45連
ベイルの姿が見えなくなると同時に、ラライは頭を押さえていたゴンズの手を振り払う。
力強く顔を上げ、彼は舌打ちを洩らした。
「オレはあいつが気にくわん。いや、あいつだけじゃない…この城全部が嫌いで堪らねえって」
「エミレス様も、か?」
「ああ。この城は何かが狂ってる…!」
はっきりとそう言い放ち、ラライは一層と眼つきを鋭くさせた。
そんな気を荒立てている弟子を見つめながら、ゴンズはため息をつく。
するとおもむろに遠い目で、彼の言葉を否定せず言った。
「そうかもなしれんの…あの日からこの城の方々は狂ってしまったのやもしれん…ベイル様もエミレス様も昔はあのようではなかった―――」
「あの日?」
ラライの疑問を聞き、ゴンズはわざとらしく咳払いを一つ漏らす。
「国王も何か隠してるようだったが…あの日ってのは何だ? じいさんも国王も何を隠してるんだ…?」
と、詰め寄ろうとするラライをかわすように、ゴンズは持っていた籠を彼に押し付けた。
「おい、どういうつもりだ?」
思わず質問の矛先が変わってしまう。
しかしそれも無理はなかった。
何故ならエミレスへ食料を手渡す仕事は、ゴンズの役割であったからだ。
「今日は古傷が痛くてかなわん…代わりに頼む。ま、お前さんには難しい仕事じゃろうがな」
「何だと…? これを渡すだけだろうが?」
「そうかもしれん。じゃが、お前さんは人の心情にはいささか疎過ぎるからの…」
思い当たる節はある。
的を射抜かれたラライは不意に顔を顰めた。
弟子のそんな様子を察し、ゴンズは口端をつり上げた。
「密偵とは相手の心理を探ることが基本じゃ。それを忘れるでないぞ」
そう言うとゴンズは木の葉が地に着くよりも早く、その場から颯爽と姿を消した。
結局聞きたいことは聞けず仕舞いとなってしまい、ラライはため息をつく。
一人取り残された彼は託された籠を暫く見つめた後、ぽつりと呟いた。
「どこの古傷が痛むってんだ…ったく」
ラライがそこへ足を運ぶのは半月ほど久しぶりだった。
脳裏に過るのは、虫の息とも思えるほど衰弱していた彼女の姿と。
それでもラライを恐怖し、怯えていた彼女の様子。
あのとき以来の再会だった。
「―――おい、生きてるか?」
以前と同じく、城の屋上にある庭園から壁伝いに窓へと侵入するラライ。
部屋は半月前と変わらない様子で、騒然としていた。
乱雑に並ばれたタンスや棚のつい立。
散らかったドレスや化粧品。
鏡の類には全て布切れが被せられており。
床は窓ガラスが未だに散乱したままであった。
が、これはラライのせいでもあるのだが。
「おい…」
そんな中、エミレスはベッドの上に座っていた。
両足膝を抱えるように座り込み、顔を俯かせている。
それも半月前と変わらなかった。
ラライは彼女に近寄り、背負っていた籠を見せつける。
「ほら、持ってきたぞ」
しかし、反応はない。
暫くその状態で待ってみたが、彼女の反応のなさに少し不安を感じ、彼は彼女に触れようと手を伸ばした。
その瞬間、エミレスは顔を上げた。
「フェイケス…」
そう呟いた彼女はその途端に涙を流した。
既に何度と流しているだろうその涙は、彼女の頬に筋跡を残している。
ラライは一瞬たじろいでしまう。
が、直ぐに冷静さを取り戻し、持っていた籠をエミレスの前に押し付けた。
「やつれ過ぎだろ…受け取れってさっさと食えよ」
しかし、それでもエミレスは虚ろげな様子で。
まるで人形のような顔で籠を一点に見つめていた。
気まずい雰囲気が流れる。
ラライは額を掻きながら、気紛れに尋ねた。
「なあ……ちゃんと、飯食ってるのか…?」
しかし、当然返事はなく。
それどころかエミレスは再度顔を俯かせ、ラライから視線を逸らしてしまった。
そして、その後も彼女が口を開くことはなく。
ラライは顔を顰め、舌打ちをする。
それから直ぐに、彼はそのまま無言で帰ってしまった。




