29項
「まあ…どうせ白状する以前に何も知らされてないんでしょうけどね……≪鍵≫のことも、あの子がどういう娘なのかもね」
兄貴分の男の顔が、それまでとはまた変わって真面目なものとなる。
青ざめた顔に今度は暗い影を落とす。
「フン…俺ら末端の賊上りが教えて貰えるわけねえだろ。ただ言えるのは≪鍵≫とやらを持つガキからそれを奪ってこいって命令されたことと……失敗したら軍に捕まるよりやべえ制裁が待ってるってことくらいだ」
「あ、アニキーー! アニキをとっ捕まえるのは待ってくだせえ! アニキは人質になってる俺の妹のために闇に手を染めただけなんでさぁ…俺が、俺が…あんな組織に足を突っ込んじまったばっかりに…!!」
慌ただしく駆けつけてくるなり、そう言って頭を深々と下げたのは弟分の男だった。
涙も鼻水も垂れ流しながら語る弟分の姿に、兄貴分の男は「余計なことは言うんじゃねえ」と叱責する。
おいおいと大声で泣く弟分の醜態と、それを咎めつつも感極まって涙を零し始める兄貴分の男。
ロゼは深いため息を吐き出して、兄貴分の男を解放した。
「み、見逃してくれんのか…!?」
「勘違いしないで。アマゾナイトに捕えられた、なんて知られて下手に刺激したくないだけよ。貴方たちの組織―――≪丼鼠の刃≫を、ね」
≪丼鼠の刃≫。
その言葉を聞いた直後、男たち二人の顔が強張る。
それ以上は何も語らない。だがその反応だけでロゼは充分確証を得ていた。
「…人質云々の話には興味ないけど、命が惜しいなら今から組織に戻ってマスターとやらに報告なさい。『そのガキは≪鍵≫を持ってはいなかった』ってね」
男たちは目を丸くし、互いの顔を見る。
「そ、それで良いんですかい…?」
「と言っても一か八かね…そう報告した瞬間に貴方たちの首が飛ぶかもしれないけれど……」
そう言ってロゼは男たちを流し目で睨む。穏やかな口振りとは裏腹に小鳥が飛び立つほどの殺気。嫌でもそれを感じ取った二人は無意識に身震いした。
「あ、アニキ…任務失敗って報告したり軍に捕まったりするよかまだ良かねえですかぃ?」
弟分の男がそう耳打ちをする。
と、その直後。彼は兄貴分の男から拳骨を喰らった。
「いっでぇ! 何するんですかいっ!」
「ただの八つ当たりだ! わかった…その話に乗ってやるよ」
「フフ…話がわかる男は嫌いじゃないわよ……けどね、もしももう一度あの子に手を出すようなことになったときは―――容赦しないわ」
口許の笑みとは対照的な、氷のように冷たい眼差し。
男たちの背筋は凍り付き、声なき悲鳴を上げる。
そうして、二人は逃げるようにロゼの前から姿を消した。
「≪丼鼠の刃≫…国内の裏社会を牛耳り暗躍していた組織……一年前の一斉捕縛で壊滅したと聞いていたけど、まさか未だ動いていたとはね…」
一人そう呟きながら眉を顰めるロゼ。
(黒幕は間違いなく奴―――そうまでして≪鍵≫を奪っておきたいのか…それとも……)
そよ風によって木々の枝が、木の葉が揺れる。
その中をロゼは静かに踵を返し、山道に戻っていった。
一方その頃。
ソラは不貞腐れた顔をしながら森林内に小川を見つけていた。
透き通ったその冷たい川へ足を突っ込み、今夜の晩御飯になりそうな魚を取ろうとしたのだ。
「ふんだ、勝手に探してればいいんだ…」
そんな独り言をぼやき水面を睨む。
と、大人げない自分の膨れっ面が水面に映し出され、ソラは一層と顔を紅くさせ水面に拳を落とした。
「―――こんなところで何してんだ…まったく…」
それから程なくして、草陰の向こうから現れたのはカムフだった。
彼はソラを見つけるなり深いため息をつく。
「言っとくけどカムフの分はないからね」
川辺に置かれたブーツに目をやると、その中には三匹の魚が狭そうに泳いでいる。というよりは詰め込まれていた。バケツを持って来なかったため、急ごしらえのそれを用意したといったところだった。
「帰りは裸足で行くのかよ?」
思わず苦笑を浮かべたカムフはそれまで背負っていたリュックを地面に下ろす。
そうしてリュックの中から現れたのは、まさかのヤカンだった。
「これなら入ると思うからこれに入れていきなよ」
「え、ちょ、ちょっと! なんでそんなの持って来てんのさ!?」
取り出した意外なものに驚きソラは目を丸くさせてカムフへと駆け寄る。
「実を言うと弁当作って持って来ててさ。ついでに川でもあればそこの水を沸かして淹れたての紅茶でも…って思って持ってきたんだ。けどまさかこんな方法で使うことになるとは思わなかったな」
そう言いながらカムフはリュックの中から木製の籠を取り出した。中には弁当が入っているのだと彼は付け足す。
「よし。それじゃあもうそろそろ昼頃だしロゼさんと合流して食べようか」
「…っていうかアイツいつの間に居なくなってたの…?」
「俺からしたらソラも同じ状況だったんだぜ…」
呆れた顔で肩を竦めつつ、カムフはブーツに入っていた魚をヤカンの中へと移す。
「とにかく。ロゼさんと合流して弁当にしないか」
「えー…」
ロゼ、という名前が出てきた途端、ソラの顔色が曇り始める。
露骨に嫌な顔とは、まさに今の彼女を言うのだろう。それくらいはっきりとした表情だった。
小さく吐息を洩らし、カムフは持っていたブーツをソラに手渡した。
「この辺の森は一歩奥に入ると結構迷いやすいからさ。早く見つけないと」
渋々といった様子でソラは逆さまのブーツを力強く振る。
奥底に入り込んだ僅かな水滴が零れ落ちていく。
「……ソラがそこまでロゼさんを毛嫌いするのって…本当に外見とか性格とかだけなのか? もしかして…あの日のことをまだ引き摺ってるせいか…?」
おもむろに投げかけられた質問。
突然の言葉にソラはその手を止める。
先ほどまでとは違う冷たい眼差しがカムフへと向けらる。
が、彼女は直ぐに視線を落として答えた。
「違うよ、あの日のことは関係ない―――って言ったら…もしかしたら嘘になるかもしれない。あたしだってアイツが気に食わない理由って…正直よくわかってないし」
木漏れ日によってゆらゆらと輝く水面。それを見つめながらソラは言葉を続ける。
「でも……ちゃんとわかってるから。アイツが、そこまで悪くない奴ってのは…」
声に出すことを躊躇いつつもそう言うと、ソラはブーツをぞんざいに振り回した。
ペチャリと飛び散る水滴にカムフは思わず両手で身構える。
「つ、冷たっ…わかったから、わかったから!」
ソラは口をへの字に曲げて小川から出る。狼狽するカムフを傍目に横切り、それからブーツを履いた。
「ほら、早く行こ!」
「あ、待って、ヤカンは…」
「カムフが持ってくに決まってんじゃん」
半ば怒りの混じった声でそう返してソラは森の奥に姿を消していく。
残されたカムフは取り出していた弁当を慌ててリュックに戻し、ヤカンを手に彼女の後を追った。
「ってかこれソラの分なんだろ。なんで俺が持つんだ?」




