66案
森林を彷徨い歩き、どれほどの時間が経ったことか。
何時間歩いただけなのか、何日も歩いたのか。
進んでいるのか、同じところを回り続けているだけなのかも、今のヤヲには解らなくなっていた。
しかし、それももう止めようかと思い立ち止まろうとした、そのときだった。
「あの―――」
突如聞こえてきたその声にヤヲは驚き、思わず身構える。
が、その腕にはもう武器どころか義手もないことに気付き、人知れず息を呑む。
「こんな時間に…もしかして……迷子、とか…?」
何とも言えないマイペースな女の声。その少しばかり間の抜けたような言葉に、ヤヲは狼狽することすら忘れてしまう。
「ああ…ごめんなさい。目が見えないのね……じゃあもしかして、参拝が目的なのかしら…?」
おっとりとした口調で語るその女性は呆然とするヤヲを後目にその背を優しく押した。
「大丈夫。実は私も参拝が目的なのよ。だからもし貴方がよければ一緒に行きましょうか…?」
優しくも力強くヤヲを導く女性。
心身共に疲弊しきっていたヤヲは抵抗することも出来ず、彼女にされるがまま何処かの屋内へと入っていく。
ガチャリと、開錠される音が聞こえると、それから直ぐに扉が開き、再度二人は歩き出す。
「あの…此処は…?」
「此処はね…嘗てこの国を救って下さった女王様にして『花色の教団』の象徴―――女神アドレーヌ様が眠る聖堂なのよ」
女神アドレーヌ。
その名は何度か耳にしたことがあった。
エナをその身に宿し、そしてエナの力を使い、滅び行く世界を救ったと云われている女王。
彼女はその力を使ったことで神の怒りを買い、裁きを受けてエナの結晶体に閉じ込められたのだという。
だが、伝において彼女は、晶を乱用したがために神から罰せられた『罪深き女』として伝わっていた。
「アドレーヌ様の結晶体に触れた者はその病を治して貰える…なんて噂も一時期あったものね。貴方もそれに肖ろうと思って来たのよね…?」
「まさか…違いますよ。それはどう考えても迷信じゃないですか…」
「あらそうなの? でも折角だもの触れるだけ触れてみたら? 此処は本来立入禁止だし、こんな機会もう二度とないかもしれないわよ」
しんと静まり返った、外とはまた違う、肌を突き刺すような冷たい空気。
人の気配が全く感じられないこと、そして先ほどこの女性が言っていた言葉から、ヤヲはようやく気付く。
「あの、もしかして…今は、夜…なんですか?」
「ええそうよ。もう直ぐ夜明けくらいかしら…もしかしてこっそり忍び込んできたと思った? ふふ、大丈夫よ。ちゃあんと特別に許可は貰っての参拝だから」
くすくすと笑い声を洩らす女性。彼女が本心なのかふざけているのか解らず、そのずれた会話にヤヲは思わずため息を漏らしてしまう。
「見えないと思うけど、わかる? 目の前にあるのがアドレーヌ様の眠る結晶よ」
聖堂の奥。女性に案内されたそこで、ヤヲは結晶体がある方へと手を伸ばす。
本来は立入禁止なのだから、触れる事など以ての外だろう。
だがしかし、ヤヲはどうしてもそれに触れて、確かめてみたいことがあった。
「この結晶体は高純度のエナで出来ているみたいでね…これを破壊することは現在の最新のエナ兵器でも不可能と言われているわ…」
女性の説明に耳を傾けながら、ヤヲは優しく、その結晶体に触れた。
「これは…」
そう呟き、思わず手を放してしまう。
それは少し前まで体内にエナを取り込んでいた―――晶使いとなったからこそ判る感覚。
アドレーヌから感じ取れる、異常な程の膨大なエナの感覚だった。
エナの力は文明や兵器どころか、生命の糧にもなり得る。と言うのは、ヤヲ自身の義眼や義手、ロドの義心臓で充分過ぎるほど知らされた事実。
アドレーヌから感じ取れるそのエナの量は、反乱組織が用意した兵器全てを利用しても有り余るほどの膨大な量であった。
それだけのエナがあれば食事や呼吸すらしなくとも、半永久的に生き続けられる、生かされ続けることも可能だろう。
(…てっきり『眠りについている』というのは単なる比喩だと、思ってばかりいたが……まさか、本当に生きている、のか…今も、この水晶体の中で……?)
彼女のエナが膨大であったが故に、こんなにも長い長い眠りにつくことが許される。
しかし彼女の名が偉大となったが故に、こんなにも悲しく辛い運命を強いられてしまっているようにもヤヲには見えた。
「…これが…罪深き女に大地が与えた罰なのか……それを女神として崇めるには、あまりにも不釣り合い過ぎる…」
と、呟いてからヤヲは慌てて口を噤む。無意識に吐露した不謹慎な言葉に、ヤヲは女性がいるだろう方へと振り返った。
しかし、女性は熱心に祈りを捧げているらしく。ヤヲの呟きは聞こえていないようであった。
女性の沈黙は暫く続き、ヤヲはただ黙ってそれに付き合っていた。




