56連
「彼女が『王子様を待つ悲劇のお姫様』になるには必要な策なんです」
そう言いながらリョウ=ノウはようやくベイルを解放する。
塞がれていた口を放された彼女は、急ぎリョウ=ノウから距離を取る。
壁伝いに後退りつつ、荒くなった呼吸をそのままに彼を見つめる。
「しょ、正気なの…それをするってことがどれだけ恐ろしいことか……」
ベイルは彼が口にした策というのがどれほど大変なことか、重大なことか。充分よく知っていた。
それは、リョウ=ノウもよく知る『忠告』に関わることだった。
「心配はいりませんよ。今くらい前向き思考なら早々問題は起きませんので」
「本当に? 私は“あの日”の最悪の事態だけは絶対に起こしたくないのよ…」
そう言ってベイルは目線を下に落とす。
不意に脳裏で過去の光景が蘇ってしまったからだ。
湧き上がる恐怖に、彼女は唇をきつく噛みしめる。
「大丈夫ですよ。全ては計画通りに進みます―――ベイル様が彼女の背中さえ押してくだされば、ね…」
リョウ=ノウは力強く頷き、微笑む。
無邪気にも真っ黒にも見えるリョウ=ノウの笑顔。
その不気味さにベイルは思わず息を呑む。
先ほどまでの気丈さは消え失せ、恐怖に青ざめた顔でベイルは尋ねた。
「一つだけ答えて。私がそれを手伝えば、本当に……エミレスを此処から追放するっていう目的が果たせられるのよね…?」
口に三日月を描き、リョウ=ノウはもう一度肯定に首を縦に振った。
木々が風により揺れ動き、葉が音を奏でる静寂とした裏庭。
そこに先ほどまでいたベイルの姿は無く。
リョウ=ノウ一人だけが残っていた。
と、おもむろに彼は口を開く。
「良い返事が聞けて良かったよ―――それじゃあフェイケス、君はその時が来るまで準備しておいてね?」
語り掛けられ、それまで静観していた男―――フェイケスが反応する。
隠れていた木の枝から飛び降り、リョウ=ノウの傍へと近寄る。
蒼い髪を靡かせ、その紅い双眸でフェイケスは目の前の彼を見つめる。
「そう言えば聞いた? あの子、今でも君のことを想っているらしいよ」
無邪気に笑いながら話すリョウ=ノウに、フェイケスは「そうか」と返した。
「計画が順調である証拠だな」
「そうだね、でもさ……」
そう言うと突如、リョウ=ノウはフェイケスの胸倉を強引に引っ張った。
木陰にいた彼の身体は、太陽が当たる日向の中へとせり出される。
眩く照らす日の光に、彼は思わず眉を顰めた。
「絶対に感情移入はしちゃだめだよ…君は僕のものなんだからさ……」
冷酷な笑みが眼前に迫る。
フェイケスは同じく冷徹な顔を見せ、冷静な声で答えた。
「無論だ…元よりアレに好意どころか感情すら抱いたことがない」
その言葉を聞き、リョウ=ノウはを笑みを浮かべたまま、彼の胸倉から手を放した。
「よくできました。さすがは僕の駒だね…その調子で頼むよ」
その会話の後、二人は共にその場から姿を消した。
足音も、痕跡も残さず。
其処に残されたのは、不穏に揺れ動く木々の騒めきのみであった。




