第十二話 全軍出立
冒険者を含めた連携の確認や邪神カジハが根城にしているサンアンクマユ周辺の偵察などを進めて一か月が経ち……ついに作戦開始の前夜を迎えた。
リオは宿の一室でベッドに座り込み、陽炎を発動する。
魔流を使用して一瞬で部屋中に余剰魔力を広げながら、リオは机の上にいるチュラスに声をかけた。
「どう?」
「神気ではないな」
「ダメかぁ……」
ベッドに背中から倒れ込み、リオは陽炎の発動をやめる。
神気を作りだせればシラハの邪霊化を神玉なしに防ぎ、余った神玉をチュラスに使える。そんな考えからずっと続けている訓練だが成果は一向に出ないまま討伐戦前夜を迎えていた。
チュラスが机からベッドに飛び移る。
「気にするな。将来的にできればよいのだ。いまは明後日の討伐戦を考えて英気を養え」
尻尾でリオの肩をトントンと叩き、チュラスは続ける。
「それに、シラハが神霊化を望んでいるとも限るまい」
「どういうこと?」
神霊化しなければ、遠からず邪霊化する。そうなれば討伐対象になってしまう。
神霊化を望まないとは思えなかった。義兄としても、シラハが邪霊になるのを見過ごせない。
チュラスは言葉を選ぶように尻尾でリオの肩を叩き、おもむろに口を開く。
「言葉が足りずに混乱させたようであるな。どのような衝動を持つか分からぬのでは、神霊化を歓迎できぬと言いたかったのだ」
「……シラハと相談した方がいいかもね」
言われてみれば、神霊化にも当たり外れがある。
ガルドラットのように町を守護する執着から遠出がしにくくなったりもする。邪獣や邪霊を生み出さない平和な世界を望むようにでもなれば、リィニン・ディアのように暴走しかねない。
「ぬか喜びさせたくないし、まずは神気を作れるようになってからかな」
「それが良いだろうな。神玉に込められている神気もどういった執着を生み出すか分からぬ以上、時間が許す限りはリオが神気を生み出せるよう修行すべきであろう」
討伐戦後の予定が決まったな、と思いながら、リオはチュラスを見上げる。
「チュラスは、討伐戦の後はどうする気?」
邪霊化はほぼ免れないと、チュラスも分かっているはずだ。
チュラスはベッドの上を歩いて窓辺に上る。
「そうさな。どこぞの森で野鳥の巣から卵を盗んだり、リスが隠した木の実を盗んで暮らすであろうな」
「寂しくないの?」
「ふっ。ナックと別れてからはずっと一人でおったのだ。お前たちとの会話も楽しいが、一人で過ごすのも苦ではない」
チュラスは断言しながらも窓の外、リヘーランの人の営みを見下ろしている。
猫にしては大柄な、それでも小さな背中にリオは手を伸ばした。
「年上だからって無理に強がらなくてもいいんだよ?」
「うるさい奴であるな。事実として、寂しくはないのだ。ただ、邪霊となって死んだとして、ナックの奴にどんな顔で会えばいいのか分からんがな」
リオが伸ばした手をするりと避けたチュラスは床に飛び降りて部屋の扉へ歩き出す。
すっと二本足で立ったチュラスは人間臭い動きでドアノブに両前足をかけ、扉を引き開けた。
「どこ行くの?」
「お節介な感傷はいらぬ。ナックと酒を酌み交わしに行くのだ」
「お金いる?」
「持っておる」
「……なんで持ってるの?」
「この町にはまだゴロツキが多いのでな。中々儲かったぞ」
得意そうに金の出所を吐いた義賊ネコは颯爽と部屋を出て行った。
案外図太く生きていけそうだとリオが苦笑していると、入れ替わりにシラハが部屋に帰ってきた。
「今日はもうゆっくりしていいって言われた」
「俺も訓練は終わりにしたところ」
シラハは部屋の扉を閉めると部屋の隅に置きっぱなしにしている桶を取った。
オッガンとの修行を終えてすぐに帰ってきたのもあって、埃が気になるらしい。
「リオも体を拭く?」
「俺はカリル達と湯屋に行ってきたから大丈夫」
「拭きたい」
「さっきの質問に入っていた気遣いの成分が抜けてない?」
タオルを片手ににじり寄ってくるシラハに対して布団を盾にする。
明後日には邪神相手に命がけの戦いをするというのに、いつも通りのやり取りだった。
※
リヘーラン郊外に騎士たちや冒険者、ホーンドラファミリアが隊列を組んでいる。
彼らの前に作られた演説台にはラスモア、ガルドラット、イオナという各陣営のトップが立っていた。
「諸君、我らはこれより神霊の町スファンに滞在し、その翌日に邪神カジハが巣食ったサンアンクマユを解放に向かう!」
ラスモアが良く通る声で宣言する。
ゆくゆくはロシズ子爵家を継ぐべく教育を受けてきただけあって、ラスモアの声には自然と人を従わせ、一体感を生む独特な抑揚と響きがある。
「ここから先は邪神カジハの感知範囲に入る。想定では、奴はサンアンクマユで我らを待ち受けている。だが、リオとシラハに反応して打って出てくる可能性も考えられる。突発的な戦闘に備え、各自注意を怠るな」
ラスモアは注意喚起しているが、実際に想定されている事態は少々異なる。
邪神カジハは性格上、万全の態勢を整えたリオ達を正面から叩き潰そうとするはずだ。
懸念されるのは、カジハが旧シュベート国から追い立ててきた邪獣や邪霊の存在である。サンアンクマユから拡散した邪獣たちはスファンの町周辺を闊歩しており、遭遇戦の可能性があった。
散らばった邪獣や邪霊はどんな固有魔法を持っているか分からないため、各陣営の魔法使いは防御魔法を展開しながら進むことになる。
横から攻撃を仕掛けられて、血の気の多い者が迎撃のため防御魔法から出てしまう事態が一番怖い。邪神カジハ戦の前に戦力を減らしたくはない。
ラスモアは演説で士気を高めながらも注意事項を刷り込んでいく。
馬車の中からその様子を観察していたリオは視線をサンアンクマユの方角へ向ける。
濁ったような灰色の雲が垂れこめていた。




