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そして、アドレーヌは眠る。  作者: 緋島礼桜
第二篇   乙女には成れない野の花
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53連










 そして、エミレスはこの日も部屋の外へと向かっていく。

 『部屋の外へ出る』。

 たったそれだけのことかもしれない。

 しかし『人間』という恐怖を知った者が、そのたった一歩にどれだけの勇気を必要とすることか。

 実際は誰も見ていなくとも、その声が、視線が、集団が、どれだけ恐怖なことなのか。

 ラライも、少しばかりは理解ができた。

 だからこそ、あそこまで引き籠ってしまうほど傷ついた彼女が、今こうして笑っていることが、とても重要で大きな変化なのだと、ラライは素直に喜ばしかった。






 大食堂前へとやって来たエミレスは、数人の侍女と共に開かれた扉の向こうへと歩いていく。

 その姿は煌びやかなドレス姿ではなく、いつものツーピースにカーディガンを羽織った軽装だ。

 だからか、彼女の顔には緊張感も不安もない。


「また…後で」

「ああ」


 ラライはそんなエミレスを見送り、扉の向こう側で立ち止まる。

 護衛ではあるが流石に眼光鋭い男が横に立っていては、食事もし難いだろうと、ラライの配慮で同行はしないでいた。

 と、おもむろに世話役のクレアが、ラライの隣へとやって来る。

 彼女は大食堂の向こうへ歩むエミレスの背を見つめながら口を開いた。


「―――以前、知人の侍女からエミレス様のノーテルの別邸での生活について、一度だけ聞いたことを…今更思い出しました」


 クレアの言葉に、ラライは僅かに眉を顰める。

 彼女は知人の侍女を思い返し懐かしんでいることだろうが、その侍女はもうこの世にはいない。

 そして、別邸での事件は未だ秘匿とされているため、クレアは知人の訃報を未だ知らないのだ。


「エミレス様はその頃から部屋や屋敷によく籠っていた、と聞いていました。私はそれをご病気のせいだと、決めつけておりました…」


 僅かに俯き語るクレア。

 おもむろにラライは視線を正面へと戻す。

 既にそこにはエミレスの姿はなかった。


「しかし、それは間違いだったのですね……エミレス様はもしかすると変わりたいと思っていたかもしれないというのに、その勇気がなかっただけかもしれないのに、誰も気付くことが出来ませんでした…本当に申し訳ない気持ちがつきません…」


 懺悔とも取れる言葉の後、クレアは祈るように両手を合わせる。

 一方でラライの眼つきはより一層と、きつくなっていく。


「…きっかけなんて些細な場合もありゃあ、そう簡単じゃない場合もあるだろうさ。現にリャン=ノウの姐さんは誰よりも姫様を気に掛けてたずなのに…籠ったままだったんだろ?」


 思ってもみなかった返答にクレアは目を見開き、ラライを見つめた。

 彼女の驚いた視線を後目に、ラライは踵を返す。


「オレの言葉は状況が状況だったから受け入れてくれただけだろうし―――どんな奴かわからん相手から、生き甲斐みたいなきっかけを貰える場合もある」


 そう言ってラライは侍女に背を向けたまま、その場を立ち去った。





 宛ても無く通路を歩きながら、ラライは小さく舌打ちをした。


『フェイケス』


 それは先刻クレアとの会話中、彼の脳裏に浮かんだ名前。

 かつてエミレスが洩らした誰かの名前だった。

 聞いた当時こそ知らない名前かと思っていたが、ラライは以前その名を耳にしていたことを思い出した。

 それは、リャン=ノウからの定期連絡の際にゴンズが呟いていた名前だった。




 定期連絡はリャン=ノウとゴンズ以外の誰も知らない独自の暗号文で行われていた。

 “隠し玉”として身を潜めていたが故、伝書鳩も一方的なもので、此方の返答は不可能という随分と機密に溢れたものであった。

 そんなある日、その連絡文を読んだゴンズが不意に男の名を洩らしていたのだ。


(じいさんなら何か知っている…が……)


 と、そんなことを考えたところでラライの足が止まる。

 その人物を今調べたところでどうなるというのか。

 直後、彼は深いため息をついた。


「…そいつについて調べるのは姫様が会いたいと言い出したらでも、まあ遅くはないか……」

 

 ラライはそう結論付け、それ以上フェイケスについて考えることを止めた。

 そして通路の奥、暗闇の向こう側へと、ラライは静かに姿を消した。









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