37案
この地域では珍しくない雨が、その日も一日中降り続いていた。
故郷をアマゾナイトに襲われ、帰る場所と家族を失った少女が命辛々たどり着いた町。
それがここ、ニフテマの町だった。
傷を負ったことに加え、目の前で両親を失ったショックにより視覚障害に陥っていた彼女が、その足でたどり着けたのはまさに奇跡にも等しかった。
だが、その地はネフ族にとってはあまりにも過酷な場所でもあった。
『ネフ族は人々の敵。決して生かしてはいけない。』
そんな呪いの言葉は、幼気な少女すらも外敵どころか害虫扱いだった。
アマゾナイトだけでなく、彼女は町民たちからも追われた。
体力も精神も限界だった少女は、路地裏の袋小路で人生の終わりを迎えようとしていた。
迫る足音、ネフ族は殺せという声。
彼女の中の恐怖が、死への望みに変わった―――そのときだ。
「―――いない…」
「ここに逃げたはずじゃあ」
「小さいガキだ。どこかに隠れたんだろう…早く見つけ出せ!」
そう叫び、散り散りに駆けていく町民たち。
足音がようやく遠くへと消えた後。
少女はやっと、ゆっくりと深く呼吸をした。
彼女は何故か、何処かの室内にいた。
逃げられないと、全てを諦めたあのとき。
誰かが咄嗟に窓を開け、室内へ押し入れてくれたのだ。
「あ、あの…ありが―――」
「おい」
聞こえてきたのは男の声だった。
慌てて少女はあちらこちらと見渡す。
「嬢ちゃん、目が見えないのか…?」
優しくはない声色。
彼女の脳裏に再度過る、町民たちの悲鳴と怒声。
その場から逃げようにも、生憎とぼやけた視界では何が何なのかもわからず。
彼女はその場に身を縮めることしか出来なかった。
「目が見えないってのにこんな町中まで逃げ延びてきたとは…運が良いのか悪いのか。まあ大したもんだな」
男はそう言うと首を鳴らしながら少女の前へと屈みこんだ。
そして、じっと少女を見つめる。
男の沈黙に、少女も息を殺す。
「―――今にも死にそうな顔しやがって…なのに心のどっかではまだ諦めてねえってか?」
そう言って男は口角を吊り上げる。
死を覚悟し、むしろそれを望んだはずの少女。
だが、そう思っていたはずなのに。彼女の手は、男を拒むようにもがいていたのだ。
必死に逃げようと、手足が無意識に後退りをしていたのだ。
「そういう強いヤツは嫌いじゃねえ。だから助けてやる」
彼は少女の顎を持ち上げ、自分の瞳と彼女の瞳を近づける。
少女の視界に彼の顔が映ることはない。
しかし、とてつもない輝きのようなものを、少女はその視界から感じ取っていた。
まるで漆黒の世界を照らそうとする炎のような。そんな輝きだと彼女は思った。
「もし悪あがきでも良いから生きたいって思うなら…ついてこいよ」
男は無理に少女を連れ出そうとはしなかった。
あくまでも彼女の意志を待っていた。
そして彼女はそんな彼の期待に応えた。
震えながらも歯を食いしばり、自らの足で立ち上がった。
本当はこのまま死にたくなんかない。だからここまで、こんなところまで逃げてきた。
そんな気持ちが勝ったからというのもあったが、それだけではない。
(この人は、信じられる…)
その力強く、高圧的な彼の声に、彼女は既に惹かれてしまっていたのだ。
この眼が失われたからこそ理解出来た、彼の嘘偽りのない心からの言葉に。その意思に。
少女は抵抗することなく、男に従い連れられて行った。