30連
―――屋敷が襲われた。
その意味くらいはエミレスもわかっている。
屋敷がどうなったのか。
屋敷の人たちはどうなったのか。
リャン=ノウやリョウ=ノウはどうなってしまったのか。
彼女は酷い不安と後悔に襲われる。
もしかすると自分の身勝手な行動のせいで、屋敷が襲われてしまったのではないかと。
「…いや、襲われたと言いましてもな、リャン=ノウからの定期連絡が途絶えたことにより我らが動く、という約束ごとじゃったんで…どのような状況なのかはわかっておりやせん。ただ、どのような状況だとしても、エミレス様を最優先に守ることが使命なので……」
必死に、口早に説明するゴンズ。
だが彼の言葉は全く耳に入っておらず。
エミレスはゆっくりとその場に立ち上がる。
「帰ります…屋敷に……」
そうは言っているものの、激しい動揺のせいか足に力が入らず、立っていることがやっとの状態だった。
「だめです…!!」
「でも…でも……!」
エミレスは荒くなる呼吸を押さえ、爆発しそうな感情を抑えながらも、心だけは屋敷へと向かっていた。
ついさっきまでの自分の行動が、今は恨めしくてたまらない。
どうして屋敷を出てしまったのか。
どうしてあそこで待ち続けていたのか。
どうして―――もっと早く屋敷に帰って彼女に謝らなかったのか。
「行かない、と……!」
湧き上がる想いが、エミレスを錯乱させる。
二人を助けに行かなくてはいけない。
屋敷を取り返さなくてはいけない。
いつもの平穏の日々に戻らなくてはいけない、と。
「リャンが、リョウが…みんなが…!」
もしもの、最悪の事態までもが頭を過り始める。
そう想像してしまっては、エミレスの暴走は止まらない。
苦しさと憤り、恐怖、後悔。
それらから逃れるか如く、エミレスは無我夢中で掌を彼方へと伸ばした。
「お願い、帰してぇ…!!」
が、次の瞬間。
エミレスの頭は真っ白になった。
ぱんッ!!
頬にじんわりと、鈍い痛みが伝わる。
そこに涙が零れると余計に痛みが沁みた。
「あー…面倒くせぇな…アンタが行って、なんになるってんだ?」
いつの間にか、エミレスの目の前にはラライが立っていた。
それは、生まれて初めてされた平手打ちだった。
その意外さと驚きに、エミレスの思考が飛んでしまう。
「おいラライ! お前は何と恐ろしいことを…」
「動揺するのはわかる。が、頭を冷やせ! でもってちゃんと考えろ…どうしてオレたちが此処に居るのか」
強制的に真っ白にされたエミレスの脳内に、ラライの叫びは良く響き、胸を貫いた。
「オレらはリャン=ノウの姐さんの合図で動くように命じられている…わかるか? それはつまり、アンタを助けたいって姐さんの思いがあるから、オレらは此処に居るんだ。だがな…アンタが行っちまったらその願いを踏みにじることになるんだ」
エミレスは静かに手を下ろした。
立ち尽くしたまま、俯いた。
流す涙を止めることもなく、打たれた頬を撫でることもなく。
そしてしばらくの無言の後。
小さく弱く、頷いて見せた。
緊迫した瞬間が過ぎ去り、ゴンズは慌てて濡れた布を手にエミレスへと駆け寄る。
「すんません、あのばか弟子がとんでもない粗相を…ちゃんと叱りつけやすんで…!!」
そう言いながら何度も深々と頭を下げるゴンズ。
しかしエミレスは彼が持ってきた布を受け取ることなく、頭を振った。
「私は大丈夫、ですから…叱らないで、あげてください……」
涙声ながらに無理やり口角を上げ、ぎこちない笑みを作る。
ゴンズの心配そうな顔を後目に、彼女はゆっくりと歩き出していく。
だがそれは何処かへという訳ではなく、馬車の方へだった。
「少し…休みます…」
小さな声でそう言うと、エミレスは一礼するゴンズを見ることなく、馬車の中へと戻っていった。
歩くのもやっとの状況で、中へと入り込んだ彼女はその場に座り込んだ。
様々な感情に襲われ、酷い後悔にどうにかなってしまいそうになりながらも。
エミレスは自分の気持ちを精一杯に押し殺す。
漏れ出そうな声を押さえながら、無意識に掌はあの水晶へと伸びた。
その水晶体に触れていると、不思議と張り詰めた気が抜けていくようで安らぐのだ。
「ごめんなさい…リャン、リョウ……どうか、無事でいて…」
せめてもという願いを込めて、エミレスは懺悔するかの如く両手を合わせ、独り静かに祈り続けた。




