第二十二話 超えてはならない一線
家の庭で、リオは剣を鞘から抜く。
白というよりも灰色の刀身、根元に重心が偏った二等辺三角形の両刃剣だ。
柄には鞣した邪獣の革が巻かれており、白く染められている。邪獣の革は丈夫な代わりに染めるのが難しいはずだが、わざわざ染めたらしい。
柄を握る。リオの手にはやや太い柄だったが、成長すれば手になじむだろう。邪獣の革のおかげで滑ることもなく、握りは安定していた。
腰だめに構え、左足で踏み込むと同時に振り抜く。
音もなく風を裂き、リオが刃を止めたい位置でぴたりと静止した。
剣と意思疎通が図れたような不思議な感覚だった。リオのためにあつらえただけあって、相性は抜群だ。
重心が手元にあるため取り回しがしやすい反面、一撃の重さは出ない。しかし、手入れを怠らなければ鋭い切れ味を発揮してくれるため、速度を生かすリオの我流剣術に最適な剣だろう。
「凄くお金がかかってそうなんだけど……」
家の窓から見ていたバルドを見る。
バルドは威厳を保とうと腕を組んで仁王立ちしていたが、息子が堂々と剣を振る様子に少し口元が緩んでいた。
「かかったぞ。神器や邪器とは比べ物にならないが、カリルの得物と同じくらいの値段だ。村長やカリル、当然父さんも金を出しあって買ったんだ。粗末に扱うんじゃねぇぞ?」
「分かってるよ。でも、手入れするとき以外はお蔵入りかな。高価すぎてむやみに使えない」
「貧乏性だなぁ。お蔵入りは許さん。ちゃんと訓練でも使え。使い潰す分には誰も文句を言わん!」
「でも、うちは貧乏だから」
「なんだと、こら」
言葉とは裏腹に、バルドは笑いながら続ける。
「そろそろ片付けて体を洗ってこい。今日はリオが曲がりなりにも一人前になった記念日ってことで、母さんが気合いを入れて夕食を作ってるからよ」
まだ夕食には早いのに先ほどからいい匂いがすると思えば、品数が多い分早くから作り始めていたかららしい。
リオは剣を鞘に納める。木製で裏に獣の革が裏打ちされた鞘だが、リオの家を表す独特の模様が打刻されている。その模様こそ、この剣がリオ専用だと表していた。
リオは自分の部屋の隅に剣を置き、着替えを持って階下に降りる。
すると、台所にいた母が顔を出してリビングを見回しているのが見えた。
「母さん、どうかしたの?」
「シラハにお使いを頼んだのだけど……まだ帰って来てないわね。迷ったのかしら?」
「村の中で迷わないと思うけど。ちょっと見てこようか?」
「お願い」
行先は卵やチーズを扱っている村の酪農家だと聞き、リオは家を出る。
村では牛を飼っていないが、別の村に嫁いでいった娘からチーズが定期的に送られてくるという村の酪農家を目指して、リオは左右を見回しながら歩く。
毛刈りの時期を間近にひかえてモコモコした十頭ほどの羊を横目に、リオは酪農家の玄関をノックした。
「すみません、うちのシラハがチーズを交換に来たと思うんですけど」
「シラハちゃん? さっき帰ったわよ。今日はリオの記念日なんでしょう? ちょっと珍しいチーズをおまけしておいたから、食べたら感想を教えてね」
何も知らない酪農家のおばさんがニコニコして答えてくれる。
ここまでの道中、シラハの姿は見かけなかった。どうやら本格的に迷っているらしい。
リオは礼を言って酪農家を後にする。
「……どうなってんだ?」
シラハはチーズの交換まではできている。つまり、道を間違えてはいない。帰り道に別の道を選んだことになるが、シラハは母から頼まれたお使いの途中で寄り道をするような性格ではない。
おかしいと思いながら、入れ違った可能性を考えて家へと向かう。
シラハではなく痕跡を探して周囲を見ていたリオはふと脚を止めた。
「なんだ、これ」
羊を囲む柵の一部に泥が付いている。跳ねたにしてはあまりにもまとまった量のそれはまだ乾ききっていなかった。
何をすればこんな泥の跡がつくのか、想像したリオはすぐに駆け出す。
家とはまるで逆方向ではあったが、この先にシラハがいるという確信があった。点々と続く泥の跡はいつの間にか地面のぬかるみを手で抉ったような跡がそばにできるようになっていた。
走りに走って、リオは村のそばを流れる川に到着する。家の裏手を流れている川の下流に当たるその場所で、リオはようやくシラハを見つけた。
「シラハ、怪我は?」
後ろから声をかけると、シラハは服についた泥をハンカチで拭う手を止めて感情のうかがえない目をリオに向けた。
「……ない。チーズも無事」
「そうか。一応、聞いておくけどその泥汚れは?」
「……ユード達に泥を投げつけられた」
「そうか。帰るぞ」
「まだ泥を落としきってない。父さんと母さんが心配する」
「それはシラハが心配することじゃない。それに、俺から二人に報告するから泥をここで落としても意味ない」
「……わかった」
シラハの代わりにリオはチーズが入った籠を持ち上げる。泥汚れ一つない籠を見て、リオは歯を食いしばった。
無言のまま家へと歩く。太陽が傾いていくのにつれて気温が少しずつ下がっていった。
虫が多い川のそばを離れて小道を歩いていると、道を塞ぐように三人組が立っていた。
三人組の真ん中、ユードがリオとシラハを見つけてニヤニヤ笑い、声をかけてくる。
「今度はリオもいるのか。お前の妹もどき、泣かないからつまらなかったん――」
最後まで言い切る前に、リオの拳がユードの口を強制的に閉じさせた。
言葉による言い合いを挟まない問答無用の一撃に呆気にとられた取り巻きも、ユードが地面を転がったのを見て我に返り、口を開く。
「この野郎!」
「いきなり何すんだよ!」
取り巻きの文句に何も言わず、リオは無言で殴り飛ばす。
遠慮なく全力で殴りつけ、転がった一人に容赦なく蹴りを入れ、復帰したユードに殴られても止まらずに反撃する。
三対一でも一切引くことなく殴り合うリオに怯んだユードが周囲に挽回の手を求めて視線を巡らせる。
目についたのはチーズの籠を大事そうに抱えているシラハだった。しかし、挽回の手になるはずもない。
――シラハは冷静に、近くの民家へと駆けこんでいた。




