34案
リデに言われた通り、ヤヲは少しばかりの仮眠をとった後、アジトの外へと出た。
未だ疲労感が残る身体のせいか、不意に漏れ出る欠伸。
ずれた眼鏡を押し上げつつ見上げた空は快晴で。
地下では滅多に見ることの出来ない、鮮やかな青い空が広がっていた。
「眩しいな…」
照りつける太陽の輝きに思わず目を細めるヤヲ。
と、彼の背後から突然、声が聞こえてきた。
「待ってたわ」
ヤヲが振り返ったその先にはリデが立っていた。
だが彼女はいつものレザーマントとは違う―――真っ白なツーピースを着ていた。
青い髪は麦わら帽子の中へ丁寧に隠されており、遠目ではそうそう気付くことはないだろう。
「に、似合うかしら…?」
いつもとは違う衣装に一番困惑しているのはリデ本人のようで。
あちらこちらに頭を動かし回し、包帯の下から伺える頬は赤く。
まるで、どこにでもいる普通の少女だった。
「似合うよ」
そう答えると、その頬はより一層に赤みを増す。
ぎこちない彼女は顔を麦わら帽子に隠し、ヤヲの腕を掴んだ。
「行きましょう」
照れ隠しのように強めの口調でそう言うリデ。
だが、その口元に描かれる三日月はどことなく緩んでいるようだった。
「何処に行くんだ?」
「服屋さんよ」
歩幅が徐々に早くなる。
ヤヲは苦笑を浮べ、一歩半後ろでついていく。
たった一日の、短い二人の休暇が幕を開ける。
真っ暗闇―――漆黒に染まる空間。
その部屋で男はただ呆然と、放心状態かの如く天井を見つめ続けている。
と、誰かの気配を察し、その緩んでいた表情が引き締まった。
「―――こんな場所にまで、なんのようだ?」
ぴちゃり。彼が浸かっている液体が、波紋を広げる。
物陰からおもむろに現れた男は、その液体に浸かる男を見下すようにして立ち、笑みを浮かべた。
「これは失敬…そのお姿を見られるのは嫌いでしたね」
仮面の男は紳士的な微笑みでそう語る。
だがその笑みには皮肉しか込められていないことを知っている男は、あからさまに嫌悪した表情を浮かべる。
「まあそう邪見になさらないでください…偶に見ておきたくなるのですよ。液体化されたそのエナ溶液に半々日は浸からなければ死んでしまう……その複雑なお身体を、ね」
『同情心』という名目を挙げるわりに嘲笑うような口許を見せる仮面の男。
一層と彼は眉を顰め、仮面男を睨む。
「黙れ。早く用件を言え、ウォナ」
威嚇的な視線に臆せず、ため息すら漏らす仮面の男―――ウォナ。
「先ずは件の彼を引き入れてくれたこと…感謝しますよ。中々の逸材でしょう? 彼がいれば素晴らしい成果が得られると思いますよ」
「…力量はまあまあ、だが。精神面は難アリだな。ああいう奴は優しさ故にいざってときは脆いもんだ」
その言葉にクスクスと笑みを零すウォナ。
それは貴方もでしょう、と含んでいるその嘲笑に、男は顔を顰めたままでいる。
と、そんな彼に向けて、ウォナはおもむろに数枚の用紙を取り出した。
「何だこれは…?」
溶液に浸かったままでいる男は近くの布で手を拭いた後、用紙を受け取る。
「いえ…近いうちに王城を襲撃すると聞きましたので、その参考になればと…」
そこには、近々行わる予定である生誕祭のイベントの一つ―――会食の参加者リスト。その会食場となる場の詳細な見取り図などが書き連ねられていた。
それはまさしく、喉から手が出る程欲しい『密書』だった。
が、しかし。練りに練り上げられた計画を立てた今となっては、それは最早不必要な『情報』となっていた。
「その生誕祝いの会食は仮に情報が漏えいされたとしても、決して中止することの出来ない神聖なイベントです…ので、襲撃するならば最適な場所かと思いますが」
そう言って仮面男は口角を上げてみせる。
片や浴槽に浸かる男の顔にはいつもの傲慢な笑みはなく。むしろいつもにはない怒りがそこにはあった。
「…つまり、この場所以外への襲撃はあり得ない…っつーかやらせない、と言いたげだが…?」
「それは貴方の捉え方次第です」
含み笑う仮面男を、眼光鋭く睨む男。
「…今回の思惑なんだ?」
「思惑、とは…?」
「てめえはいつもそうだ…何か腹積もりがあるときばかり、俺らの前に現れやがる」
「偶然では?」
「そもそも、気にくわねえんだよ―――その、全てを見透かした上で弄んでるようなてめえの態度がな」
ウォナは何も答えなかった。
沈黙のまま踵を返し、その場から去ろうとする。
が、ふと彼の足が止まった。
「……この『情報』を生かすかどうかは貴方の自由です。ただ…貴方がた組織が誰のお蔭で支えられているのか……そこを重々承知の上で、行動してください」
そう告げて、ウォナは頭を下げる。
「それでは、さようなら…ロド様」
そうして、仮面男は漆黒の向こうへと姿を消した。
一人残された男―――ロドは、仮面男の気配がなくなったことを確認した後、再び天井を仰いだ。
漆黒が広がる空間に、その浴槽の水が不気味に輝き、揺らぎ動く。
ロドは静かに口を開いた。
「くそっ…俺らは結局……てめえの道化でしかねえってことかよ…」




