76連
エミレスとフェイケスは王城の屋上に来ていた。
此処にはノーテルの屋敷の庭のように、沢山の花や木々が観賞用に植えられている。
しかし王城の裏庭同様、手入れされた様子は此処十年近くなさそうで。
庭園は雑草に覆い尽くされていた。
「―――フェイケス…どうしてここに?」
彼女は此処にきてようやく冷静さを取り戻し、一つの疑問を投げかけた。
困惑めいた表情を見せる彼女。
だが、フェイケスはそんな彼女の顔を見ようとしない。
それどころか此処に来るまでの間、彼は一切口を開くことはなかった。
「以前……僕の一族の名について、話したね…?」
「…はい、伝ですよね」
「しかし一般の者にはネフ族と呼ばれている」
エミレスの困惑は一層と深まる。
急に何故そんな話をし出すのだろうと。
フェイケスは彼女の困惑を他所に話を続ける。
「昔の言葉で紅蓮やら蒼穹を意味するらしいが…我が一族において『ネ』は神を意味する言葉。そして……『フ』という言葉は否定を意味する…」
その直後。
フェイケスは指先を額に当て、爪を立てた。
紅い瞳に交差し、額から紅い線が描かれる。
「つまりネフとは我らにしては『神に背く』という烙印でしかない! だから俺はこの言葉が嫌いで堪らなかった…!!」
その瞬間、エミレスは首を締め付けられた。
昨夜、頬を撫ぜてくれたその指が今度は彼女を苦しめる。
「ど…うし…て…?」
突然のことに驚きと困惑しかないエミレス。
だが、フェイケスの見せる強い怒りと憎しみの形相は、これまでにない恐怖を植えつけた。
フェイケスは正気に返ると、静かに彼女の首から手を放した。
エミレスは解放され、息を荒くしてその場に座り込む。
「『ネフ』と呼ぶ人間は嫌いだが、名づけたお前の一族は…それ以上に憎い!」
「え…」
「お前ら王族なんだよ…初めに我ら伝にそんな不名誉な名を勝手に付けたのは…!」
口調も今までとは違い荒々しく、見つめるその顔までまるで別人であった。
否、最早別人だとエミレスは思ってしまった。
「…フェイケス…」
気のせいだと信じたい。
エミレスは手を伸ばした。
が、フェイケスは彼女の手を跳ね除け、更には頬を思い切り打った。
彼女の頬が紅く染まっていく。
「俺の名を呼ぶな! 汚らわしい!」
涙が溢れた。
体中が痛くて仕方がなかった。
エミレスは信じられなかった。
ずっと優しくしていた人の、あっけない裏切りが。
「ずっとこの機会を待っていたんだよ…お前のその、恐怖と絶望に震える顔を見るのが…!」
ずっと思い描いていた憧れの、大好きだった人の、非情な笑みが。
エミレスは信じられなかった。
「…俺はずっとお前が嫌いだった、憎んでいた―――だがそれは俺だけじゃない」
フェイケスはそう言うと不気味に黒い笑みを浮かべる。
ゆっくりと近付く男に、エミレスは思わず後退りをする。
つい先ほどまで、あんなに近寄りたいと思っていたはずなのに。
恐怖と困惑と、絶望でエミレスの呼吸は浅く、早くなっていく。
フェイケスはそんな彼女を見つめ、告げた。
「何故お前が皆から嫌われているか、知っているか…?」
「皆から…嫌われる理由……?」
そんなことは知っている。
それは自分が醜いからだ。
王族なのに、見合わないほどに醜くて惨めで――。
だから、嫌われていた。
「見た目等…それは只の一端だ」
フェイケスはそう言うとエミレスの髪の毛を鷲掴みにした。
持ち上げられ、苦痛に歪む顔。
彼女の金の髪は乱れ、されるがままに揺れた。
「嫌われている一番の要因…それはお前の呪われた力だ」
「私の…力…?」
フェイケスは髪の毛を離し、するすると指先から離れていく。
エミレスは解放され、力無く地べたに倒れた。
未だ何も分からず困惑顔でいる彼女に、フェイケスは笑みを零した。
「本当に何にも覚えていないのか、傑作だな…いいさ、思い出させてやる」
エミレスは恐怖に強張らせた。
息さえも止まってしまうほどに体は硬直し、気圧される。
完全に脅えきってしまっている彼女へと、フェイケスは手を伸ばした。
「―――お前は今では殆ど使われなくなった『エナ』という力を持っているんだ」
「エ、ナ…?」
「伝はそれを晶と呼んでいるがな」




