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01

 魔王が復活したせいで世界には徐々に暗雲が立ち込めている――なんて話は、辺境の農村には全然届かなかった。ホントに知らなかった。

 だから私たちは生まれたときから続く平凡をその日まで繰り返していたし、その日の朝だって同じような平凡が続くと思っていた。


「よう、アーシェ。今日はどうする?」


 なんて、隣のカインが爽やかに微笑むのを、私はいつもの苦笑で返す。


「今日も明日も父さんの手伝いよ。カインだってそうじゃない。農家の子供が暇なんてこと、あるわけないでしょ」


「判ってるけどさ、毎日ってやつは退屈で仕方ないよ」


 わざとらしく肩をすくめるカインだったけれど、心底からの嫌気は感じなかった。同じような毎日を繰り返して、それが続くことを疑ってもいないからこそ、少年らしい変化に焦がれている……そんなところだろう。

 実際、カインはこんな農村に生まれていなければ、なにかしらで名を立てていたのではないだろうか。


 我が幼馴染ながら、さらさらの黒髪にすらりとした長身は見栄えが良いし、さして鍛えているわけでもないのに力持ちだ。

 それに村長のところで文字を覚えるのも、私の次に早かった。

 私がほとんど覚えられなかった魔法の才能もある。

 農村の若者にしておくには、たぶん惜しいのだろう。


 だけど毎日の繰り返しが、そこに疑問を抱かせなかった。


 将来的には彼と結婚して、子を生んで、また同じような毎日に溶けていく――そのことを私は疑っていなかったし、特に不満も感じていなかった。


 たぶん、カインもそう。

 私は恋をしないまま、カインもたぶん同じように、繰り返しを重ねて生きて、いずれ死ぬ。そのことは、別に嫌じゃない。


 昨日と同じ今日が来ることを、疑ってもいなかったのだ。

 その日が来るまでは。



◇◇◇



 その日、親戚の家に大工道具を借りに行って戻ってみれば、村にはなんだかおかしな雰囲気が漂っていた。

 辺鄙な農村とはいえ、たまには徴税官が来たりもする。魔物の討伐だとかで領騎士がやって来たり、行商人や冒険者がやって来ることもある。


 でも、この日は違った。


 何人かの若い人たちと、その人たちを守るかのように武装した騎士だか兵士だかが、村の入口に集まっていた。


「王都で神託が下り、この村に勇者がいると告げられた! この村の若い男性を集めていただきたい!」


 よく通る大きな声で――怒声、というわけではなく、遠くへ響かせるのに慣れた発声で――騎士の誰かが言った。

 結論から言えば、カインが勇者だった。

 そもそも村の若い男はカインしかいない。


「黒髪に長身……貴方が神託の勇者で間違いないでしょう」


 たおやかに呟いたのは、女性神官のジータ様(彼女たちの名前や立場なんかは、もちろん後で知ったのだけど)。物語に出てくるみたいに綺麗な銀髪と、お人形さんみたいな容姿の持ち主。すんと澄ました顔でカインを見てそんなふうに言ったけれど、カインに興味がありそうな感じはしない。


「今はまだ、その辺の男の子、だね……。でも、神託があったのだから、すぐに頭角を表すことになる……たぶん……」


 あまり大きな声でないのに奇妙に耳へ届く声は、魔法使いのマリアベラ様。絵に書いたような魔法使いのとんがり帽子に、黒いローブを羽織っていて、とても華奢で小さい。帽子の下にあるのは少しくすんだ空色の髪。年齢を感じせない綺麗な小顔で、ずっと年上にも見えるし、同い年くらいにも見えた。


 どくん、と。

 自分の胸が強く跳ねるのを感じて、そこへ手をやる。


 これは――なんだろう?

 これは――きっと、終わりの鐘の音だ。

 繰り返された、これからも続くはずだった毎日の。


「なるほどな。すまないがカインと言ったな、これは王命に等しいので、君に断る権利はないのだ。これから君は魔王退治の勇者として、我々と共に来てもらうことになる。かわりと言ってはなんだが、家族の生活は保証しよう。村にもそれなりの謝礼を出すことになっている」


 冷たいような暖かいような話し方をしたのは、これまた物語で詠われているような金髪の騎士、ディーノ様だった。侯爵家の次男だそうで、ジータ様やマリアベラ様の引率のような役目だったらしい。


「まっ、あんたがホントに勇者だってんなら、道すがら魔物でも退治してりゃ、それなりにはなるだろうさ。もちろんアタシやディーノが鍛えてもやるけどね」


 ケラケラと笑いながら言ったのは、女冒険者のイザベラさん。たまに村に訪れるような冒険者とは明らかに格が違うと私にでも判るくらい雰囲気のある人。


「俺が……勇者? ははっ、そんなまさか……」


 空笑いをするカインの声は、だんだん小さくなっていった。

 それはそうだろう、こんな農村までわざわざ冗談を言いに、こんな豪華な人たちがやって来るわけがない。彼らは心の底から真剣だったし、よく見れば彼らの護衛らしい騎士の人たちが馬車からなにかを降ろしている真っ最中だった。

