76項
カムフは火災が発生している村の中心部を避けて走り、村の外へと出た。
村を出てすぐの林道はかつて集団移動エナ車も通っていた道であるが、今ではたまに村へやって来る荷馬車が通る程度の道だ。
あの事故の崖道もこの道に通じている。
「歩けば半日…走ればもう少し早くは着くだろうが……」
カムフは地を蹴り、一気に駆けていく。
しかしある程度舗装された道とは言え、今は夜の時刻。
月明かりもない暗がりの道は見通しが悪く。小石などを踏んで転倒し兼ねないし、突然獣が飛び出す可能性もある。
「それでも…行くっきゃない!」
そんな使命感とも言える思いを胸に、カムフは決死に走った。
―――そのときだった。
「え」
無我夢中で走っているカムフの目の前に突然、獣―――ではなく眩い光が飛び込んできた。
それも物凄い速度で。
猪の突進にも負けない速度で近付くその物体に、カムフは思わず足を止めた。
「うわあっ!!」
その情けない悲鳴と共に勢いよく尻餅までついた。
漆黒の闇夜を照らすそのライトに目も開けられず、カムフは無意識に両腕で顔を覆う。
「―――君は、確か…」
と、その物体はカムフの手前で急停止し、声を発した。
「獣が、喋っ…」
そう言いかけたところでカムフは口を閉ざす。
眩いライトのせいでよくわからなかったが、目を凝らして見るとそれは『エナカー』と呼ばれる、エナエネルギーで動く車であった。
「あ…以前村に来ていたアマゾナイトの!」
「アマゾナイト南方支部総隊長補佐官ジャスティン・ブルックマンだ!」
ライトの向こう、車窓から顔を覗かせながらそう叫ぶジャスティン。
彼は険しい顔を更に険しくさせつつ、静かに眼鏡を押し上げた。
「近くの町で待機中に、君の住む村から緊急通信があったと聞いてな。エナカーで乗ってきた方が手っ取り早いと思って乗ってきたわけだが…」
そう言いながらジャスティンはカムフから更に遠く―――村がある方を見つめた。
視線の先には、ここからでもわかるほど赤々と燃える森の様子が窺えられた。
「近々祭が行われるとは聞いていたが……まさか騒ぎ過ぎてやらかしたとかではないだろうな」
「違いますよ! 多分おれの予想なんですけど…不審火っぽくて…!」
「それを早く言いたまえ!」
「結構早めで言いましたけど!」
直後、ジャスティンは顔を顰めつつ車のドア部をバンバンと叩いた。
「そんなことより君! 早く車に乗るんだ!」
「え?」
「早くしろ! 村へ向かうぞ!」
唐突な展開に若干の混乱はあるものの、カムフは言われるまま車に乗り込んだ。
彼がドアを閉めると同時にジャスティンは思いっきりアクセルを踏み込む。
「…ところでこういう乗り物って資格が必要って聞いたんですけど…?」
「安心しろ。講習は受けたことがある」
勢いよく走り出した車はカムフの不安をそのままにシマの村へと向かう。
ジャスティンの凄まじい運転テクニックは身体が弾むほどの衝撃を生み、カムフは必死に座席の縁にしがみ付く。
「道が悪いから無理もない」
と、ジャスティンは言っていたが。それだけが原因ではないとカムフは確信していた。
そんな中。カムフはおもむろにジャスティンへ尋ねた。
「あの、緊急通信を聞いて直ぐに来てくれたんですよね?」
「そうだが?」
「その割には…行動が早すぎじゃないですか? けど、やって来たのは貴方一人だけだし…」
ガタガタと不規則に揺れ動きながら進む車。
思わず舌を噛んでしまわないかと気を付けながらも、カムフはジャスティンに尋ね続ける。
「この火災だって可笑しい点があるんです…もしかして…ブルックマンさんが単身やって来たことと関係があるんじゃ……」
と、そのときだ。
「雨だ…!」
ジャスティンの返答はカムフが求めていたものではなかった。が、その言葉に思わずカムフは窓越しに空を見上げる。
ポツポツと降り始めた雨はやがて、前も見えない程の大雨に変わる。
「偶然の奇跡というのもあるものだな。これならあの火災も食い止められるやもしれんぞ!」
完全に話がすり替えられてしまったことに煮え切らない思いをしつつも、カムフは取り敢えず安堵に胸をなでおろす。
「確かに…これ以上燃え広がることはなさそうですね」
まるで村の炎を消火するべく降り注ぐ雨。
それは村に辿り着いてからも止むことなく続いた。
車は村の入口よりやや手前の場所で停車された。
「車に燃え移る可能性もあるからな。これで進むのはここまでだ」
ジャスティンはそう言いながら車から降りる。続くようにカムフも降車しようとする。が、ジャスティンがそれを制止した。
「君は此処で待っていたまえ」
「何故ですか!? おれだって村の状況を確認しに行きたいです」
「駄目だ」
ジャスティンの掌がカムフの行く手を遮る。
納得のいかないカムフはジャスティンを睨み付ける。
村の方からは炎に変わって黒煙が昇っていた。
「やっぱり関係あるんですよね。この火災と貴方がこうして焦っている理由と……」
そう言うとカムフはジャスティンが携えている剣を一瞥する。ジャスティンの片方の手はしっかりとその柄を握り続けていた。
「あるに決まっているだろう」
と、ジャスティンは先ほどとは打って変わって直ぐに肯定した。むしろ怒声交じりで何故かカムフが叱られているようであった。
「え…さっき聞いたときは答えてくれなかったじゃないですか…?」
「ああ。車の走行音で聞こえなかった」
きっぱりとしたその言い草に嘘偽りはなさそうで。意外な返答に呆気を取られてしまうカムフ。
盛大にため息を吐きたくなるところだが、何故か先にジャスティンの方がため息を洩らした。
「つまり…やはり村の者たちには伝えなかったということか……」
「何か?」
「いや、此方の話だ」
ジャスティンはそう言うと眼鏡のブリッジを押し上げながら話を続けた。
「灰燼の怪物―――グリートという名は君も聞いたことがあるだろう?」
その言葉でカムフは粗方の状況を察し、目を見開く。
「標的どころかその周辺の人や物、町そのものまでも燃やし尽くすという暗殺者…噂だけの人物だと思ってましたが…」
「実在するに決まっているだろう。そして、この村の近辺でその目撃情報があった…となれば、この火災の犯人はヤツである可能性は高い。私はそう睨んでいる」
「け、けど! どうしてそんなヤバい奴がこんな村に―――」
そう言いかけたところでカムフは口を噤んだ。
心当たりがあったからだ。
―――『鍵』。
例の男二人組も姿を消しすっかりと忘れていたが、その『鍵』が灰燼の怪物の狙いならば、この辺鄙な村にやって来ても可笑しくはないとカムフは思った。
というよりも、それ以外は考えられなかった。
「…フン、心当たりはあるようだな。まあいい。付いて来るかどうかは勝手だが、ただし自己責任だ。君を守ってはやらんからな」
「え…アマゾナイトは民間を守るのが仕事なのに」
そんなカムフの正論は生憎とジャスティンには聞こえていなかったようで。彼は付いて来いと言わんばかりに村へ向かって歩き出す。
ため息を洩らしつつ、カムフはそんな彼の後に続く。
二人がそんなやり取りをしている間にも雨は一向に止もうとせず。彼らを濡らしていった。




