第十九話 カリル対ラクドイ
春の訪れを祝う春祭りは村の恒例行事の一つで、村人も毎年楽しみにしている。
祭りといっても冬の間に食べきれなかった保存食や春の山菜などを供しつつ、村の大人が一発芸を披露したり音楽を奏でる程度の内輪の行事だ。
今年は邪獣が出没する恐れがあるため保存食はまだ備蓄しておくように村長から注意が出ており、山菜も入山規制で採りに行けない。
それでも、村の大人たちは子供たちを楽しませようと冬の間に協議を重ね、供される食事は甘いお菓子が中心になっていた。
秋から山で遊ぶこともできず、春になってもまだ入山規制が解かれない今、子供たちのストレスを解消しておきたいのだろう。甘味料であるハチミツや麦芽糖は安くないが、去年のユードたちのように無断で山に入っていかれる方がよっぽど困る。
木の実がふんだんに使われたケーキをシラハと一緒に食べつつ、リオは急遽しつらえられた客席の一つに座っていた。
「カリル、がんばれー」
「気の抜ける応援するなよ」
苦笑しつつ、カリルが革の胸当てと籠手だけをつけて広場に出る。
左腕に木剣を握り、カリルは同じように広場に出てきたラクドイに声をかけた。
「意外だな。わりと本気でやるのか」
「道場の威信がかかっているというのもあるが、カリル殿のことを甘く見ていないのでな」
そう答えるラクドイはチェーンメイルに身を覆い、頭には革製の防具、腕や足にも分厚い革装備をつけている。もともとは重装騎士の剣術であるオックス流としては軽い装備ではあるが、村の余興で持ち出すには仰々しい装備だ。
「カリル殿が何かしらの剣術を齧っているのは姿勢や構えで分かる。冒険者としてCランクまで到達したとも聞く。獣が相手でも命のやり取りを経験しているのなら、侮れる相手ではない」
「油断していてくれた方がよかったんだけどなぁ。それに、オレは右腕を無くして逃げかえってきた負け犬扱いされてんだぜ?」
「万全でなかろうと、道場の威信がかかっている以上は手が抜けない」
「そうかい」
肩をすくめるカリルをラクドイは警戒したように睨む。
リオはケーキの上に散らされた炒った木の実を齧りつつ、ラクドイの後方の席を見る。
取り巻きと談笑するユードの姿が見える。ラクドイと同じ防具を着込んでいた。
ラクドイが勝つと信じて疑っていないのだろうが、これから試合が始まるというのに見ようともしないユードと取り巻きにリオは呆れてしまう。
「動きを見て参考にしようとか思わないのかな」
門下生の中でも真面目そうな何人かはユード達を完全に無視してラクドイ達を観察している。ラクドイからの直接指導が受けられない分、本気のラクドイから学ぼうと考えているのだろう。
村人が集まってきたのを見計らって村長がカリルとラクドイの間に立つ。
「それでは、始めようと思う。相手が完全に地面に倒れるか、降参した時点で試合は終了とする。一応、手当の準備はしてあるが大怪我をせんようにな」
双方の準備が終わっているかを聞いた後、村長は後ろに下がって片手を上げる。
「――はじめ!」
合図と同時に木剣のかち合う音が響いた。
カリルが瞬時に距離を詰め、ラクドイが上段から迎え撃ったのだ。
腕力差で押し切られるのを嫌った片腕のカリルはラクドイの木剣を横から弾いて軌道を逸らしつつ、リオがやっていた足捌きをまねてラクドイの横に回り込もうとする。
側面に回り込まれるのを嫌ったラクドイが片足を引いて方向転換を図った瞬間に、カリルは沈み込むような姿勢からラクドイの軸足を狙って木剣を横に薙いだ。
ラクドイは振り下ろしたばかりで切っ先が地面に向いていた木剣をそのままカリルの木剣の軌道上に挟んで防御する。
防がれたとみるや、カリルは木剣の柄頭を自らの胸元すれすれまで引き、ラクドイの内太ももへ鋭い突きを放った。
重装鎧であろうと守ることのできない急所だ。当然オックス流には対応法があるらしく、ラクドイは焦りも見せずに木剣の柄を短く持って取り回しを良くすると、カリルの剣を横から弾いた。
距離を取って仕切り直すかと思いきや、カリルは毬が跳ねるような軽く柔軟な跳躍でラクドイの側面へとしつこく回り込む。
集団で隊列を組んで運用することが大前提のオックス流は側面への対応が苦手だと知っているからだ。
カリルの執拗な連続攻撃は片腕で繰り出されているとは思えないほど絶え間なく続く。片腕故に一撃一撃に重さはないものの、技の多彩さとオックス流の弱点を攻め続ける陰湿さは、一つ対処を間違えるだけで勝負を決めかねない鋭さがある。
