王に近づけば近づくほど、痕跡を語る者が減っていく。
もしくは、もう全滅したか。
そうであって欲しくはないけど、まともに考えればその可能性に触れないわけにはいかない。そもそも楽観的でいられたなら、私は王都でメイドになんかなっていないのだ。
生まれ故郷の農村で、ただカインを待っていればよかった。
そうして村に戻って来たカインと結婚して農村で二人幸せに平和に暮らしました、なんて未来を私は信じなかったのだ。
ともあれ、生きていて欲しいなぁ、とは思っていた。
でもまあ別に毎日なにかに祈っていたわけではないので、『勇者一行生還』の報を耳にしたとき、自分の祈りが届いたとかそんなことは思わなかった。
思ったことは、ふたつ。
――ああ、良かったなぁ。
――さあ、どうなるだろう。
とにかく、なにがどうなっているかを把握することが大事だった。
なにしろ私は未来を信じてなんかいないし、祈ることもしないので。