31項
蝋燭がなければ歩けないほどの暗闇に包まれた通路。
強い湿気とカビ臭さに眉を顰めつつ、その通路を歩く男二人。
「あ、アニキ…本当に報告する気ですかい?」
そう言って終始怯えた姿を見せる弟分―――もといゴンザレス。
すると彼の先を行く兄貴分の男は震える弟分の頭部を思いっきり殴った。
「馬鹿野郎! 此処まで来たらもう言うだけ言うしかねえだろ! それかアマゾナイトに駆け込むのか、俺たちだけで!」
彼の怒声にゴンザレスは言葉を詰まらせる。
「何にも知らず人質として暮らすテメエの妹ちゃんのためには俺たちゃあもう…『丼鼠の刃』のマスターに嘘の報告をするしかねえんだよ…」
平然とそう語ってみせる兄貴分の男であったが、ランプを握るその手は明らかに震えていた。
と、二人は通路の行き止まりに辿り着く。前方には重厚感漂う扉が一つ。
二人で開け放ったその扉の先には、燭台が並ぶ仄暗い空間が広がっていた。
温かなはずの灯火は不気味に揺らめき重苦しい雰囲気が漂っている。
「―――吾輩も暇ではない。わざわざ呼びつけるとは良い度胸だな」
部屋の中央、隔てるように置かれた衝立の向こうから聞こえる声。
それが『丼鼠の刃』のマスターであった。
当然、その姿は二人の方からは伺い知れない。だがその低く重苦しい声だけで、二人は思わず身体を小さく小さく屈ませる。
「す、すみませんマスター…ですが、与えられた依頼の報告をしたく…」
「『鍵』の件か…ということは手に入れたということか…?」
「そ、それが…」
兄貴分の男は人知れず息を吞み込み、それから言った。
「件のガキ…『鍵』は…持ってなかった、です…」
直後、先ほど以上にピリピリとした―――まるで殺気立った空気が漂い始める。
暑くもないはずなのに二人の額からは大量の汗が流れ落ちる。
「それで報告に…来たと…」
「へい」
「そもそも『鍵』というのもどんな形状かよくわからなくて…その…一応教えて貰えはしませんか…?」
放たれ続けるこの威圧感の中で、その質問はあまりにも無鉄砲なものだと男たち自身ある程度は覚悟していた。
だが『鍵』が一体どういうもので、どうした目的で奪おうとしているのか。という、そんな好奇心に勝てなかったのだ。
するとマスターはただ一言。
「お前たちが知る必要はない」
そう一蹴した。
「元より持っている可能性は低いと最上界様は仰っていたが……それならば仕方がない。お前たちは下がれ。後日別の依頼を出す」
その言葉に二人はこの状況にも関わらず安堵の顔で互いを見合う。
「で、では俺たちゃこれで…!」
さっさとこの場を去ろうと、兄貴分の男とゴンザレスは立ち上がるなりそそくさと部屋を出ようとする。
だが、その扉のドアノブを握ったときだった。
「―――待て」
二人はマスターに呼び止められた。
「…それで、『鍵』を持っていたとされるガキは始末したのか?」
「え、っと…?」
「それは…聞いてやせんでしたが…」
ガシャン。
と、大きな音が衝立の向こうから聞こえてきた。どうやらガラスの割れた音のようで。
突然の破壊音に二人は驚き竦み上がる。
「…『鍵』を探す際に顔を見られているはずだろう……なのに何故口封じをしなかった? まさか家を荒らしただけで帰って来たわけでもないだろう…」
二人は思わず互いに抱きつき合い、何度も頷きながら答える。
「ちゃ、ちゃんと問い詰めて聞き出したんです! 身包みも剥ぎましたが持ってませんでした!」
咄嗟の虚言であったが、それは失言だった。
「そこまでしといて口封じをしていないとは…我らの存在が危うくなるではないか…!」
もう一度ガシャンと、何かが割れる音が響く。
「ただでさえアマゾナイトに目を付けられ危うい状況だというのに……役立たず共が! 今すぐ始末しに行け! 直ぐだ直ぐ!」
先ほどまでの冷血そうな雰囲気とは打って変わってヒステリックに叫ぶマスター。
その豹変ぶりに二人はまた違った恐怖を抱く。
「いや、待て……」
と、マスターは少しばかり冷静さを取り戻し、沈黙の後言った。
「こうなったら……グリートを使う」
「あ、アイツを…」
まさかの言葉を耳にし、兄貴分の男は咄嗟に聞き返した。