しかし、防戦一方に見えるラクドイは落ち着いて対処し続けている。堅い守りでカリルの攻撃を捌きながら、息をほとんど乱していない。後方の魔法使いを守りつつ体力を温存し続けるオックス流の本領を発揮していた。
攻め続けているカリルの体力が先に尽きるのは誰の目にも明らかだった。
「――っ」
ラクドイに木剣を強く弾かれ、カリルは後ろに下がろうとして足を滑らせる。
終わりかと、観客がため息をこぼす。健闘をたたえようと拍手しようとする者もいた。
ラクドイが勝負を決めるべく、木剣を立てて右耳の横に構え、前傾姿勢を取りながら振り下ろした。
仰向けに倒れ込みながら両腕を開いているカリルに受けられるはずがない一撃。
だが、カリルは左手に握った木剣を地面に突き立てて体重を預け、両膝を曲げながらラクドイの間合いからあっさりと逃れた。
まるで、しゃがんだまま後ろに滑ったように見える挙動に、リオは目を見張ってつぶさに観察した。
決め技を誘われたことに気付いたラクドイが上半身を起こした直後、カリルが飛び立つ鳥のような軌跡で鋭い突きを放つ。
だが、上半身を起こすのが間に合っていたラクドイは自身に届く寸前でカリルの木剣を横から弾き飛ばした。
瞬時に攻防が入れ替わる。
ラクドイは木剣の鍔近くを左手で握り、右手で刃を掴むと、カリルの胸を木剣の柄で殴りつけた。
渾身の突きを放ちながらも木剣を弾き飛ばされて不安定な体勢だったカリルは胸に加えられた力に抗いきれず、背中から地面に倒れ込む。
カリルの手を離れた木剣がリオの足元に転がってきた。
「――しょ、勝負あり!」
慌てた様子で村長が試合の終了を宣言する。
カリルが両足を空に突き上げた反動で一気に立ち上がった。
「あぁ……負けた!」
服についた土を払うカリルの言葉を否定するように、ラクドイは頭の防具を外して小脇に抱えて首を振る。
「防具がオックス流の重装鎧であれば上体を起こすのが間に合わなかった。カリル殿に両腕があれば、弾き飛ばすことは叶わなかった。負けたのはこちらだ」
「ははっ。でも、次にやりあったら?」
「カリル殿が異伝エンロー流を使うと知ったのだ。間違いなく勝てる」
「同意見だ。面白かったぜ」
カリルが左手を差し出すと、ラクドイも応じて握手を交わした。
ぱちぱちと拍手が鳴る中、カリルがリオのもとに歩いてきた。
「次はお前の番だ」
「あんないい勝負をされるとやりにくいんだけどなぁ」
「おいおい、オレは結構必死だったんだぜ? 文句を言うなよ。まぁ、オレの最後の突きは異伝エンロー流を知らない村の奴らには苦し紛れにしか見えなかったみたいだし、気負うことはないぞ」
カリルが言う通り、先ほどの試合はぎりぎりまで勝敗が分からない名勝負だったと気付けている村人はほとんどいなかった。拍手にかき消されてカリルとラクドイの会話も聞こえなかったのだろう。
カリルの奮闘がなかったことになりそうな雰囲気に、リオは複雑な気持ちを抱く。しかし、異伝エンロー流は初見殺しの技で使い手であることは知られたくないとカリルが言っていたため、村のみんなに解説もできない。
悩んでいると、シラハがリオの袖を引っ張った。
「……リオ、村長の反応、おかしかった」
言われてみれば、カリルとラクドイの会話が始まる前に村長は驚いている様子だった。村長からすれば、ラクドイが勝つのは自明の理で、驚く要素はないはずだ。
不思議な反応ではあったが、今は目の前の試合に集中するべきだろう。
リオは席を立って広場に進み出る。
まだ取り巻きと雑談をしていたユードが笑い声をあげながら立ち上がり、広場に出てくる。
ユードはリオを見てニヤニヤ笑った。
「この間、舐めた口を叩いたの覚えてるか?」
「覚えてるよ。俺に言い負かされてたアレのことだよね? 別に気にしてないから、そっちも忘れていいよ」
「お前が叩いた方だろうが!」
「えっ? 記憶にないけど、いつの話?」
リオが本心から聞き返すと、ユードは額に青筋を浮かべて、木剣を上段に構えた。
「道場に通ってもいないサボり魔のくせに、調子に乗りすぎなんだよ。身の程を教えてやるからさっさと構えろ」
「ユードが話しかけてきたんじゃないか」
付き合っていられないと、リオはため息をついて腰だめに木剣を構えて村長を見る。
子供のじゃれ合いだと思ったのか、村長は苦笑しながら片手を上げた。
「――はじめ!」




