エピローグ
秋の深まりを感じる赤く染まった山を背景に、シラハや母が落穂を拾っている。
リオが畦に置いた椅子で休憩しているとカリルが歩いてきた。
「よ、久しぶり」
「あ、騎士団指南役様だ」
「やめろよ、その肩書」
苦笑しつつ、カリルがリオの横に立つ。
猿の隠れ里を制圧して半年が経つ。
リオがベッドにいる間に魔法斬りを体得した器用なカリルは、それを知ったロシズ子爵に声をかけられて魔法斬りの指南役として都に呼ばれた。
春から村を出払っていたため、カリルを見るのは実に半年ぶりである。
カリルがばつが悪そうに頭を掻く。
「悪かったよ。リオを差し置いて指南役なんて」
「いや、それは別にいいよ。むしろ助かった」
リオとしては騎士団を相手に魔法斬りを教える指南役なんて大役を務められるとは思っておらず、ほっとしたくらいだ。
カリルはリオの肩を叩く。
「見た目はあんまり変わらねぇけど、あれから強くなったか?」
「まぁ、そこそこには」
「そこそこねぇ」
面白がるような目をリオに向けて、カリルは笑う。
「駐在してた騎士から聞いてるぞ。シラハ共々、山猫みたいだって」
「大げさだなぁ」
この半年間、リオとシラハは訓練を続けていた。
シラハに魔法を教えるオッガンの指導の下、身体強化の強度について理解を深め、騎士たちとの訓練もほぼ毎日行なった。
ラクドイ道場の子供たちも加わっての訓練もあったが、騎士たち曰く一番怖いのはリオとシラハだという。
カリルは落穂をまとめているシラハを眺めて、口を開く。
「瞬発的に身体強化を限界発動、木の幹や枝まで足場にして立体的に襲ってくる上に、シラハからの魔法援護を受けつつ高速で斬りこんでは即離脱を繰り返すリオの組み合わせだったか。手の内を知っているから騎士たちは対処できてたらしいが、道場の門下生は二人で全滅させたって聞いたぞ」
「唯一反応したラクドイさんとレミニの弟にボコられたよ。それに、ユード達も真面目に訓練するようになったから侮れないしさ」
しかし、リオ自身も強くなった自覚はある。
魔力の扱い方についてはオッガンから指導された。
騎士たちや山の獣相手に実践的な訓練も行なった。
なにより、一度限界を経験したことで身体強化の発動が格段に上達した。もともとの筋力がないため一撃の弱さをカバーできないが、小柄で細身の体格を生かした身軽な動きと剣術はリオの我流剣術を無二の物足らしめている。
最初に戦った相手である山猫と扱われるのは、リオはなんとも言えない気分だった。
「それにしても、カリルは里帰り? それとも何か用事があるの?」
「用事があるんだよ。お前とシラハに、ラスモア様がな」
「無駄話してないですぐに行かないとまずくない?」
「ラスモア様は村長と話してるよ。まぁ、もうじきにここに来るとは思うが」
噂をすれば、こちらに歩いてくるラスモアとオッガン、護衛の騎士の姿が遠くに見えて、リオは立ち上がる。
「シラハ! ちょっと来て!」
落穂を母に渡していたシラハが振り返る。
シラハが手についた土をエプロンで拭いながら走ってくる。
「どうかしたの? 今日は冬支度があるから訓練できないよ? 身体を動かしたいなら薪割りする?」
「ラスモア様から話があるってさ」
話していると、半年ぶりに会うカリルはシラハを見て驚いた顔をした。
「ずいぶんしゃべるようになったな」
「四六時中俺の横でしゃべるんだよ。カナリアでも飼ってる気分だ」
「揃って山猫だろうが」
ツッコミを入れられつつ、リオはシラハと共にラスモアの方へと向かう。
ラスモアは片手を上げて適当に挨拶すると、リオ達の家を指さした。
「中で話してもいいか?」
「はい。ただ、冬支度の最中で散らかっていますが、よろしいでしょうか?」
「当然だ。この時期ならそういうものだと心得ている。実際に見るのは初めてだがな」
リオの家のリビングに入ると、先回りした母がてきぱきと飲み物の準備をしていた。
狭いリビングに窮屈さを感じながら、リオ達はテーブルを囲んで座る。
ラスモアは興味深そうに周囲を見回した後、腰から一振りの剣を抜いた。
「リオ、以前約束した面白いものを見せてやろう」
ラスモアが片手で握るその剣は儀礼用に作られたらしい水晶の刃を持つ剣だった。
「当家に伝わる神剣ヌラだ。神器や邪器についての知識はあるか?」
ラスモアの質問に、リオとシラハはちらりとオッガンを見た。
春からずっと村に滞在しているオッガンから、魔法の講義の傍ら神器や邪器についても説明を受けていた。
辺境に住む子供には必要がないはずの知識だ。
