104項
「―――で…なんでこんなことになっちゃったのよ…」
盛大なため息を吐くレイラ。
だが無理もない。彼女とキースはひょんなことから、花色の教団本部内に招かれていた。
案内された部屋はどうやら応接室で。ブラウンを基調とした、落ち着いた色合いの机や木棚が並ぶ。
整理整頓された室内には汚れどころか埃一つなく。
綺麗な佇まいに、レイラはこれまでにないほどの緊張と困惑を抱いていた。
「…わたしたち、ただウミ=ズオって言っただけなのに…もしかして、それがいけなかったの?」
彼女のぼやきにキースも眉を顰めて、首を傾げる。
現在、部屋にはレイラとキースしかいない。
先刻別れたマティとは未だ会えてはおらず。
この応接室へも、教団員に話しかけて案内されただけだ。
お茶さえも用意されていないこの状況下。不安だけが募り、レイラはもう一度ため息を吐こうかとした――そのときだ。
「遅くなって申し訳ありません」
そう言ってマティが姿を現した。
先ほど羽織っていたローブ姿ではなく。彼女は清楚さが明瞭な白い法衣を纏っていた。
マティは茶色の髪をかき上げながら、レイラたちとは反対側のソファへと座った。
「こ、この度はお招きいただきまして、ま、誠にありがとうございました」
「フフフ…そこまで畏まる必要はありません。貴方のいつも通りで話して下さい」
「で、ですが…マティ・フォー・チェーン様と言えば女神様の再来とも呼ばれているほどの方ですよ! わたしらなんかとこうしてお話しになること自体…恐れ多いですよ」
頭を下げて畏まるレイラに、マティは背筋を伸ばした美しい姿勢のまま答える。
「確かに……民の皆さまは私のことを女神様の再来だ、”聖女”だなんて讃嘆しています。ですが、私など崇高な女神様の足元にも及ばぬ小者……おかげで私の方が恐れ多く畏まってばかりです」
マティの言動はただの謙遜というよりは、心の底から女神アドレーヌを盲信しているからこそのようで。
レイラは思わず息を吞む。
「所詮は皆、身分や肩書きという枷を付けたただの人……私はそんなただの人になりたくて、時おり人々をこっそりと観察しているのです」
「観察…ですか?」
「はい。観察から様々な発見があり、そこから閃くものもある。というのが私の師の教えなのです」
そう言って微笑むマティ。
「話が逸れてしまいましたが…今は私のことをただのマティとして、気兼ねなく接してください」
目を丸くしたままのレイラとキースは、思わず互いの顔を見合わせる。
少しばかり悩んだ後、レイラは「じゃあ…マティさんで」と、小さな声で返した。
「で、でも…その…花色の教団の聖女様がどうして…ウミ=ズオの名前に反応したんですか…?」
アドレーヌ王国外は罪人追放の地。
未踏の地でもあることから、花色の教団は王国外を禁忌の地としている。
そんな場所について執筆されたウミ=ズオの冒険譚は、教団の教えとは真逆のもの。
では何故マティはウミ=ズオの名前に反応したのか。
その理由を考えたレイラは、今更に人知れず息を飲む。
(も、もしかして…『ウミ=ズオ』の名前を出しから……なんて理由で捕まえるつもりなんじゃ…)
警戒するレイラを他所に、マティは持って来ていた紅茶セットでお茶を淹れ始める。
「実を言うと、私はウミ=ズオとは古い知り合い――いいえ、友人だったんです」
「ええっ!?」
思わずレイラはテーブルから身を乗り出す。
が、不謹慎だった態度に彼女は慌てて座り直した。顔は直ぐに真っ赤に染まる。
始終賑やかなレイラに、マティは微笑みながらカップに紅茶を注いでいく。
「…ほ、本当ですか? だって、ウミ=ズオって花色の教団の教えにめちゃくちゃ背いてるってのに…」
「私はこう見えて、若い頃は研究者の卵でして…彼女とはそこからの友人なので、教えとは関係ないのです」
「えっ!? マティ…さんって、元は研究者だったんですか?」
「はい。どのような経緯でこうなったのか、今はこのような立場になっていますけどね」
マティはそう言って苦笑いを二人に向けた。
ふと、レイラは気づく。
もしかするとマティが出会っていたというウミ=ズオとは、”ロゼ”のことではなく”初代ウミ=ズオ”のことなのではないか。ということに。




