46項
―――翌朝。
ソラはいつものように『ツモの湯』へと向かっていた。
手に持っているバスケットには今朝焼いたばかりのパンと獲れたての野菜。
何だかんだと言いつつも、ソラはレイラとカムフの容態を気にしていた。
昨夜は色々なことが起こってしまったせいもあり、結局豪勢な夕食どころかありあわせの料理で終わったのだ。
しかし誰も不満など洩らす気力もなく、ろくな会話さえ出来ないほどだった。
そんな昨夜のこともあり、今朝も大した食事は出せていないだろうと案じたソラが、急きょパンを作り用意した。全ては二人を想ってこそ、というわけだった。
(ちょっと膨らみ悪くて焦げちゃってるしでカムフほどの出来じゃないけど…まあお腹の足しになれば良いよね)
そんなことを思いつつソラはバスケットを大事に抱え旅館を目指した。
『ツモの湯』に辿り着くとノニ爺が玄関清掃をしていた。
陽気に鼻歌混じりで箒を振っていた彼はソラの姿に気付くと手を上げて笑いかける。
「おはようノニ爺」
「おはようさん! 最近は早起きじゃのう! 感心感心!」
そう言って上機嫌に笑うノニ爺。
確かにノニ爺の言う通り最近のソラは、早朝から旅館を訪ねるのが日課になっていた。
それは勿論、ロゼとの稽古のためだ。
本来あまり朝は得意ではなかったソラだったが、いつの間にかカムフよりも早く起きられるようになっていた。
「けど今日の用事はまずこっちなんだ」
ソラはそう言うと手にしているバスケットをノニ爺に見せる。
漂う香ばしい匂いと熟れたトマトやキュウリが顔を覗く。
「なるほどのう…じゃったら早よう急いだ方がいいのう」
「え? どういうこと?」
「まあ行けばわかるわい」
ノニ爺はそれだけ言うと意気揚揚と掃除を再開する。
どうして早く急いだ方が良いのか。そう首を傾げつつもソラは言われるがまま旅館内の食堂へと駆けていった。
旅館に入って直行で食堂に着いたソラは、直ぐにノニ爺の言葉の意味を理解する。
食堂内では既に香ばしい匂いが充満していたのだ。
「カムフ、頭はもう大丈夫なの?」
「お蔭さまで」
そう言って微笑みかけるカムフ。
彼は食堂のキッチンに立っていた。が、意外なことに調理をしている様子はなかった。
「え…けど…ごはん作ってないじゃん…」
「ああ……それはなあ…」
言葉を詰まらせながらカムフは視線をキッチンの奥へと向ける。釣られるようにソラがキッチン内を覗くと、そこでは悪戦苦闘してフライパンを振るっているレイラの姿があった。
「って、レイラ…!?」
「今話しかけないで! あっ…ほらあ…ぐちゃぐちゃになっちゃったじゃない!」
レイラはそう怒声を上げながらフライパンをソラたちに向ける。そこには黒焦げのぐちゃぐちゃの何かが出来上がっていた。
「何それ? 炭の炒めもの?」
「違うわよ! どう見てもオムレツじゃない!」
「えーうそだぁ!」
フライパンを見せつけたレイラだったが、ソラの言葉が気にくわなかったのか、次の瞬間にはフライパン上の料理らしきものは近くの皿へ落とされた。
それからレイラは顔を真っ赤にして言った。
「フン…じゃあもう一回作り直すわよ。作り直せばいいんでしょ!」
「何も二回言わなくてもいいじゃん」
不機嫌そうに頬を膨らませながらもレイラは素直に竈の前へと戻っていった。
「…どうしたの、急に…?」
ソラは思わず目をぱちくりさせつつカムフに耳打ちする。彼は苦笑交じりに耳打ちし返した。
「今朝朝食を作ろうとしたら急にやって来て『代わりに作りたい』って譲らなくってさ。足の捻挫も大丈夫そうだし…まあせっかくだからと思って作ってもらってはみたものの……」
カムフは軽くため息を吐き出しキッチンを一瞥する。
皿の上に並べられた焦げた塊の数々―――もといオムレツの成れ果てたちは最早惨劇といっても良いような光景となっていた。
「だってさ、レイラが料理するとこなんて初めて見たよ? どういう風の吹き回し…?」
「うーん…多分、昨日のお詫びだと思うんだよな。レイラってこういうとき人一倍責任感強くなるからさ」
信じられないといった顔でソラはレイラを何度も見つめる。
だがカムフの言った通り、不器用な手付きながらに負けじと卵を泡立てるその眼差しは悪ふざけ一切なしの真剣そのものだった。
「……しょうがないなあ…ここはあたしが一肌脱いで助言してあげよう!」
「いやあ…それは返って状況を拗らせるんじゃないか…?」
と、カムフの心配を他所にソラはずかずかとキッチン内へと入っていってしまった。
そして間もなく。
「もう! アンタには関係ないでしょ!」
泡立て器を片手にしたレイラの怒声が響く。
賑やか―――というよりは一気に騒がしくなってしまったキッチン。カムフは自分が手伝うべきだったと頭を抱え後悔する。
するとそこへ朝食を取りに来たロゼが姿を見せた。
キッチンどころか食堂にまで轟く怒鳴り声に顔を顰めつつ、彼はカムフを一瞥する。
「朝からどうしたの? この醜い騒ぎよう…」
「あー…その……とりあえず…昨日の余りのパン、食べます?」
咄嗟にカムフはそう言って愛想笑いを浮かべることしか出来なかった。