 村への謝礼、だろうか。

 話は私やカインの意思とは無関係に進んでおり、とっくに引き返しようのないところを通過している。


 この場の誰にも何処にも冗談の気配がないことを察して、カインは徐々に顔色を失っていった。軽いところはあるけど、別に馬鹿じゃないのだ。


「でも、俺……」


 困ったようにカインは私を見る。

 けれど、そんなふうに見られたからって、私にはなにもできなかった。


 だって、自分の胸が激しく鼓動しているのに動揺していたから。

 今ここでなにかをしないと手遅れになるのが、はっきりしていたから。


「あの――! ちょっといいですか!」


 きっと人生で最も早く頭を回転させた私は、結論が出る前にまず声を出した。ほとんど衝動的だったけれど、頭が回っていることは自覚していた。


 私の声に反応したのは、金髪の騎士様。他の神官様や女冒険者さんは全くの無反応で、魔法使いの人はちょっとこちらを振り返ったけど、それだけだった。

 構わない。

 どうせこれまでの毎日なんて続かないのだ。


「どうかしたのか? 悪いが彼を連れて行くのは……」


「それは判っています。カインが神託で選ばれて、それは王命のようなもので、彼が魔王退治に行かなきゃいけないのは、理解しました」


「お、おい……アーシェ」


 俺はまだ理解してない、とばかりにカインは呟いたけど、意味のない呟きだ。私はそれを無視して話を続けた。


「補償をくださるとの話でしたが、私は彼――カインと婚約しています。もしも彼が戻らなかったり、彼が勇者としてみんなに認められたり、そういうことになったら、カインと結婚して村で畑を耕して生きるなんて、できません」


 ですよね? と視線で問う。

 騎士様はやや気まずそうに頷いた。

 そう、そこまでは普通に考えれば普通に判ることだ。


「働き口を、紹介してもらえませんか?」


 と、私は言った。



◇◇◇



 金髪の騎士、ディーノ・エドガルド・ペレッリ様への嘆願は、結論から言えば成功した。彼らはきちんと保証すると言っていたし、私の願いはさほど大それたものじゃなかったからだ。


 私は彼らの護衛だった騎士たちに連れられて、王都へ向かい、ペレッリ家のメイドとして働くことになった。


 ――なんでそんなことを?

 もちろん理由はいくつかある。


 ディーノ様に話したように、普通に考えるとたぶん私はカインと結婚なんてできない。将来の危機である。

 あの村に一人残されて、年の離れた誰かに嫁ぐのは、正直ものすごく嫌だった。村にはカイン以外に年の近い男性がいないのだ。仮にいたとしても、カインが無理になったのでそれじゃあ他の人で、みたいな感じに結婚して子供を生んで、なんてことは考えられなかった。


 それに、あの村にいてカインたちの動向を知ることは不可能だろう。

 王都にいれば、ひょっとすると『勇者一行』の情報を、一端なりとも知ることができるかも知れない。少なくとも村でぼけっと待っているより可能性は高い。

 さらに言えば村で結婚したくないなら王都で就職した方がいい。これは現実的な、むしろ妥協みたいな話になるけれど、私は現実問題を無視しないのだ。


 恋は知らないし信じてもいないけど、現実は知ってるし見えている。


 そんなわけで、メイドさんである。

 王都にあるペレッリ家に就職させてもらったのだけれど、ちょっと意外なことに、仕事はあまり辛くなかった。農作業を手伝ってる方が体力的にはキツい。


 そりゃあ、知らない作法やなんかを覚えるのは大変といえば大変だったし、貴族様の家名や力関係を覚えるのも、なかなか大変だった。

 しかし、である。

 私には『やる気』があった。

 満ち満ちていたとまでは言わないにしても、惰性や義務感で働いている他のメイドたちよりも、私の方がずっと勤労意欲が高かったと思う。


 だって、ただ働いているだけでは欲しい情報なんか入ってこない。だから貴族様の会話を耳に入れることができるような立ち位置に、さっさと着かねばならなかった。そして幸いにも、私の地頭はそれなりのものだった。


 もちろん、天才なんかではない。

 偉い人の話がちんぷんかんぷんだったりは茶飯事だ。


 幸運は他にもいくつかあって、ペレッリ家の中には私の事情を知っている者がいて、しかも同情してくれた。ディーノ様の妹君だ。


「婚約者が勇者だったなんて、大変なことだわ。それに貴女も判っていると思うけど、きっと貴女の幼馴染とは結婚なんてできないわ……」


 妹君は身近な悲劇に随分と入れ込んでくれたようで、仕事中の私を捕まえてはディーノ様のことを話し、神託の神官様の噂話を聞かせてくださり、宮廷魔術師マリアベラ様の噂話を聞かせてくださった。

 かわりに私はカインの話をしたり、農村の日常なんかを話したりして、雇い主の家の娘とはかなり友好な関係を築くことができたと思う。


 そうするうちにペレッリ家の当主様にも目をかけられ、彼の仕事中にお茶を運ぶことも増えた。当主様も、意外にというべきか私には気を使ってくださった。


「少し前に勇者たちが北の砦を奪還したという報告があった」


 なんて、独り言のように私へ伝えてくれる当主様は、侯爵家の当主だなんて立場から考えると随分お人好しなのではないだろうか。


 それにしても、カインは本当に勇者だったようだ。

 別に疑っていたわけじゃないけど――幼馴染の男の子が剣を取って魔物を退治している様子なんて想像し難いったらない。だって、収穫した野菜を運ぶのにぶつぶつ文句を言ってたようなやつなんだもの。


 剣を振り、魔物の命を奪っているなんて、全然ピンとこない。


 しかし……まあ、頑張っているならそれでよろしい。

 その調子で魔王を退治してくれれば言うことなしだ。途中で戻ってくるなんて無理だろうし、魔王退治に失敗したらカインを含めたあの人たちが死ぬということになる。私たち人間の未来も暗いものになるだろう。


 私は私で頑張るので、カインはカインで頑張れ。

 と、無責任なことを私は思った。

 責任などないのだから仕方ない。

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