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お金がないから同棲してみた

作者: 墨江夢

 その日、俺・松永榮次郎(まつながえいじろう)は、給与明細を見ながら大きな溜息を吐いた。

 この私立高校に赴任して、およそ3年。給料は、一向に上がらない。

 対して支出は3年前と比べて増えているわけだから、残高が増えることもなかった。


 未来ある子供たちを、教育という形で手助けしたい。そんな思いから、俺は教師を目指した。

 就職活動の最中、この高校の教育理念に感銘を受けて、「ここで働こう!」と決意したわけだけど……目標や理念だけでは、生きていけない。

 大人になって、実感する。世の中所詮、金なのだ。


 今月もまた、節約だらけの1ヶ月になるのか。ままならない人生を嘆くように再度溜息を吐くと、同僚の村西文香(むらにしふみか)に話しかけられた。


「松永先生、溜め息なんて吐いて、どうしたんですか?」

「村西先生……いや、給料増えないなーって思って」

「あー。ウチの学校、都内でも随一の低賃金ですからね」


 村西先生は、苦笑する。


「給料が上がらないくせに、物価だけは上がっていく。本当、生きづらい世の中になりましたよ」

「将来のこととか、自分が病気になった時のことを考えると、少しでも貯金をしたいところなんだが……人生思うようにいかないものだよな」


 思えばここ数ヶ月、娯楽にお金を使っていないな。

 生活費で給料のほとんどを使ってしまい、自分の好きなことにお金を回す余裕がないのだ。


「まずは家賃。東京って、家賃、高いよな」

「ですね。私の場合オートロック兼5階なんで、相場より更に高いです」

「あとは食費。自炊すれば安いんだが……」

「疲れて帰ってきて、料理する気にもなりませんよね。特に一人暮らしだと、ついついスーパーやコンビニのお弁当で済ませてしまいがちです」

「そうそう。結果食費に思いのほか費やすことになる」


 学生の頃憧れていた、一人暮らし。自由気ままな今の生活を謳歌している一方で、その一人暮らしが自分を苦しめていることもまた確かだった。


「毎月の家賃が高く、一人だと料理しないから食費もかさむ。その他にも、一人暮らしならではの出費がありますからね。……そうだ!」


 村西先生は、何か思いついたように手を叩く。

 

「ねぇ、松永先生。一緒に住みませんか?」

「……はい?」


 予想だにしない提案に、俺は思わず聞き返す。

 一緒に住むって……この人は一体何を言っているんだ?


「一人暮らしの家賃は、今私たちにはかなりの負担になっています。しかし二人で折半すれば、その負担も半減されるのです。更に食費に関しても、二人で暮らせば自ずと自炊をするようになります。そうすれば、食費を節約することも出来るのです」

「それは……確かに」


 ……って、いかんいかん。

 あまりに魅力的な提案に、つい受け入れようとしてしまった。


 節約する為に一緒に暮らすといえば利点だらけだけど、詰まるところそれは同棲だ。

 好き同士でもない男と女が、同棲するということなのだ。


 例えばこの先、俺や村西先生に恋人が出来たとしたら? 互いの存在が邪魔になることは必至である。


 目先の利益を求めて、彼女の提案を受け入れてはならない。俺はきっぱり断ろうとするのだが……


「ダメですか?」


 可愛らしく小首を傾げるその姿に、ドキッとしてしまって。

 俺は反射的に、「かっ、構いませんよ」と返してしまうのだった。


 ……まぁ未来のことは、その時になって考えるとしますか。





 今まで住んでいたワンルームマンションに二人で住むのは、流石に手狭過ぎる。そこで俺たちは、新たに部屋を借りることになった。


 新しい部屋の家賃は、月10万円。折半すれば、一人当たり5万円だ。

 一人の時は毎月7万円支払っていたので、2万円支出を抑えることが出来る。これは大きい。

 

 しかし恋人同士でもない男女が一緒に暮らすにあたっては、当然のことながらいくつもの問題が存在していた。


「まずは寝室ですが、別々です。ベッドまで節約するとか、そこまでケチになるつもりはありません」

「同感だな。湯船はどうする? 逐一張り替えるか?」

「毎日となると、それは流石に勿体ない気がします。……だからって、飲まないで下さいね?」

「飲まねーよ!」


 一体俺はどれだけハイレベルな変態だと思われているのだろうか?


「洗濯はどうする? 各自でするか?」

「そうですねぇ……。因みに松永先生は、他人に下着を洗われることに抵抗ありますか?」

「いいや、別に」

「でしたら、洗濯は松永先生の分も含めて私がやります。代わりに先生は、私の部屋以外の掃除をして下さい」

「村西先生の部屋以外となると……リビングやトイレやお風呂か?」

「そうなりますね。……飲まないで下さいね?」

「だから、飲まねーよ!」


 二度も人を変態扱いするんじゃねぇ。


「あとはルール決めですね。食事の支度や買い物は、日替わりにしましょう。ゴミ捨ては、週替わりで。他の事柄は……まぁ、生活しながら追々決めるということで」


 協力し合って暮らしながらも、互いに干渉しすぎない。そんなモットーで始まった同棲生活。

 価値観が似ていることもあってか、想像以上に順調だった?


