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そして、アドレーヌは眠る。  作者: 緋島礼桜
第四篇  蘇芳に染まらない情熱の空
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78項

   







 気が付けばソラは獣の鳴き声も聞こえないくらいの、深い森の奥まで来ていた。

 この辺りに炎の被害はなく、青々とした草木が行く手を遮るように鬱蒼と生い茂っている。

 いつの間にか雨は上がっており、水と泥を含んだような匂いもしなくなっていた。

 しかし、そんなことなど関係なく。というよりもソラは気付きもせず、必死に()を追いかけていた。


「待って…待ってってば…!」


 だがしかし。

 本当にその先に()がいるのか。()を追いかけられているのかも、ソラにはわかっていなかった。

 まるで母を探す迷子のように、がむしゃらに直感的に這いずり回っているようなものだった。


「―――ロゼ!」


 だからこそ、()へと辿り着けたのは奇跡に等しかった。

 本当は冷静に地面に残っている足跡を辿っていけば容易に追いかけられたわけなのだが、そんなことなど無我夢中だったソラは露知らず。

 だからこそ、それは本当に奇跡的な再会だった。


「待ってよロゼ!!」


 息を切らしながらも叫ぶソラ。その大声に羽を休めていた鳥たちが一斉に逃げて行く。

 そんな彼女の叫び声が届いたのか()———もとい、ロゼはおもむろに足を止めた。

 一定の距離を置いたまま、ソラは口を開く。


「何処行くの? そっちは村の方向じゃないじゃん。早くシマの村に帰ろうよ…」


 相も変わらず闇夜に溶け込んでしまいそうな黒い服装。

 だが、彼のいつもとは違うその金の髪だけが、何故か異様にソラの目に焼き付く。


「もう村には戻らない」


 振り返ることなく吐かれた言葉。ドクンと、ソラの中の何かが抉られたようだった。

 血の気が引いていくような感覚に彼女の身体は思わずふらつき、無意識に胸を押さえる。


「戻らないって…どうして!?」


 直後、ロゼは頭を抱えながら深いため息をついた。


「…『どうして?』って……貴方はそれを望んでいたじゃない」


 もう一度、先ほど以上の衝撃を心臓に感じた。

 反論など、ソラには出来なかった。図星も図星だったからだ。


「私の目的はね―――貴方の『鍵』を奪うためだったのよ」


 そう言ってロゼは手にしていたソラのペンダント―――実際は『鍵』と呼ばれる()()を見せつける。

 口振りこそロゼそのものだったが、雨のせいで化粧の剥がれたその顔はただただ美しい容姿の青年で。

 全くの別人と対面しているような錯覚さえソラは抱いた。


「……で、でも、ロゼはあたしに剣の稽古つけてくれたり、皆とだって打ち解けたりしてたじゃん…それは目的とは関係ないでしょ…?」

「貴方たちを油断させて『鍵』を手に入れ易くするために決まっているじゃない。けど、こうして目的の品()を手に入れた以上…貴方たちとのくだらない馴れ合いもこんな寂れた何もない場所に長居する必要も理由もないわ」


 出会った当初のような笑み。だがそれはどこか嘲笑的で、いつもの彼ではないような表情だった。

 ソラの額から雨の雫と汗が絡み合い、零れていく。


「なんで…なんでそんなこと言うのさ! あたしは……ようやく、ロゼが信じられる人だって思えてたのに…ロゼを信じられるようになったのに!」

「それだけ私に上手く騙されていたことに気付いていなかっただけよ……これだから何もわかっていない単純なガキは大嫌いなのよ」


 突き放すような言葉が、ソラには痛いほど突き刺さった。

 震える身体は雨に打たれたせいなのか、怒りなのか。それとも別の何かのせいなのかさえ、彼女には判らなかった。

 しかし、濡れる瞼を思いきり擦りながら、ソラは尚も食い下がる。


「……何もわかってないガキかもしれないけど! でもロゼのことは解ってたつもりだよ! だから――—」

「貴方に私の何が解るというの!?」


 それは今まで聞いたことのない彼の怒声だった。

 心の奥から出された、本心だと直感的に察したソラは思わず口を噤む。


「私は醜い人間なの。本当は美しくなんてない…醜悪な感情に身を任せた、おぞましい力を持った…化け物よ」


 震えていたのは彼も同じであった。

 それでいて何処か寂しげに儚げに憤るその表情に、ソラは言葉を失った。


「もう、会うこともないでしょうし…そのコートは返さなくて良いわ」


 気付けば風も止み、周囲からは何の音も聞こえなくなっていた。

 そんな無音状態だからこそか、彼の最後の囁きがソラの耳にはっきりと届いた。


「さようなら」


 ロゼはそう言うと即座に視線を逸らし、そのまま歩き出す。ソラとは反対の方向へと去っていく。

 

「待って…ロゼ…」


 ようやく絞り出せた、か細い声。

 助けを求めるよな、懇願するような声。

 だがしかし。その声に彼が足を止めることはなく。

 闇の向こうへと静かに消えていってしまった。


「待ってよ…なんで…」


 追いかけようにもソラは一歩も動けなかった。

 完全に心を折られてしまったせいなのか、その場に力無く崩れ落ちる。


「じゃあなんで……なんで、そんな辛そうな…寂しそうな顔してんのさ! せめてちゃんと…もっとちゃんと話してからお別れしてよぉッ!!!」


 彼女の叫びに返ってくる言葉はなかった。

 







 カムフがソラのもとへ辿り着けたのはそれから暫く経ってのことだった。

 道なき夜道を追いかけるのは危険であったが、ぬかるみによって出来た真新しい足跡は綺麗な道標となり、追うのは容易であった。


「―――ソラ…」


 あの豪雨も止み、風も凪いだ森林は異様な程静まり返っていた。

 そんな静寂とした場所でソラは身体を震わせて座り込んでいた。


「何が…あったんだ…?」


 全身も顔もずぶ濡れで。汗なのか雨なのか、それとも別の何かなのかもカムフにはわからない。

 ぬかるんだ地面に力無く座り込む彼女の横顔は生気が抜けたように青白く、放心状態だった。

 

「ロゼが…出てった。何も言わずに……」


 振り絞って出した、か細いソラの声。

 その言葉はカムフの胸にチクリと刺さった。

 ソラが見つめるその先を、カムフもまた一瞥する。

 どれほどの時が経った後なのか彼にはわからないが、その向こうからは物音も気配すらも感じることは出来なかった。


「とりあえず…今は帰ろうソラ。このままじゃ風邪ひくだろ」


 カムフはそう言うとゆっくりとソラの腕を掴み自分の肩へと回す。

 おそらく意識もはっきりとしていないようで。ソラは抵抗も反論もしなかった。

 ソラを背負うとカムフは元来た道を戻っていく。

 暫くして遠くの方から誰かの叫ぶ声が聞こえてくる。おそらくジャスティンのものと思われた。


「おーい!」

「此処で―す!!」


 と、そんな二人の周囲に、どこからともなく蛍が姿を現し出した。

 何匹と集う蛍はまるでカムフたちの居場所をジャスティンたちへ知らせるかのように淡く輝き、躍り舞う。


「こんなに沢山の蛍が……もし今年の祭が行われていたら最高の年になっていただろうな…」


 そんな言葉を洩らしつつ、ソラを背負うカムフはジャスティンたちの呼び声を頼りに村へと戻っていった。







   

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