67連
エミレスが姿を消すや否やベイルは声を荒げ、スティンバルに歩み寄った。
「あの子のことは私に任せてって言ったじゃない!? なのに何で私に言わず勝手に食事をしているのよ!」
「お前に任せるのは止めだ。…これからは俺もエミレスのことをちゃんと見守る」
ベイルは顔をしかめさせ、「でも…」と、呟いた。
するとスティンバルは瞳を開け、ゆっくりと彼女を見つめる。
その冷たい視線に彼女は嫌な汗を滲ませた。
「―――昨夜、エミレスが部屋から飛び出した際、後からお前が部屋から出てきたと、聞かされてもか…?」
「!?」
スティンバルの言葉にベイルの瞳は大きく見開く。
誰かに目撃されないよう、ベイルは細心の注意を払って行動したはずだった。
エミレスの部屋へ持って行った自分のカップを、わざわざ持って帰ったほどだ。
「ど、どうしてそのことを…誰が見たと言ってるの?」
「…やはりか…」
「え!?」
夫の突き放したような口振りに、ベイルは眩暈の様な感覚に襲われる。
「まさか…はめた、ってこと…?」
「そういうわけではない。ただ、先ほどのエミレスの怯えようを見れば流石の俺も気付く」
淡々とそう語るスティンバルの双眸は妻を労わるものとはまるで違っていた。
ベイルはわなわなと体を震わせる。
溢れ出る感情に身を任せ、彼女はテーブルを大きく叩いた。
ポットに注がれていた紅茶が大きく揺れ、雫を飛ばす。
「だって! 全部あの子がいけないのよ! あの日、あの子が何をしたか…!」
「おい」
「あの子のしたことでどうなってしまったのか!!」
「止めろ」
「貴方のその目がどうして失われたのか―――」
「いい加減にしろ!!」
スティンバルの掌が無意識に振り上げられる。
が、ベイルの頬に当たる寸前で、彼の手は止まった。
目前の妻がきつく瞳を閉じていたことに気付いたからだ。
静かにスティンバルはその拳を下ろした。
「その話は止めろと前に言ったはずだ」
「いいえ…この際だから言うわ! 私は決して忘れない!! あの日のことは絶対に忘れられるわけがないわ!!」
ベイルはスティンバルの横をすり抜けると、大食堂を飛び出した。
声を掛けようとしたスティンバルであったが、掛ける言葉が浮かばず足も止めてしまう。
今の状態の彼女に何を言っても、聞き分けてくれる性格ではないことを、彼は良く知っていたからだ。
良き王妃、良き妻であろうと懸命に努めてくれる良き理解者。
だが偶に突き詰める余り感情が暴走してしまうこともままある。
本当はとても繊細でもろく、それ故に気丈に振る舞って誤魔化してしまう不器用な彼女。
そんな彼女の全てをスティンバルは心から愛している。
だからこそ、ベイルの暴走に気付いたスティンバルは、心が痛んだ。
「…忘れられるわけがないだろう―――だが、もう終わりにしなくては俺もお前も…エミレスも前には進めないんだ」
窓の外では、更に暗雲が空を覆い薄暗く染めていた。
彼方遠くからは雷鳴が轟いていた。
と、近くの雲間から雷光が輝く。
間もなく轟く、地鳴りのような雷鳴に気付いたスティンバルは、窓向こうの景色へと視線を移した。
「―――不吉な空だ」




