62連
エミレスの従者として王城の一室に住み込んでいるラライ。
しかしこの時刻―――深夜帯になると王城は侵入者を阻むべく、城の正門へと続く唯一の架け橋を上げてしまう。
ラライが辿り着いたときには案の定架け橋は上げられており、中に入ることは出来そうになかった。
すっかり身体は冷え切り、疲弊しながらも王城前に辿り着いたラライは目の前の光景に、ため息と舌打ちをほぼ同時に洩らした。
「くそ…時間を掛け過ぎたか……仕方がない、今日は宿でも借りるしか―――」
そう思い、踵を返そうとしたラライ。
が、彼はある違和感に気付き、慌てて振り返った。
架け橋の向こう側―――本来ならば閉め切っているはずの正門が、僅かに開いていたのだ。
「なんで…?」
こんな嵐の夜だというのに、人一人が通れるくらいに開かれた両開きの大きな扉。
目を凝らしよく見て見れば、何故か門番の姿さえない。
あってはならないだろう状況に、ラライは嵐の中しばらくその門を眺め続けていた。
と、そのときだ。
こんな嵐にも関わらず、その正門から飛び出して来た人影をラライは見つけた。
「なっ……エミレス…?」
思わず顔を顰めるラライ。
遠目であったが、それは間違いなくエミレスであった。
彼女はラライに気付いてはおらず。
それどころか不穏な動きを見せていた。
架け橋が上がっていると知るや否や、エミレスはその横側―――石煉瓦で出来た縁の上へとよじ登った。
激しい雨のせいで彼女の顔もよく見えない。
ただ、嫌な予感だけはラライに走った。
「止めろッ!!」
自然と出た大声で、ラライは訴える。
と、彼の叫びに気付いたのか、エミレスはラライの方へと顔を向けた。
手を伸ばしているように見えた。
何かを求めているように見えた。
だが、遠い対岸に立つラライにはどうすることも出来ず。
次の瞬間。
自分から落ちたものか、嵐に突風に浚われたのかはわからないが。
彼女は橋下の湖へと落ちていった。
「ば、馬鹿が……!!」
ラライは急ぎ身を乗り出し、湖を覗く。
本来ならば透き通った美しい湖面は、夜の嵐によって暗黒の塊のようであった。
エミレスの姿はなく、そのまま溺れて沈んでしまったのかもしれない。
「くそ…!」
早く助けにいかなくてはと焦る中、ラライは何故と、困惑もした。
今日最後に見た彼女は、満面の笑みだったのだ。
こんな嵐の夜に飛び出てしまうような、こんな事態になるような素振りは微塵もなかったのだ。
一刻も早くエミレスを助けるべく、ラライは縁へと乗り出し、湖へ飛び込もうとした。
が、しかし。
水面へ飛び込んだのはラライではなかった。
彼よりも早く、エミレスの後を追い飛び込んだ人影がいた。
王城側の岸から颯爽と姿を現したその人物は、荒れる水面からエミレスを的確に救い上げる。
まるで彼女を救うべく現れた王子のように、その人物はエミレスを抱えたまま近くの畔まで泳ぎ切った。
この嵐の夜。一歩間違えれば自分も溺れてしまうような濁流を、迷わず飛び込むなど早々できるものではない。
ラライでさえ、一瞬の躊躇はあったのだ。
「何者なんだ、アイツ…」
そう呟き、ラライは湖畔の対岸で様子を伺う。
雨音で会話が聞き取れるわけもないが、それでも見ずにはいられなかった。
「―――しっかりしろ、エミレス!」
エミレスの名を呼ぶ声。
一瞬、彼女はラライかと思った。
手元を滑らせて橋から落ちる直前、彼を見た気がしたからだ。
虚ろげに瞼を開け、エミレスは目の前の光景を見た。
「……ごほっ……あ…っ…」
暗がりであるが、特徴ある彼の双眸に気付き、エミレスの瞳は大きく開く。
「…フェイ…ケス…?」
次第に意識が鮮明になり、それが彼であることを確信する。
唇が自然と震え、目頭が熱くなっていく。
「良かった…偶々通りがかって…落ちたのがまさか君だとは思わなかったけど……」
フェイケスは優しく、しかし力強くエミレスの手を握った。
彼の温もりが濡れた手に広がっていく。
「……会いたかっ…た…」
エミレスの頬へ溢れた涙が零れ落ちていく。
零れる雫が、嵐の雨と交じり合う。




