32連
「―――小さい頃から、私は独りで、ずっと別邸に暮らしていました」
おもむろに、そう口を開くエミレス。
ラライに聞こえるか聞こえないかくらいの声で。
まるで独り言のように。
「独りと言ってもリャンやリョウ…それに侍女たちもいたから独りぼっちじゃなかったけど…でも、あの場所で暮らしてから、ずっと貴族のマナーしか習ってこなかったから…座り方を注意されたのは初めてです」
ガタガタと揺れ動き続ける荷馬車。
たまに揺らめく幌から覗く夜空には、満天の星空が照り輝いている。
「そうなのか。リャン=ノウ姐さんは“見た目によらず無茶なこともする一途な子”って見てたらしいから…てっきりもっとお転婆なお姫様かと思ったぜ」
「えっ?」
驚き、目を丸くするエミレス。
「たまに連絡がてら送られてくんだよ、手紙がな。まあ、俺は目を通したことはないんだが…」
第三者から聞いたリャン=ノウの言葉。
初めてそれを耳にしたエミレスは驚きと同時に、胸の奥が熱くなっていった。
「そう思われていて意外だったか?」
「いえ…いつも言われていた通り…です……」
目頭が熱くなっていき、エミレスは咄嗟に水晶を握り締める。
その後は、何かを話すことなく彼女は口を閉ざした。
静寂とする車内。
気まずい空気は未だ変わらないものの、それでも先ほどのような視線を感じることはなくなっていた。
エミレスは静かに吐息を洩らしながら、近くにあった積み荷へゆっくりと寄りかかる。
と、彼女は今頃になってある疑問に気付いた。
「あ、あの…」
「…」
「あの…!」
声を大きめにして尋ねてから、エミレスはまた気付く。
車内の対面に座っていたラライが、いつの間にか眠っていたことに。
色々と迷惑を掛けてしまっていたようだし、疲れていたのだろうと。
起こしてしまってからエミレスは後悔する。
「あー…なんだよ…?」
不機嫌そうな声と、先ほど以上に鋭い目線が向けられ、エミレスは慌てて下を向く。
「あの…この―――」
「早く言えって」
急かす声に肩を揺らし怯え、エミレスは急いで答える。
「あっ…こ、この馬車は何処に、向かって…いるのか…」
「…あー、それか。説明してなかったな」
ラライは大きく息を洩らす。
あぐらをかき直し、頬杖をつきながら彼は言った。
「行き先はあんたの実家。つまりアドレーヌ城だ」
今からおよそ300年以上前。
かつて“暗黒三国時代”と呼ばれていた頃。
その三国が交わる国境の―――戦場の最前線であったその地が、今ではアドレーヌ王国・王都エクソルティスと呼ばれている。
この王都が華やかな国の象徴となるまでには、アドレーヌ王国初代国王フルト・シー・リンクスによる尽力で築き上げられた長い歴史があるわけだが。
それを語るのは、また別の話だ。
―――とにかく、アドレーヌ王国国王が住まう王城は、そんな王都エクソルティス内にある大きな湖、エクソル湖の浮島に建てられていた。
元々は旧王国時代に使われた砦をそのまま改築されたもので。
その巨大城には王族の住まいだけではなく、執政室や会議室。
国内最大級の図書室や最新の研究施設も存在していた。
その湖上の王城、最奥に位置する謁見の間。
そこには玉座を中心にレッドカーペットが引かれ、左右対称に兵たちが並んでいた。
と、突如正面の大きな扉がゆっくりと開き、姿を見せた兵士が一礼する。
「申し上げます!」
王の前へと駆け寄ったその兵士は片膝を地に付け、続けて叫んだ。
「ノーテルの別邸襲撃の件ですが…妹君はご無事のようです!」
王と呼ばれるにはまだ貫禄が足りない青年は、至って冷静に、無言で兵士を見つめている。
「現在、妹君は密偵と共に王城へ向かっているとのことです。襲撃の詳細については密偵から直に報告すると―――」
「そうか、もう下がってよい」
国王にそう告げられ、兵士はもう一度一礼し、謁見の間から退場していく。
すると国王は直立不動で並ぶ兵士たちを一瞥し、口を開いた。
「彼の話しを聞いての通りエミレスは無事だそうだ。が…襲撃者の正体、別邸の現状については不明のままだ。よって、王国騎士隊第一部隊は襲撃者の捜索。第二部隊はノーテルへ赴き別邸の現状調査。そして第三部隊は念のため王都周辺の警備に当たるように」
直後、兵士たちは揃えた声を上げ、一斉に退出していった。
残されたのは玉座に座ったままである国王と、その傍らに立つ大臣。
「エミレスが…戻って来るか……」
誰に言う訳でもなく漏れ出た独り言。
次いで彼は場の雰囲気とは似つかわしくないため息をつき、その双眸で遠くを見つめた。
片方はエミレスとよく似た碧色の瞳。
しかしもう一方の目はその大きな傷痕により、開く事はない。
「久し振りになるか…あれから元気にしていただろうか…」
ぽつりとそう呟き、彼は静かに微笑む。
だが、思いを馳せる国王とは対照的に、大臣は曇った表情を浮かべていた。
国王には見えないように隠れながら。




