105項
(え、もしかしてもしかすると”ウミ=ズオ”違い…ってこと? ……もうっ、ロゼがややこしいペンネーム付けるから…!!)
そんなことを思いつつ、レイラは差し出された紅茶を一口飲む。
芳醇な甘い香りがレイラの口から、温かな吐息となって広がっていく。
「久しく連絡も取れておらず…身を案じていたところですが、先ほど貴方がその名前を出していたのを耳にしまして。懐かしさのあまりついつい声を掛けてしまったのです」
「あ、あの…ちなみに、そのウミ=ズオって、女性…でしたかね?」
我ながら可笑しな質問をしたとレイラは内心頭を抱える。
しかし、この返答次第でマティがどのウミ=ズオのことを言っているのか、知ることが出来る。
静かに息を飲むレイラへ、マティは微笑みを貼り付かせながら言った。
「ああ、もしかして……彼の方を言っているのですか?」
その瞬間、レイラにゾクっと、悪寒のようなものが走る。
一瞬だけ彼女の笑みに、冷たいものを感じた。
「そうですね…彼のこともよく存じていますよ。それはもう彼が小さい頃から――それで今はどちらに?」
「あ、いや…実はわたしたちもその行方を追っていて。じゃあ、マティさんもそっちのウミ=ズオが今何処に行ったのかも…?」
「残念ですが、わかりません。お役に立てず申し訳ございません」
そうして頭を下げる所作は、まるで絵画のような美しさ。
優しいこの笑顔に癒された人々が、彼女のことを”聖女”と呼ぶのだろう。レイラはそう思った。
しかし、レイラはそんな人々とは真逆に、”聖女”の微笑みに酷い焦りを感じ始めていた。
(――この人さっきから、ロゼの名前を出してこないのよね……)
まるで誘導されているような問答に、そんな疑心を抱くレイラ。
彼女の心情に気付いたのか、マティはふと苦笑した。
「もしかして…私が本当に彼のことを知っているのかと、疑っていますか?」
「え…?」
「顔を見ればわかります。とてもわかりやすい表情をされていますよ」
マティの言葉にレイラは顔を紅くして、両手で顔を隠した。
「ごご、ごめんなさいっ! 疑っているっていうわけじゃなくて…その……」
「貴方が疑うのも当然です。私のような存在が突如話しかけてきたのですから……ですが、彼女と彼の身を案じているのは本当です」
彼女はまるでレイラに諭すかのように語り掛ける。
「ただ……花色の教団の教えに背く彼女たちの名をうかつに出すことは出来ず、やきもきしていたままでした。そんなところへウミ=ズオの名を出した貴方を見て、つい彼女たちについて何か知っているのではと…お伺いしてしまったのです。怖がらせてしまい、本当に申し訳ございません」
そう言ってマティは深々と頭を下げる。
恐れ多い彼女の姿にレイラは大慌てで席から立ち上がり、頭を下げ返した。
「ああ、いいえ! わ、わたしの方こそ、なんか色々ごめんなさい…!」
ソラがやりそうな大失態とその羞恥心によって、レイラの顔はより一層と真っ赤になる。
混乱状態を落ち着かせるべく、彼女はドアの方を指差した。
「トイレ! トイレに行きたくなっちゃったんで! 借りてもいいですか!?」
適当な言い訳を叫んだ。
マティはクスクスと笑みを浮かべて頷いた。
「ええ…この廊下を出て突き当りを右手に曲がった先にありますよ」
「ありがとうございます!」
そう言ってもう一度頭を下げたレイラは、まるで逃げるかのように部屋を飛び出て行った。
レイラが姿を消したことにより、室内に取り残されてしまったキース。
彼は気まずそうに、マティへ何度も頭を下げる。
するとマティは、キースへ優しそうな微笑みを浮かべて言った。
「ところで……貴方はとても優しい瞳をしている反面、とても深い悲しみも秘めているようですね。何か、過去に辛い出来事があった、とかでしょうか…?」
意外な言葉にキースは目を丸くする。
しかし、キースは答えず。咄嗟に俯いてしまった。
「もしかして…喋るのも辛い出来事だったのでしょうか? だとしたらそれは…不謹慎な質問をしてしまいましたね。申し訳ありません…」
苦笑するマティは真っ直ぐにキースの顔を見つめ続ける。
と、目が合ったキースは慌てて、顔を背けた。
気まずさからカップを手に取り、紅茶をちびちびと啜る。
そんな彼の頬に、マティは静かに触れた。
突然のことにキースは身体を強張らせる。
「……怖がらないで? 私はただ、貴方の苦しみを少しでも楽にしてあげたいだけなの…」
まるで母親のように語りかけ、微笑みかけるマティ。
「貴方を見ていればわかるわ。過去と――姉に対して、訴えたくても訴えられない悩みに苦しんでいるのね。私は誰にも言いませんよ。だから、もしよければ恐れないで話してみて…?」
穏やかな彼女の双眸も相まって、徐々にキースの緊張は解れていく。
「喋るのが辛いようなら…これを使っても良いのよ?」
ソファから立ち上がったマティは、机にあったペンと用紙をテーブルの上に置いた。
「勿論、無理に喋ってくれとは言わないわ。先ずは貴方が話しやすい範囲の話題で構わないのよ?」
穏やかで優しそうな――聖女らしい笑みを浮かべるマティ。
吸い込まれるような彼女の双眸に、キースは彼女の冷たい指先の感触も忘れて。
おもむろにペンを手に取り、文字を書き始める。
彼はその紙に、大きなバツ印を描いていた。




