102項
頼んだパスタはすっかりと冷めきってしまっていた。
だがそんなことなど気にせず、カムフは頭を抱え、あれこれ考え続けていた。
一方でラ=リエルは、何処かすっきりした顔で冷めきった紅茶を飲み干す。
「――それでは私は用があるので、そろそろ失礼しますね。実に有意義な時間をありがとうございました」
そう言ってラ=リエルは丁寧に腰を折る。
そのまま立ち去ろうとする彼女を、カムフは慌てて引き留めた。
「あ、あの!」
「おや、何かありましたか?」
「あ、いえ……用事があったのにおれの雑談に付きあわせてしまって、申し訳なかったなと思いまして」
自分事のせいで彼女の時間を潰してしまったと謝罪するカムフ。
するとラ=リエルは、カムフの肩をがっしりと掴んで、かぶりを振った。
「いえいえとんでもありません! 実のところ、何か良い記事が無いかと探していたところなんですよ。|王都の門の封鎖や灰燼の怪物の《もちきりの》話題でも良かったのですが……貴方とのお話しをしていたらウミ=ズオさんの記事を書いてみたくなりまして!」
そう言うとラ=リエルはカムフの肩から手を放し、ふんわりとした笑みを浮かべる。
「こちらこそお礼を言いたいくらいです。ありがとうございました~」
その笑顔につられてしまいカムフもまた笑みを作る。
「…それなら良いんですけど…えっと、じゃあ最後に一つだけ聞いてもいいですか?」
「なんなりと」
カムフは周囲を気に掛けながら、ラ=リエルへと耳打ちした。
「あの…可笑しな質問なんですが、この辺で変わった風貌の男性の噂って聞いたことありますか?」
「それって、例の灰燼の怪物のことでしょうか?」
空気を読んで彼女もまた耳打ちして返してくれる。
ラ=リエルは質問の意図が解らず、困惑した顔を浮かべていた。
「いや、違うんです。個人的に探している人で……その、全身真っ黒な衣装で、たぶん黒色の髪で。男性だけど化粧をしていて……」
と、探し人の大まかな外見の説明をしてみたが、これが正しいという確証もない。
ソラの話では、別れ際のロゼは黒髪ではなく金髪に変貌しており、雨のせいで化粧も落ち、別人のようだったと聞いていたからだ。
それでも、記者ならば何か知っていないかと、藁に縋る思いで尋ねたわけなのだが。
「探し人ですか…残念ながら、そのような格好の男性は王都では珍しい方ではないので。もう少しばかり特徴を言って頂けるとありがたいのですが…」
そう言って返されてしまっただけだった。
「そうですか…すみません、ではもう大丈夫です」
「それがきっと貴方の悩みの種だったのですね…それなのに、お役に立てず申し訳ありません」
「いやいやお構いなく! ウミ=ズオの話が出来ただけで、おれも充分気分転換できたんで!」
かぶりや両手を振りながらそう答えるカムフに、穏やかに微笑むラ=リエル。
すると彼女はカムフの眼前に立ち、その手を差し出した。
「お別れの…ではなく、また出会うためのおまじない。です」
「…それってウミ=ズオが本によく書いていたくだりですよね。おれもこの別れ方、好きですよ」
そう言うとカムフは自分の手を出し、ラ=リエルと固く握手を交わした。
そして手が離れると同時に、彼女はゆっくりとその場を離れていく。
「それではカムフさん。またいつか会いましょうね」
彼女は姿が見えなくなるまで、ずっと手を振り続け消えて行った。
「良い人だったなラ=リエルさん―――あれ、でもおれ名前名乗ったっけ?」
ふとした違和感に、再度思案顔を浮かべるカムフ。
だが、そのうちに腹の虫が鳴ってしまったため、彼は考えを止めて冷めたパスタをかき込んだ。




