61連
「―――わしはかつて王宮勤めの学者じゃったが、趣味が高じて庭師も兼任しとった…王城の裏庭はすっかり荒れ果てたと聞いておるが、あそこを綺麗に整えるのがわしの役目だったんじゃよ…」
突然、老人はゆったりとした口調で思い出話を始めた。
何の脈絡もないだろう話にラライは苛立ちを抱きつつも、一応耳を傾ける。
「しかし、十年ほど前に左腕を痛めてしまってのお…それを気に職を辞することとなったんじゃ。王城からは余生を楽して暮らせるほどの大金も貰ったのう」
「…しっかり大金積まれてんだろ。随分と太っ腹な勅命だな」
やはりそういうことかと、ラライは舌打ちを洩らす。
王城内にも一切残されていなかったエミレスの情報。
そして『あの日』を知るだろう者たちへの徹底された口止め。
間違いなくそれは、こうしたことを容易く実行できる人物―――国王クラスの者が命を出しているという確証に繋がった。
そうなると遂には国王から直接聞く他ないかと、ラライは純粋に落胆しもう一度舌打ちする。
と、老人は窓の外を眺めたままおもむろに言った。
「時にラライさん…王城内の資料室には行ってみたのかのう?」
「ああ、だが生憎エミレスの情報は何もなかったがな」
老人は蓄えられた白い顎鬚を擦り、答えた。
「では…そこにあるじゃろう『レーヴェンツァーンの花』という本を探してみるとよい」
意外な名前に、ラライは目を丸くする。
それと同時に、彼は疑問符も浮かべた。
「あー…急にどういう風の吹き回しだ?」
「そう勘ぐりなさんな…お主の熱意に負けたというのと……孫が随分と世話になったらしいからのう」
その礼じゃ。そう言って老人は笑い声をあげる。
「わしが大切に見守ってきた花についてが書かれておる。目を通してみるとよい」
そう言うと老人はラライを一瞥した後、再度無言で窓を眺め始めた。
彼の言葉は、ラライの求めていたそれとは全く程遠い答えだった。
が、『礼』と言っている以上、何か意味のある書物なのだろうと思い直す。
藁にでも縋る思いでいるラライは老人を信じ、踵を返した。
「一応目は通してみる…それと、あんたの孫のことについては…謝らないからな」
「むしろ感謝しておるくらいじゃよ。国王の耳にでも入っておったらどうなっておったことか」
老人はそう言うとまた笑みを零す。
と、彼は立ち去ろうとするラライを呼び止めた。
「ラライさん…最後に一つだけ、良いかのう…?」
「なんだ?」
ラライは足を止め、目の端で老人を捉える。
怪訝そうに渋い顔を見せる彼をしり目に、老人はゆっくりと席に戻り、腰を掛けた。
「わしはお主の言葉を信じることにした…じゃからわしが託された大事な種をお主に託す……大事な花を託したのじゃ…それをゆめゆめ忘れぬようにな…?」
その台詞も、今のラライには理解できないものだった。
だが、その言葉の意味も次期にわかることなのだろうと察し、彼は静かに頷いた。
ラライは改めて踵を返し、老人の家を後にした。
夜も更けようとしている時刻。
外は雨風が強まり、轟々と風が靡き、木々を揺らしている。
雨は横ぶりで冷たく、そして痛い。
久しぶりに酷い嵐の真っ最中であった。
「ちっ…面倒な天気だ…」
舌打ちを洩らしそうぼやくと、ラライは急ぎその場を駆けていく。
雨よけのコートもなく徒歩で来ていたため、彼の身体は直ぐに雨のせいで濡れていった。
頭に靴、服までもがずぶ濡れとなっていく中。
おもむろに脳裏を過ったのは、先ほど老人が飲んでいた温かそうな紅茶。
早く帰ってゴンズの淹れたお茶を飲みたい。
そんなことを思いながらラライは王城を目指し、更に急ぐべく駆けて行った。




