40案
「なるほど…それで思い出の味っていうわけか」
ヤヲの言葉に、リデは静かに頷く。
生地が焼ける香ばしい匂い、今までに食べたことのないような食感。
暮らしていた里にもなかったあの味は今でも彼女の舌に残っている。
「どうしても…貴方にも食べてもらいたくって…でも…」
するとリデはおもむろに視線をヤヲの方へと向けた。
口角を上げて見せた彼女は、少しだけ悲しい声で「もういいわ」と言った。
「どうして? 二人の思い出の味なんだろ?」
「…」
彼女は無言のまま、歩き始める。
ジュース売りの店に空き瓶を返し、何処かへ、人波の中へと消えていく。
慌てて後を追うヤヲ。
「本当にもう良いのかい?」
「ええ…だって、これだけ探したのに見つからないし…」
いつの間にか空は夕暮れになっていた。白い雲も街並みも朱に染まる時刻。
胸躍るような燃える色の下で、リデの足は重いまま、アジトへと向かっていく。
そんな彼女の背を見つめていたヤヲは、ぽつりと言った。
「でもまだ町の隅々まで探したわけじゃない。それに―――」
そう言うと彼は突如、リデの腕を掴んだ。
彼女の驚きに震えた感覚が、腕越しに伝わってくる。
「どうしても確かめたいことが出来た」
「え…?」
ヤヲの言葉にリデは思わず振り返り、首を傾げた。
確かめたいところへと向かうべく、ヤヲは迷うことなくリデと共にある場所へと歩き進む。
「ねえ…何処に向かっているの?」
「それは着いてからのお楽しみだよ」
そう言って笑うヤヲ。
片や、半ば強引に腕を掴まれているリデは不機嫌そうに顔を背けている。
それでも構わず、彼はリデを目的の場所へと導く。人波を避け、路地裏へと入り、その奥へと進む。
そうして二人が辿り着いた先、そこは―――。
『鍛冶屋』と看板には書かれていた。
「この鉄の匂い…ここって…?」
振り向きヤヲを見つめるリデは、驚いている様子だった。
ヤヲは頷きつつ、リデの背を押し店内へと入っていく。
扉を開け、入った店内は想像以上に狭く、カウンターがあり、奥に椅子が3つばかり置かれている程度だ。
「ああ? こんな時間に客か?」
元来は店名通り鍛冶を生業にしている場なのだろう。
カウンターの後ろには包丁や鍬、鉈といった類から剣や槍に至るものまで丁寧に飾られており、更にその奥からは熱気を帯びた風が流れてきていた。
「すみません…これって今、二つ分頼めますか…?」
「…ああ、ちょいと時間が掛かるがな」
店主はそう言うとカウンターの奥でなにやら準備を始める。
「何を頼んだの、ヤヲ…?」
「待っていたらわかるよ」
その言葉にリデの鼓動は、期待と不安で高鳴り出していく。
と、突如カウンターの奥からジュ―ッという焼けた音が聞こえてきた。
おもむろにヤヲが覗き込んだ先には鉄板が見える。
「この匂い―――!」
間もなく店内に漂い始める油と小麦粉の焼ける匂い。その匂いを嗅いだリデは大きく口を開いた。
「ここ…そう、この席だったのよ……でもどうして鍛冶屋なのに…料理なんて…!」
カウンターの木目に触れながら、懐かしい記憶を蘇らせていくリデ。
彼女は顔を上げ、店主へと尋ねた。
店主の答えは至ってシンプルだった。
「俺の趣味だ」
香ばしい匂いを出しながら、鉄板の上で焼かれていくそれはみるみるうちに形を成していく。
「元は自分が懐かしむために故郷の料理を作ってただけなんだがな…同郷の奴がどうしても食わせろって言うから…頼まれりゃあ提供することにしたんだよ」
焼き音を立て、刻一刻と完成に向かっているだろうその料理をヤヲはコッソリとのぞき見、リデはソワソワしながら待ち続ける。
炒められた細切りの野菜が、薄焼きされた生地の上に乗せられる。
そして素早い動きで店主は木箸を取り出し、それを生地に巻き付けた。
「ほらよ」
二種のソースが掛けられ、カウンターに上げられた料理。
それこそまさにリデの言っていた、『ガレットを棒でまいたヤツ』という形状の料理であった。
「食べてみなよ」
カウンターの席へと座り、リデは恐る恐るその料理を口に運ぶ。
火傷するような熱さの奥に香るソースの独特の風味と野菜の香ばしい味。
間違いなくそれが、リデの求めていた料理だった。
「うん…これだった…」
顔を真っ赤にさせながら、口元を緩ませるリデ。
「それは『はしまき』っつってな…同郷の人間以外でそんな喜ばれたのは久しぶりだな」
店主もリデの食べっぷりを純粋に喜んでいるようで、得意げに口角を吊り上げている。
ハフハフとその熱に悪戦苦闘しながらも頬張る彼女の隣で、ヤヲもまた静かに笑みを浮かべ、『はしまき』を食べた。
「あつっ…」