第十五話 犠牲者
リヘーランの森は奥に行くほど生態系が豊かになり、危険度が跳ねあがる。
町に近い森の入り口とは異なり、藪によって見通しが悪く、ぬかるみも多い。毒のある棘を持つ植物の他、毒蛇なども多数生息している。
だが、最も危険なのはリヘーランの悪夢を引き起こした生物、テロープの存在だろう。
そんなテロープが三頭、森の窪地にたまった水を飲んでいた。
カモシカのように見えるが長く黒い毛に覆われたその体は非常に筋肉質でがっしりとしている。
二頭が水を飲む間、一頭が周囲を警戒していた。カモシカに近い頭部は視野が広く、死角を突くのは容易ではない。
テロープを離れた場所から観察していたリオは頭に叩き込んだ資料と照らし合わせる。
「あれは囮だよなぁ」
「多分、そう」
ギルドの資料によると、狩れそうにみえるテロープの小集団は人間や肉食動物をおびき寄せる囮の可能性がある。
特に注意が必要なのは足場の状態だ。テロープは筋肉質で重いため、ぬかるみを嫌うが、岩場などでは機敏に動く。
テロープによる狩りは囮を使って凸凹した岩場や渓谷、窪地に獲物を誘い込み、囮が退避した後、潜んでいた本隊が角をかざして突撃して仕留めるという流れだ。
リオ達は目視できないが、本隊がどこかの藪に潜んでいるのだろう。
そうと分かって水を飲んでいるテロープに注目してみれば、舌で水を舐めているだけで飲んでいる様子がない。黒い毛で覆われているため喉の動きは見えないが、その目は水ではなく監視役を注視していた。
合図があればすぐに動けるようにしているのだ。
「さて、敵の手の内が読めたところで……シラハ、頼める?」
「――白紙に走らす記憶の筆先。当てなく旅出た杖の跡。陽と月ひととき交わる在処は?」
シラハが鈴を転がすような声で歌うように詠唱する。
両目を手で覆って何かを見たシラハは、窪地にいるテロープの奥にある木を指さす。
「あそこにいる」
「失せ物探しの魔法、本当に便利だな」
魔力の消費量が多いなどいくつかの制約こそあるものの、奇襲を看破できるのはこの上ない強みだ。
リオはシラハが見つけ出したテロープの本隊に目を凝らす。
「枝の上に七頭か」
どうやって登ったのか、窪地全体を見下ろせる高い枝の上にテロープが陣取っている。黒い毛に泥をまとい、その泥が固まる前に身につけたらしき緑色の葉で木の枝葉に紛れていた。
無理をすれば狩れるとは思うが、今まで戦ったこともない相手にギリギリの戦いを挑むのは無謀だ。
「残念だけど、撤退しようか。宝玉も引っかからなかったんだろう?」
「うん。近くにはないみたい」
ならば長居は無用と、リオとシラハはテロープの群れを警戒しつつ、音もなくその場を後にする。
元々山がちな辺境の村出身の二人だ。藪が多かろうと、木の根が露出していようと、容易く乗り越えて速度を上げていく。
周囲への警戒も怠ることなく森を突っ切っていくと、一部藪が払われた獣道が見えてくる。
冒険者たちが奥へ行くために切り開いた小道だ。この森で最も人通りが多い場所だが、利用者の絶対数が少ないため人と出くわすことは滅多にない。
それでもリオ達は一息ついて、小道伝いに町を目指す。
「やっぱり初挑戦だと緊張するなぁ」
「地元の森しか知らないから」
「そう、それ。まさにそれ。図鑑でしか見たことがない植物も生えてるから、足元にも注意しないといけないし……」
テロープや野生動物だけでも厄介だというのに動かない植物にすら注意を払う必要があり、短時間でも神経をすり減らすことになる。
せめて危険な植物の詳細な分布を覚えられれば動きやすくもなるのだが、それには何度も森に入って実地で覚えなければいけない。
集中力が切れる前に町へ帰ろうと速度を上げかけた時、リオは視界の端に血の跡を見つけて脚を止める。
反射的に剣を抜いていたが、血の跡はすっかり乾いていた。
「シラハ、ちょっと来て」
「血の跡? でも、この量だと……」
リオが見つけた血の跡は木の幹に付着した数滴だったが、そばの雑草を踏み倒してみると地面に血だまりができていた。
大型動物でもショック死は免れない出血量に表情を曇らせたリオは周囲を調べ始める。
これが野生動物のものならばいい。だが、リオ達がいるのは冒険者が多く利用する獣道で、人の匂いが濃いため野生動物はあまり近付かない。
冒険者が襲われてここまで逃げてきたものの、追いついた動物に殺された方が可能性は高い。
「ちょっと調べよう。慎重にね」
「うん」
血だまりの付近に死体はない。持ち去られたのだろう。
あまり見たくない光景を見ることになるだろう予感に眉をひそめ、リオは血だまりから点々と続く血の跡を追跡する。
村にいた頃、父バルドの狩りに同行して教わった追跡術を思い返しながら、慎重に先の様子を確認する。この先には大型動物の死体を持ち去った何者かがいる。大型の肉食動物か、山賊だ。
音を立てないようにしつつ、風の向きに注意もして血の跡を追跡したリオは木の上に引っかかるようにぶら下がっている人の死体を見つけて身を隠す。
リオの動きに合わせて、シラハも別の木の幹に身を隠し、周囲に敵がいないのを揃って確認した。
「何もいないな」
「みたいだね」
木の陰から出たリオはシラハに周囲の警戒を任せて死体に歩み寄る。
見ていて気分のいい物ではない。死体の状態も損壊が激しく、素人目には死因を特定できなかった。
「被害者は冒険者だ。内臓を食われた痕がある」
情報共有のためシラハに状況を伝えつつ、リオは死体を枝から降ろす。
身元を証明できそうなものはないかと調べていると、ドッグタグを見つけた。
血だらけのそのドッグタグを飲み水でざっと洗い、リオは死体に背を向ける。
「シラハ、早く帰ろう」
周囲をざっと見まわして場所を覚えておき、リオ達は町へと帰還した。