「神霊や邪霊がなんらかの理由で死亡した時、その固有の魔法が物に宿る。それが神器や邪器だと聞きました」
「その通りだ。一般的に、元になった神霊や邪霊の名前を冠する。この神剣ヌラも神霊ヌラが死んだ際に生み出されたものだ。その能力は――」
ラスモアが神剣ヌラを視線の高さに持ち上げる。
直後、周囲の景色が一変した。
辺境の農家のみすぼらしく狭苦しいリビングが、質素ながらも気品のあるどこかの家の客間になっていた。
驚いてきょろきょろするリオとシラハを見て、ラスモアが声を上げて笑う。
「ようこそ、ロシズ子爵邸の客間へ――と言いたいところだが、これはただ光景を見せているだけだ。周囲には変わらずリオの家のテーブルや椅子があるから歩き回らない方が良い」
神剣ヌラは、使用者が過去に見た光景を周囲に展開する魔法を発動する剣らしい。
「神器や邪器は詠唱も予備動作もなしで発動するとオッガンさんから聞いてましたけど、こんな規模で発動するんですね」
「まぁな。今夜、村では祭りが行われるのだろう? 王都の祭りを再現してみせようと村長に提案してきたところだ」
演出協力がまさかの次期領主である。村長も断れなかっただろう。
ラスモアが神剣ヌラを持ったまま立ち上がった。
オッガンがリオとシラハに耳打ちする。
「立ち上がって、ラスモア様の前で膝をつくように」
「は、はい」
「うん」
言われたとおりに立ち上がり、二人はラスモアの前へと移動して片膝をつく。
ラスモアが満足そうに頷いて、横の騎士を見た。
騎士が布に包まれた剣の鞘を持ってラスモアの横に立つ。
ラスモアが口を開いた。
「遅くなってしまったが、リオよ。村を守る此度の働きとその武勇にこの鞘を下賜する」
騎士がリオへと剣の鞘を差し出した。
猿との戦いで破壊された剣の鞘の代わりだろう。実用性を重視しているらしく飾り気はないが、非常に丈夫な邪獣の革が裏打ちされた金属の鞘だ。
重くはないかと不安になりながらも騎士から受け取ってみると、金属とは思えない軽さだった。
「特殊な金属を薄く引き延ばして鞘の形に成形し、革を裏打ちしてある。丈夫で軽く、鞘の先端は補強されていて鈍器としても使える。今後の働きに期待するぞ」
そう言って、ラスモアはリオの肩を軽く叩く。
リオに合わせて作ったとしか思えないコンセプトだ。質実剛健でありながらロシズ子爵家の財力がなければ作れない逸品である。
こんなものを日常使いするなんて貧乏性には耐えられないと戦慄するリオの横で、シラハへ騎士の一人が一振りの剣を渡す。
「シラハにはこの剣を下賜する。オッガンが監修した剣だ。リオのものと同じく軽く取り回しよく作られているだけでなく、鞘に魔法陣を刻んである。魔力を流せばいくつかの魔法を発動できる故、上手く使え」
シラハは剣を受け取り、ちらりとカリルの方を見た。
猿との戦いはリオとシラハだけでなく、カリルがいなければ確実に負けていた。自分たち二人に褒美があるのなら、カリルにもあるはずだと思ったのだろう。
だが、カリルは軽く手を振って我関せずとばかり顔をそむけた。
カリルの反応を見て、ラスモアが笑う。
「カリルには邪剣を下賜した。そして、その邪剣こそが問題なのだ」
すっと笑顔を消したラスモアが席に座り、リオ達にも着席を促す。
代わりに立ち上がったカリルが腰から下げていた剣をテーブルの上に置いた。
「これって、あの猿の邪獣が持っていた剣?」
砥ぎなおされて見違えるほど綺麗になっているが、間違いなくあの剣だった。
オッガンが口を開く。
「神器や邪器は神霊や邪霊がなんらかの理由で死亡した時、その固有の魔法が宿った物じゃ。そして、この剣は濁流の魔法を発動できる邪器なんじゃよ」
「つまり、あの猿は邪獣ではなく邪剣を持った普通の猿?」
「事態はさらに複雑じゃ。あの猿は邪獣ですらなく、邪霊だったんじゃよ」
邪霊――何もないところから発生する単一の生命体。
「動植物から変化する邪獣や神獣とは異なり、邪霊や神霊は単一の生命体じゃ。にもかかわらず、猿共は群れを成していた。邪霊や神霊があれ程の数の同一の外見的特徴を有し、さらには生殖能力までも有しているなど、あり得ぬことじゃ。さらには、他の猿共はあくまでも動物でしかなかった。あの猿共は邪霊ではなかったのじゃ」
リオは頭の中で情報を整理する。
当初、猿の群れは辺境の奥地から移動してきた動物で、それを率いているのは濁流魔法を使う邪獣だと思われていた。
同時期に村や町では謎の人間集団が暗躍しているとの情報があった。
リオ達が遭遇、討伐した濁流魔法を使う猿は人間の手によって作られたと思われる鉄の剣を所持しており、この鉄の剣が邪剣となった事実から濁流魔法を使う猿は邪獣ではなく邪霊だったと推定される。
