10連
「リョウ…!」
急ぎ追い駆けようとしたエミレスだったが、目の前を歩く人が邪魔で上手く進めず。
遠くで辛うじて耳に届いていたリョウ=ノウの声もあっという間に聞こえなくなってしまった。
「待って…お願い…!」
しかしエミレスの願いは虚しくも誰の耳に届くことはなく。
立ち止まりたかったものの、人の流れに逆らうことも出来ず。
エミレスは彼を追うことも出来ず、ただただ人波に流され続けることとなった。
(どうしようどうしよう…どうして、こんなことに…)
辺りを見回してみても、そこには見知った特徴の男性はたくさん居た。
誰かに声を掛けようと試みもしたが、どうにも声が出ない。
「ふふふ…」
と、どこからか誰かの笑う声が聞こえてきた。
だが、喧騒にかき消されてしまうその声は、直ぐに誰のものかわからなくなってしまう。
そんな、知らない人たちの突き刺さるような笑い声。
賑やかで活気ある街の市場を歩いているのだ、それは当然の声でもあったのだが。
これまでほとんど外に出たことのなかったエミレスにとって、それは何よりも耐え難い凶器でしかなかった。
と、エミレスの目の前に人混みを掻き分け数人の女性たちが姿を現した。
『フフ…見てあの子、可愛くないのに』
『気持ち悪いわ』
『可愛くない。まさに田舎の娘ね』
『不細工』
聞こえてくるはずのない言葉が、妄想となって彼女の耳へと囁く。
細身で、背も高く、化粧を施し、旅先の踊り子のような民族衣装に身を付けている女性たち。
彼女たちと自分を見比べた瞬間、それまで迸り続けていた熱が、急激に冷めていく。
思い思いに露店の商品を眺め、売買をしている眼差しが、今度はエミレスを嘲る視線に見えてしまう。
(私なんか綺麗じゃないし可愛くない…そんなことわかってる。けど怖い、怖い…!)
孤独という不安と、どうすればいいか打開策がないという恐怖が重なり、エミレスの体温は一気に冷え込んでいく。
つい先ほどまで不快だった汗が冷却装置へと変わり、エミレスを震え上がらせる。
(リョウ…リャン……助けて……!)
全てに後悔しても時既に遅く。
人波に流され立ち止まることも出来ず。
心の中でしか助けを呼ぶことも出来ず。
エミレスは市場の賑やかさも人たちの笑顔も他所に、感情が高ぶり涙を流した。
「お母さーーんっ!!」
と、丁度エミレスの間近で迷子になったのだろう子供が、ワンワンと泣き始めたのだ。
その大きな叫びに人たちは立ち止まり、心ある者たちは子供を宥めながら母親を捜そうとしていた。
しかしそのせいで、誰もエミレスの涙には気がつかなかった。
すすり泣く声も、顔に流れているものも。
全ては喧騒の彼方へ溶け込んでしまっていた。
「うっ……」
思わず洩れた声を必死に押し殺す。
だが、いっそのことその子供のように大声で泣けば、誰かが助けてくれるかもしれない。
エミレスがそう思ったときだった。
ドン。
人波に合わせてエミレスも足を止めた拍子に、彼女の肩が誰かに当たってしまった。
謝ろうにも涙が止まらず、声も出ない。
恐怖で顔を上げることさえ、出来ない。
そんなエミレスへお構いなしに、ぶつかって来た男が声を荒げる。
「おいっ!」
表情を見ずともその声が男の感情を物語っている。
俯いたまま謝罪もしないエミレスに、男は険しい顔付きで更に文句を言おうとした。
「―――すみません、連れが粗相をしたのならば代わりに謝罪致します」
しかし、次に聞こえてきた声は、その男のものではない―――別の声だった。
落ち着き払った若い男性の声であり、そしてリョウ=ノウの声でもない。
エミレスは恐る恐る顔を上げた。
「いや、ちゃんと謝ってくれりゃあいいんだよ」
そう言うと中年の男性は険しい顔そのままに、そそくさと人混みの中へと消えていった。
と、エミレスの肩から優しい温もりが伝わって来る。
「人が多いので取り敢えずここから離れましょうか」
エミレスの両肩を支える男性は、彼女の背後で優しくそう囁く。
恐らく初対面であろう他人に連れられる。勿論恐怖心はあった。
だがそれ以上にエミレスは一刻も早くこの場から抜け出したかった。
相手がどんな人物か、振り向く勇気もないまま、エミレスは小さく頷く。
そして、その男性に連れられて、彼女は市場を抜け出した。