 1ヶ月後の、給料日。同棲生活の成果が、早くも現れる。

 

 給与は相変わらず上がらない。しかし、通帳の残高が先月の給料日より増えているのだ。

 本当に僅かな増加ではあるけれど、貯金が出来ているというのは俺にとって大きな変化だ。


 それは村西先生も同じだったようで。

 通帳を見ながら、一人ニヤニヤしている。


 仕事が終わり、自宅に戻ると、先に帰っていた村西先生が夕食の支度を済ませてくれていた。


「おかえりなさい、松永先生」

「ただいま。……って、あれ? 今日は俺が食事担当じゃなかったっけ?」

「そうなんですけどね。先生の残業が遅くなりそうだったんで、代わりに作っておいたんです」


 基本二人で決めたルールに沿いながらも、こうして臨機応変に対応してくれる。そういう村西先生だから、なんら不満なく同棲生活が送れているのかもしれない。


「先にお風呂にしますか? それともご飯?」


 なんだか新婚みたいだなと思いながらも、折角彼女が作ってくれたのでご飯を選択する。

 俺がダイニングテーブルに着くと、村西先生は冷蔵庫から少し高めなデザートを取り出した。


「村西先生、それは?」

「今月思ったより節約出来たんで、買ってきちゃいました。少しくらいなら、贅沢しても良いよね?」


 デザートが美味しく感じたのは、久しぶりだったからだろうか? それとも――





 村西先生と同棲を始めてから半年が経過した。

 二学期が終わるこの日は、クリスマスイブ。ようやく学校から解放された生徒たちは、これからカラオケやらゲーセンやらに遊びに行くのだろう。

 振り返ってみたら、自分にもそんな青春時代があったものだ。


 ここ数年の俺のクリスマスというと、虚しい気持ちにならないよう、カップルの少ない裏道を使って帰宅する。そして自宅で一人、コンビニ弁当を食べながら映画を視聴する。そんな風に過ごしていた。


 しかし、今年は違う。家に帰れば、村西先生がいる。

 自分の帰りを待ってくれる誰かがいるというだけで、自然と足取りが軽くなるのだった。


 チキンとピザとシャンパンと、そしてケーキを用意して。二人きりのクリスマスパーティーが始まる。


 いつもは飲酒をセーブしている村西先生も、今夜に限っては顔が真っ赤になるまでシャンパンを飲んでいた。


「いや〜、今年は先生のお陰で良い年になりましたよ。寂しいクリスマスを過ごさなくて住みましたしね。心も懐も温かい!」

「そうだな。給料は低いが仕事にやり甲斐を感じている。少しずつだけど、貯金も出来ている。お互いに愚痴をこぼし合える相手もいる」


 この日常に、俺はかなり満足していた。


「あと足りないのは……恋人ですかね?」

「だな。だけど恋人が出来たら、この同棲生活も終わりだけどな」


 互いにパートナーがいるのに、別の異性と一緒に暮らすなんてご法度だ。

 しかし村西先生は、そうは思わなかったようだ。


「……別に、恋人が出来たからってこの生活を手放す必要はないと思いますけど」

「いや、必要あるだろ? 浮気と疑われても仕方ないぞ?」

「だったら、浮気にならないようにすれば良いだけです」

「それを決めるのは俺たちじゃない。たとえ俺たちが浮気じゃないと思っていても、相手がどう感じるかだ」

「もうっ! わからない人ですね!」


 若干苛立ちながら、村西先生は声を上げる。


「私と先生が付き合えば、浮気にならないって言ってるんですよ!」


 一瞬何を言われたのかわからなかった。

 しかし、すぐに村西先生に告白されたのだと気が付く。


 大してシャンパンを飲んでいない筈なのに、俺の顔はベロンベロンに酔った村西先生と同じくらい真っ赤になった。


「……冗談だろ?」

「シラフじゃないですけど、本気です。酔った勢いじゃありません。……この半年、こんなにも楽しい暮らしが出来たんです。好きにならない方が、どうかしてます」


 俺だって、そうだ。

 今日を含めて半年間、とても充実していた。

 いけないとわかっていても、「彼女がいるってこんな感じなのかな?」と想像したりしていた。


「……で、どうなんですか? 先生は、私をどう思っているんですか?」


 そんなの、考えるまでもない。なぜなら……


「好きにならない方が、どうかしてるんだろ?」

 

 お金がないから始めた、この同棲生活。もう少しお金が貯まったら、今度はそれを理由にプロポーズするとしようかな。

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