56項
「ソラ! ソラ!!」
ぐっすりと寝入ってしまったソラを叩き起こしたのはカムフだった。
彼は先に起きてトイレがてら様子を見に行ったらしく、そこである程度のことを見てきていた。
「おばちゃんたちから聞いたんだ! レイラたちが旅館内にいるって!」
それを聞いた直後、それまで眠たそうに転がっていたはずのソラは飛び起きて駆け出していた。
「どこ!?」
「二階奥の客室!」
靴を履くことも忘れてカムフよりも先に駆け出していったソラ。
そうして辿り着いた部屋の中では、レイラがベッドに横たわっていた。
その頭や腕に包帯こそ巻いていたが、奇跡的に大した怪我もなかったとのことだった。
「レイラ! レイラ!」
「ソラちゃん、大丈夫。レイラちゃんは大した怪我はないから。疲れて寝ているだけさね」
おばちゃんはそう言うと椅子から立ち上がりソラに席を譲ろうとする。が、そんなところに座ることなく、ソラは彼女が眠るベッドに乗っかった。
「レイラ…レイラ…ごめんなさい! あたし…ホントは一緒に旅行行ってもよかったのに…レイラが悪いから…レイラが悪いせいだからねっ!」
未だ眠るレイラに飛び付き、わんわんと泣き出したソラ。
その息苦しさと騒がしさにレイラは仕方なく目を覚ました。
「……わたしが悪いって…こんな状況だってのに…わたしのせいに、しないでよね…ソラ…」
「レイラ! よかった~っ!!」
思いっきりきつく抱きつくソラに、レイラは一瞬だけ嫌な顔を見せたが、直ぐに笑みを零すとソラの頭を緩く撫でていた。
「わたしも……素直になれなくて…ごめんね…」
レイラは無事だった。
アマゾナイトの推測ではレイラは偶然にもエナバの座席下の隙間に入り込んでいたようで。そのお蔭で崩落の衝撃も大して受けずに済んだのだろうという話だった。
だが、ここまでの奇跡的な九死に一生を得たのはレイラくらいだった。
大体の人々は過密状態の車内が潰れたことによる圧迫で命を落としたと言われた。中には車外に投げ出された者や救出された際にはまだ意識があった者もいた。
しかし、大した医療設備もないこの村へ運ばれたことで治療が間に合わず。息を引き取った者もいた。
そうして亡くなった人々の中にはレイラとキースの祖父母。
そして―――ソラの母の姿もあった。
実のところ、その事実を知ったときのことをソラはあまり覚えていない。
ただ鮮明に残っているのは、眠る母を無言のまま優しく抱き締める父の後ろ姿だった。
何処か母として見られないでいたソラだったが、その悲しそうな父の後ろ姿を見てようやく『もっとお母さんに甘えればよかった』と酷く後悔して泣いたことだけは、今でも記憶に残っている。
奇跡的な生還者はレイラの他にも一人だけいた。それがキースであった。
キースはエナバ落下の最中に窓から投げ出されたのだろうと、アマゾナイトは推測していた。
偶然にも雨でぬかるんだ土がクッション代わりとなり、彼もまた足の骨折程度で済んでいたのだという。
だが、キースにとっての悲劇はその後だった。
「いつまで経ってもエナバが町に戻って来ないというエナバ会社から要請を受け、アマゾナイトが崩落現場へ辿り着いたのは夕暮れも過ぎた夜の時刻。救助されたときのキースは意識もあり、激しく降り続く雨の中を独り、崖の中腹で待ち続けていたらしい。それも泣きもせず、声も上げずにな…」
そう語っていたのは村の医師だった。彼がノニ爺と話していたところをたまたまカムフが盗み聞いた話であった。
「いや…もしくはもう散々声を張り上げ叫び続けた後だったのやもしれん。ともかく、そのときのキースは放心状態で…既に声を出すことが出来なくなっていたそうだ」
「まだ五歳じゃ…こんな凄惨な事故を目の当たりにして…親族も亡くなっておる。心に傷を持たんわけがないじゃろうて」
「いっそ声の方ではなく、そんな記憶を忘れてくれた方が良かったかもしれんのにな…」
救出され目覚めた後のキースはレイラやソラたちを前にしても一言も、声すら発することはなかった。正しくは発することが出来なくなっていた。
泣くことも騒ぐこともせず、虚ろで無感情に近い状態であった。
「そんな…どうしたら…キースはまた話せるようになるの?」
「それはキース自身にもわからんだろうな。明日明後日には元通りになるかもしれんし…何十年と経っても治らんかもしれん」
医師の報告を聞いて泣き崩れるレイラ。それをこっそりと立ち聞きしていたソラもまた同じく涙を流した。
「カムフ…どうしてこんなに悲しいことがたくさん続くの? どうして…女神様は何もしてくれないの…?」
すがりつくソラにカムフは困った顔をしながらも答えた。
「おれだってわかんないよ…でも、前に村に来た花色の教団の人が言ってた。不幸っていうのは試練なんだって…この試練を乗り越えたら…きっと良いことが待ってるんだって」
「じゃあ…お母さんが死んじゃったことで、待ってる良いことって…何?」
その質問に対して、カムフは答えることが出来なかった。




