63項
キースの案内である程度道なりに進んだ先―――村の中心地近くの花畑にその花は咲いていた。
「これがグロッケの花ね」
ロゼの言葉にキースはこくんと頷く。
そこに咲くグロッケの花は、この女神送り祭のために育て用意してあるもので。
畑内には鮮やかな白やピンク、紫色の花々が美しく可憐に咲き誇っていた。
中にはまだ花開いていないものもあったのだが、キースはそれらも構わずハサミで切り取っていく。
そうして摘み取ったグロッケの花をロゼが持っていたわけだが、気付けばその花は両手いっぱいとなっていた。
「これだったら花かごでも貰ってくれば良かったわね」
独り言のぼやきのつもりであったが、それはキースの耳にも届いたようで。彼は苦笑交じりに頷いていた。
(さてと、この両手いっぱいの花はどうしたものか…)
と、ロゼが思案顔を浮かべていると、此方へと歩み寄って来る老婆に気付く。
その老婆はロゼたちの目の前にやって来ると、持っていた大きめの花かごをロゼに差し出した。
「祭の手伝いかい? キースも偉いね…ほら、アンタもこれを使うといいよ」
キースは急いで老婆の傍へ駆け寄るとその花かごを受け取り深々とお辞儀をした。
「あら…てっきり余所者相手には手厳しいのかと思っていたけど…?」
ロゼがこのシマの村にやって来て一月ほど。実際のところ、彼は村人からろくに話しかけられもしていなかった。
それは彼の格好のせいもあるのだが、過去の因縁もあって余所者には懐疑的なのだとロゼは聞いていた。
それ故に声を掛けられたことは意外であったため、ロゼは思わず嘲笑気味に皮肉を零してしまった。
「そりゃあアンタはちょっと、というかかなり異質だけど……けどねえ、最近ソラがよく元気に笑ってるのを見てるとね…」
老婆はそう言うと微笑みながら何処か遠くを見つめる。
「あの子ったら相当感情的だろ? だから嫌いって決めつけたものはとことん嫌おうとするし、けれど認めたものはちゃあんと、好きになる。そんな子がさ、毎日嬉しそうにアンタの話をしているのを見てるとね…あたしもアンタが悪い人じゃないんだろうなって思えてきてね……」
その微笑みはロゼへと向けられる。
しかしその笑顔を素直に受け止めることが出来ず、ロゼは素っ気なく視線を逸らし「そう」とだけ返した。
「それじゃあまた、祭の夜にね…」
そう言って老婆は元来た道を戻っていく。どうやら彼女はこの花かごを渡すためだけにやって来たようだった。
『随分娘たちと馴染んでいるようだな』
不意に先刻、ダスクに言われた台詞がロゼの脳裏を過る。
(別に馴染みたくて馴染んではいない……それに、優しくされたくもない…)
握っていたグロッケの花に、無意識に力が籠る。
と、それはあっという間にくしゃりと茎が折れてしまった。
茎も葉も折れ曲がってしまったグロッケの花を見つめながら、ロゼはかつて彼が言っていた台詞を思い出した。
「―――女神送り祭…?」
「そう。何にもない村の唯一の祭りでね。この王国の象徴でもある女神様へ五穀豊穣を祈る祭…と、言われているよ」
彼は王城を囲うように広がる、その大きな湖の湖面を見つめながら語った。
「村の者たちが一丸となって朝から夜までどんちゃん騒ぎ。バカ騒ぎってね。けどそれがまた楽しくて子供ながらに幸せな祭だなって思っていたんだ……ある文献を見るまではね」
彼は近くに落ちていた小石を拾うと橋の上から湖に向けて投げてみせた。小石はぽちゃんと、波紋を広げて水の底に沈んでいった。
「村の史録に目を通したことがあってね。そこに書かれていたんだ。女神送り祭は元々≪花色の君≫が行っていた習慣から発展したものだってね」
「≪花色の君≫の習慣…ということは、本来は五穀豊穣を祈るものではなかったということ?」
「察しが良いね。どうやら≪花色の君≫は女神様へある祈りを込めるべく川に花を流していたらしくてね。それが長い歴史の中で変化して今の形になったらしい」
長い石畳の橋の上。ロゼと彼の背後では次々と荷馬車が行き交っていた。
向かう先にはアドレーヌ王国の要である王城の正門が見える。雄々しくそびえるその姿は絢爛豪華というよりは堅牢堅固といった言葉が相応しかった。
「≪花色の君≫がどんな祈りを込めて花を流していたのかなって考えると…食って飲んでのどんちゃん騒ぎな祭に変えてしまったのが少々申し訳なく思えてくるんだよね」
「それにしても…貴方がこんなところでそんな話をしてくれる方が私には驚きだわ。そもそも、人前だと私とはあまり会ってくれないじゃない?」
ロゼの言葉に彼は笑みを浮かべてから、後方―――様々な献上品を運ぶ荷馬車の列を一瞥した。
「まあ、今日は半年に一度の献納の日。国王様への献上に必死な彼らは俺たちなんか眼中にはないって思ってね」
「そうかしら…」
否定的にそう洩らし、ロゼは橋の手摺で頬杖をつく。
そんなロゼの様子を見て、彼はまた穏やかに微笑んだ。
「とにかく…機会があったら一度行ってみると良いよ、シマの村に。そして女神送り祭にもね」
「でもそういう辺鄙な片田舎って、私のような人間は受け入れられないでしょ?」
「それこそ偏見だよ。村の皆はとてもおおらかで優しい人たちばかりさ。君のことだって間違いなく大歓迎だよ」
彼はそう言ってからゆっくりと踵を返すと、おもむろにロゼから離れていく。
彼が歩くその向こうには、同じ軍服を纏った者たちが彼を待っていた。
「勿論、俺の妹もね―――」
最後にその言葉を残し、彼は献納で行き交う人々の波の向こうへと消えていった。
そうしてロゼもまた、その後ろ姿を見送ることなく。
彼とは反対の道を歩き始めたのだった。
ふと、ロゼはコートを引っ張られて我に返る。
振り向いた視線の先では小首を傾げて見つめるキースの姿があった。
『どうしたの?』と心配そうに眉を寄せる彼に、ロゼは微笑み掛けて答える。
「花の中に醜い虫が紛れていたみたいで…思わず潰してしまったわ。けれど、これだけ摘んであるもの…一つくらいは大丈夫でしょう? さ、皆のところへ戻りましょうか」
溢れんばかりの花が入った花かごを担ぎ、ロゼは歩調早めに歩き出す。
一歩遅れてキースもまたロゼの後ろに並んで歩く。
彼が付いてきていることを足音で確認しつつ、不意にロゼは花壇に残っていたグロッケの花を一瞥し、目を細めた。
(≪花色の君≫が祈りを託したというグロッケの花―――その花言葉は『感謝』『不変』『希望』などがあるけれど…『後悔』という言葉もある。花に精通していたと伝え聞く≪花色の君≫は一体、どの言葉を花へ託したのか……)
そんなことを思いながらロゼたちは旅館へと向かった。




