第二話 神霊の町スファン
スファンは清潔感のある華やいだ町だった。
防壁の類はなく、広大な果樹園と農園に囲まれている。衛兵の詰め所があちこちにあるものの、道に迷った観光客の案内などもしていて和やかな空気が漂っている。
白いタイルに覆われた道の左右に重厚感のある木造建築が並んでいる。道へと張り出した明るい色の雨避け布の下で土産物屋が客を呼び込んでいた。
著名な建築家が手掛けたという広場には噴水がある。地面に張られたタイルは様々な色が規則的に配置されており、広場を囲む商店街や飲食店のテラス席から見下ろすとスファンの姿を描いていると分かるらしい。
そんな広場の入り口で、リオとシラハは護衛についてきてくれたジャッギ達と別れた。
「ここまでありがとう。また会おう」
「おう。ほとぼりが冷めたら――っていうのは語弊があるか」
ジャッギが言葉を見つけられずに苦笑して、言葉よりも分かりやすいと手を差し出してきた。
リオはジャッギの手を握り、握手を交わす。
「リヘーランに立ち寄る時には顔を出すよ」
「そん時には練習試合でもしようぜ。結局、直接手合わせしないままだったしな」
「望むところだよ」
ジャッギ達の姿が人混みに消えるまで見送って、リオはシラハを見る。
「いい奴らだったね」
「そう?」
「お前さぁ……。こういう時は空気読めよー」
人に興味を示さないのは今更とはいえ、流石にリオも心配になる。
「ちゃんと人にあったら挨拶をして、いろいろと話をしておこうよ」
「なんで?」
「なんでって、思わぬ発見があったりするかもしれないし、何か困った時に協力してくれる友達になるかもしれないだろ」
「ユードみたいのもいる」
村の悪ガキ代表の名前を出されて、リオは唸る。
「ま、まぁ、あの手のいじめっ子もいるけどさ。レミニとは友達になれただろ」
「見極めるのが大変」
「見極めるためにも交流しないといけないんだよ」
「調査であちこち行くのに?」
「話の土台が土砂崩れを起こすから正論止めよう?」
形勢不利と見て、リオは広場に設置されている案内板を見る。
この広場は東西南北がすぐにわかるように屋根の色が方角ごとに変わっている。案内板を見ればどちらへ行けばいいのかすぐに分かった。
観光客の波に流されないよう、シラハの手を取って歩き出す。
「神霊スファンはこっちらしい」
追手がかかっていれば撒くのがこの町に来た目的だが、せっかくなら神霊とやらを拝んでいきたい。
シラハはあまり興味がなさそうだったが、リオに手を引かれるままついてくる。
この町の観光の目玉だけあって、観光客も一気に増えてくる。
人々の頭越しに見えてきたのは巨大な果樹だった。
大人が五、六人で手を繋いでようやく囲えるかどうかの太い幹。管理されずに伸び放題の枝は悠々と広がっている。この町の特産であるフィルズの実をつけるその果樹は幹の太さの割に樹高は低く、二階建ての民家と同じ程度の高さだった。
観光客が近付けないように鉄柵がぐるりとフィルズの木を囲っている。観光客たちは案内人によって数組に分けられ、鉄柵へと案内されては一定時間ごとに別の組にその場所を譲っていた。
観光客の列に揃って並びながら、リオはフィルズの木に目を凝らす。
立派な巨木ではあるが、件の神霊スファンはあの木を縄張りにする鳥の姿をしているらしい。
今は巨木を覆う枝葉の奥深くに隠れているらしく、観光客たちは残念そうにその場を後にしていた。
これは自分たちも望み薄かと若干諦めつつ、リオはシラハと共に鉄柵へと近づく。
すると、興味なさそうだったシラハがふとフィルズの木の一点を注視した。
「なにか来る……」
「なにかって――」
最後まで言い切る前に、隣にいた観光客が悲鳴にも似た歓声を上げた。
まさかと思い、リオはシラハの視線を辿る。
