62項
ふくれっ面のソラとレイラが同時に顔を背け合ったところで、カムフは視線をロゼに向けた。
「―――とにかく、今年の祭りはいつも以上に忙しくなりそうなんで…それで、お客人に頼むのもどうかとは思うんですけど…」
頼み難そうに言葉を詰まらせながらもカムフは頭を下げた。
「祭の準備…手伝ってくれませんか?」
その視線はカムフだけではなく。ソラやレイラ、キースまでもが息を吞むように、ロゼを見つめている。懇願の顔をしていた。
一呼吸おいてから、渋々ロゼは答えた。
「……わかったわ」
ソラたちは一安心といったような、何処か嬉しそうな顔色を浮かべる。
そんな彼女たちの表情に釣られて苦笑を零しつつ、ロゼは続けて言った。
「それで、私は何をすれば良いのかしら?」
「グロッケの花を集めて来てほしいんです」
「グロッケの花…?」
「川に流すための花だよ。女神送り祭の儀式には絶対この花を流すって決まってるんだ」
そう言うとソラは食堂の壁に飾られた押し花を指差した。
額縁の中で丁寧に貼られたその花は、白やピンク・紫といった色で彩られている。釣鐘の形をしたなんとも可憐な花だった。
「流す花が指定されているなんて…変わっているのね」
「そうかな?」
「そういうもんじゃないの?」
ソラとレイラは仲良く首こそ傾げているが、これといって疑問までは抱いていないと言った様子だった。
だがそれも無理はない。他人にとっては違和感があるものだとしても、昔々から当然の如く続けられている風習を当人たちが気にすることなど早々にないのだから。
「ああ、それで…花を摘むのにハサミが必要だと思うんで、先ずはソラの家に行ってハサミを貰ってきてください」
ソラの家―――もとい鍛冶も営むソラの父の下へ行き、砥がれたハサミを借りて、それでグロッケの花を摘んでくる。というのがロゼの頼まれた内容だった。
ちなみに、ソラやレイラには既に別の仕事が与えられていた。儀式の際に着用するという薄い藍色の羽織りを縫わなければならないのだ。それが終わった後も他にも色々手伝うことがあるとのことだった。
「とは言っても…花を摘むにしてもどの辺りに咲いていて、どのくらいの量を摘んできたら良いのかわからないわよ」
「だと思うんで、ここはキースをつけるわ!」
姉からの突然の大抜擢に、誰よりも驚いていたのはキースであった。
目をぱちくりさせながらレイラを見つめている。何か物申したかったのだろう、人知れず下唇を噛んでいたが、祭で浮かれているレイラがキースのこの小さな素振りに気付くことはなかった。
間もなく、これが自分の役目なのだと認識したキースは、徐々に緊張し始めたようで。浅い呼吸を繰り返す。
「…まあ、気を張る必要はないわよ。ゆっくり探しましょう」
と、緊張状態になりつつあったキースを見兼ねたロゼは、そう言って彼の肩に優しく触れた。
その言葉に少しだけ安堵したのか、その強張っていた肩は少しばかり緩んだようだった。
「それじゃあ頼んだからねー!」
「キースも任せたわよ!」
二人に見送られながらロゼとキースはソラの家へと向かう。
旅館『ツモの湯』とソラの自宅は村の端から端に存在しているため、移動するにもそれなりの距離がある。
旅館の前では祭の準備やらなにやらで騒々しい村人の姿もあったのだが、ソラの自宅付近までやって来ると聞こえてくる物音も木々の葉がそよめく程度となっていた。
まさに静寂に包まれたその家の前に立つと、ロゼはキースを一瞥して言った。
「私が話してハサミを借りてくるから…貴方は此処で休んでいて?」
するとキースは素直に頷き、近くの木陰に座り込んだ。
初夏だというのに今日はいつもよりも蒸し暑く、空も徐々に曇り始めている。
「近々どころか今夜にでも降りそうじゃない…」
そんなことを呟きつつ、ロゼは店の扉を開けた。
「―――どうした? また顔が見たくなったのか…?」
前回と変わらず誰かの包丁を丁寧に砥ぐ彼の姿が目に入る。
ロゼの方を見ずにそう尋ねるソラの父に対し、ロゼはため息交じりに答えた。
「違うわ。今日はお使いを頼まれたのよ。祭でハサミが必要らしくてね」
「なるほど。それにしても……随分娘たちと馴染んでいるようだな」
「…そう見える?」
つまらなそうな声でそう返しながら、ロゼはおもむろに売り物のナイフを手に取る。
鞘から抜き身出た刃は、暗がりの室内でも十二分にわかるほどギラギラと輝いていた。見ただけでその切れ味がわかるほどだ。
「……灰燼の怪物が近辺の町で不穏な動きを見せていると、聞いたわ」
直後、ダスクの表情が一変する。彼は眉を顰めながらロゼを見つめる。
「貴方たちの策謀が招いた結果がこれよ。それで…貴方はどうするつもりなの?」
「やれるだけのことはやる……それに、そのときのためにお前さんも此処にいるのだろう」
今度はロゼが顔を顰める。
迷いのないダスクの顔。その双眸は娘のそれとよく似ていた。
そのせいか、思わず先に目を逸らしたのはロゼの方だった。
「だとしたら…刃物の類は念のため隠しておいた方が得策ね。奴は放火魔として有名だけど、これらを奪って襲う可能性だってあるのだから」
そう言うとロゼはナイフを鞘に戻し、代わりに用意されたハサミを手に取った。
「ロゼ」
「何…?」
「お前の力量を疑ってはいない。だが、頼むから感情に身を任せた暴走だけはしてくれるなよ」
ダスクは椅子に座ったままであったが、それでも深く深く頭を下げていた。
誠心誠意しか伝わらないその姿にロゼは更に眉を寄せる。
「その言葉は聞き飽きたわ……言われなくとも、私はいつだってやれるだけのことをやるだけよ」
そうとだけ言い残すとロゼは踵を返し、店を後にする。
独り店内に残されたダスクは静かにその顰められた顔を上げた。
「本当に…この選択で合っているのか……セイランよ」
彼が洩らした言葉に、答えが返ってくることはなかった。