問題は、邪霊がなぜ、猿とほぼ同じ姿をしていたのかだ。
単一の生命体である邪霊が猿と外見が同じというのは考えにくい。
「あの、邪獣から邪器ができたことってないんですか?」
「ない。詳しい原理こそ分かってはいないが、邪獣から邪器が出来上がることはない」
断言するオッガンは続けて猿の隠れ里にあった宝玉を取り出した。
「猿の邪霊に加えて、この宝玉じゃ」
「以前にカリルが別の隠れ里で見つけてギルドに提出したって話でしたよね?」
リオはカリルに確認する。
カリルは頷くだけにとどめ、オッガンに話を譲った。
オッガンは宝玉を指先でコツコツと叩き、続ける。
「カリルが隠れ里から押収した宝玉は現地の冒険者ギルドに提出され、研究のためその土地を治めるオルス伯爵家に送られた。公的記録では、オルス伯爵家に届く前、輸送中に山賊の襲撃を受けて奪われたことになっておる」
「この周辺で見かけられている集団が、その山賊?」
「山賊の被害はない。故に、オルス伯爵家に疑いの目を向けるべきところだが、あの伯爵家は善政を敷いていることで有名じゃ。社交界でも人格者と評判なのでしたな?」
オッガンが話を振ると、ラスモアは頷いた。
「その通りだ。清廉潔白な人物で悪事とは結び付かぬ。領内の治安は安定しており、財政状況も悪くない。まして、今回の一件を引き起こす動機がない」
「となれば、伯爵家を相手取れる組織力を持つ何かが、今回の猿の騒動の黒幕であり、カリル殿の右腕を奪った隠れ里にも関与しているとみるべきじゃ。つまり、この一件はまだ続く」
オッガンはそこまで言って、リオとシラハを見た。
「さて、このような話を二人に聞かせたのは協力を求めるためじゃ」
「……協力?」
一介の農民の子供に、いったいどんな協力を求めるというのか。
リオはシラハと顔を見合わせる。
ラスモアが傍らに立つ護衛の騎士を指さす。
「相手は組織だ。これほどの規模で事件を起こしながらも痕跡はほぼ残さない狡猾さを持つ。領内で事を起こした以上、当家の騎士については調べているだろう。ロシズ領内であればともかく、外部へ騎士を派遣するわけにもいかん。本来であれば、冒険者ギルドに依頼を出すところだが、そうもいかん」
「宝玉を奪われたからですか?」
「そうだ。正直に言えば、冒険者ギルドを疑っている」
複数の領地を跨いで活動し、辺境で暗躍できるサバイバル能力を有し、組織力もある。
確かに、冒険者ギルドが関わっていても不思議ではない。
「ホーンドラファミリアを始めとした裏組織の可能性もあるがな。いずれにせよ、顔が割れておらず、邪霊を相手に生き残れる戦闘力を持ち、騎士ではなく、本件の詳細を明かしても問題のない調査員が欲しい。該当するのは、リオ、シラハ、お前たちだ」
話が見えてきた。
農閑期であるこの冬から、リオとシラハを間者として利用したいとラスモア達は考えているのだ。
道理でこの半年、騎士たちが積極的に訓練に付き合ってくれたわけだ。
ラスモアは真剣な顔でリオとシラハを見つめる。
「言うまでもないが、危険な仕事だ。報酬は出す。支援もする。だが、断っても構わない」
リオはテーブルに置かれた宝玉を見る。
猿の一件で身に染みて分かったが、辺境の村なんていつ何時消えてなくなってもおかしくない。
もし、猿の一件を裏で操る組織があるとして、またこの村が狙われないとは限らない。
もともと、これから始まる冬は農閑期でせいぜい内職する程度で暇を持て余す。
ならば、この仕事を受けて報酬を得て、村の防衛力を上げるなりもしもの保険に貯蓄するのはいい手に思える。
いや、そんなものは言い訳に過ぎなかった。
リオは、ただ自分が作り上げた我流剣術がどこまで通用するのかを知りたい。まだ知らない流派の剣術を見て、それをヒントに我流剣術を発展させてみたい。
「俺はその仕事を受けたいと思います。シラハはどうする?」
「一緒に行く。リオは手がかかる子だから、私が面倒を見ないといけない」
「……おい、俺が、お前の、面倒を見てんだよ。そこのところを間違えるな。俺は兄貴なの。お前は妹なの。兄より優れた妹などいない。分かった?」
「ここにいる。多分、世界にはたくさんいる。見て回って知るいい機会だと思う」
「この……」
次期領主の前でこれ以上の喧嘩などできず、リオは不満を呑み込んだ。
リオとシラハのやり取りに苦笑して、ラスモアは旅の資金が入った革袋をテーブルに置いた。
「では、頼んだ。まずは冒険者ギルドに登録し、内情を探りつつ宝玉の正体と出所を掴んでくれ」