フィルズの木の太い枝の上を器用に歩きながら、白く大きな鳥が姿を現した。
「あれが、スファン……」
形状は鳥で間違いがない。だが、器用に歩くその脚は三本あり、鳥にしてはやや長い首は白い鱗で覆われている。翼は羽毛に覆われているが根元から翼の先へと鮮やかに白から青へと移り変わる。
身体とほぼ同じ長さの長い尾羽には連なる白い鱗が混ざり、スファンが歩くたびに鱗がこすれ合って涼しげな音を立てた。
「意外と生物の範疇に収まる姿だね」
神霊というから想像もつかない姿ではないかと思っていたが、常識的な姿で安心する。
リヘーランを襲った触手の生物、ブラクルの方がよほど奇想天外な姿だった。
しかし、神霊だけあって異質な空気感だ。鱗が奏でる音だけでなく、その清涼な雰囲気が周囲を清めている気さえする。
スファンが枝の上を歩きながらじっとこちらを見つめている。
枝の端までやってきたスファンが翼を広げた。
どうやら飛ぶところも見られるらしいと観光客たちの注目が集まった瞬間、スファンが飛び立ち――まっすぐにシラハへと向かってきた。
遠目には大きさが分からなかったが、近づいてくるほどにその大きさが分かる。雉よりも一回りか二回り大きい。
長い尾羽と連なる鱗をなびかせてまっすぐにシラハの前までやってきたスファンは鉄柵の上に止まると、シラハの顔を覗き込んだ。
リオとシラハの周囲にいた観光客が慌てた様子で遠ざかる。
唖然とした顔でシラハとスファンを見ていた案内人が呟いた。
「スファンが縄張りを出た……」
よほどの衝撃だったらしく、観光客よりも案内人や町の住人の方が慌てふためいている。
シラハはスファンと目を合わせ、首をかしげた。つられたようにスファンも首をかしげる。
周囲の観光客たちの興奮振りから、これが異常事態なのはリオにも分かったが、スファンはどうやら敵意があるわけでもないらしい。
スファンはシラハの服を啄み、縄張りの中へ誘うように引っ張った。
シラハは迷惑そうに一歩引くが、スファンは諦めた様子もなく縄張りへ引っ張ろうとする。
シラハとスファンの攻防を見た観光客たちが歓声を上げた。
「あの子、スファンに認められたぞ!」
「初めてじゃないのか、こんなこと!?」
祝福するように拍手が鳴り響き始める。
流石に、これにはリオも焦った。
追手がいれば撒くためにこの町に立ち寄ったのだ。目立ってしまっては本末転倒である。
「シラハ、もう行こう。目立ちすぎ――」
シラハの手を取ってスファンから離そうとした瞬間だった。
正面から巨大な手で払いのけられたような衝撃がリオを襲い、地面から足が離れる。
「リオ!?」
驚いた顔のシラハが離れていく。いや、リオ自身が吹き飛ばされたのだ。
何の予兆もなく吹き飛ばされたリオは驚きながらも受け身を取り、剣の柄に手をかけた。
追手からの攻撃だと思ったのだ。
しかし、予想に反して追撃はない。
先ほどまでの歓声が嘘のように静まり返る。
スファンと一瞬、目が合った。
だが、駆け寄ってきたシラハに視線を遮られたその隙に、スファンは再び飛び立ってフィルズの大木へと戻っていく。
「もしかして、今のがスファンの固有魔法?」
何者も寄せ付けない固有魔法。確かに、ノータイムで不可視の一撃に吹き飛ばされるのでは近付くことすらできないだろう。
スファンの縄張りを囲む鉄柵はスファンを守るためではなく、観光客が不用意に近づいて吹き飛ばされるのを未然に防ぐためだったのだ。
服についた埃を払って立ち上がる。
自分から縄張りを出てきたくせに、なんとも理不尽な神霊である。
いきなり吹き飛ばされたリオに呆気に取られていた観光客たちがひそひそと話し始めた。
「スファンに嫉妬されてる……」
シラハだけでなく自分にも注目が集まってしまったらしい。
勘弁してくれ、とリオはため息をついた。




