第二十話 川原の戦い
リオとシラハがまったく同時に踏み切る。
迎え撃つ王家の騎士から二人が前に出たかと思うと、後方の二人が砂を投げてきた。訓練を重ねて染みついた動きだ。
リオが大きく息を吹きかけて砂を吹き飛ばし、シラハが姿勢を低くして一歩前に出る。シラハの斜め前方の地面が隆起し、騎士たちの攻撃を正面からに限定した。
シラハが正面から仕掛けてくると見た騎士たちがカウンターを狙おうとした気勢を削ぐように、シラハは後方に飛び退きながら詠唱を開始する。
『雲霞を祓い、静々と――』
シラハの詠唱の隙を埋めるため、リオがシラハと入れ替わりに騎士たちへと踏み込む。隆起した地面の間に身を乗り出したリオは神剣オボフスの透過能力で騎士たちの攻撃をやり過ごし、全力で蹴りを繰り出した。
だが、騎士はまるで痛痒を感じていないように、腹部に叩き込まれたリオの足を払いのける。
身体強化の強度が違いすぎて、リオの筋力では騎士の硬化した体にダメージが入らないらしい。
ミュゼすらはるかに上回る強化効率だ。王家の騎士の実力は本物だった。
だが、詠唱の時間は稼ぎきった。
『――日向雨』
シラハの澄んだ声が山に木霊すると同時にしとしとと雨が降り始める。それ自体は一切攻撃能力のない魔法だが、整備されていない地面が一斉にぬかるみ始める。
高い身体強化効率の持ち主が暴れまわっただけでなく、鳴窟などの地形変更魔法も乱発されたため、地面は耕されている。雨水はすぐに染み込み、踏ん張りが利かない戦場が出来上がった。
「厄介な魔法の使い方だな!」
騎士が嫌そうな顔をしながらリオに向けて長剣の切っ先を突き出す。
直後、リオは身体強化を限界以上に引き上げた喉から魔力の籠った息を吐いた。
隆起した地面で限定された騎士の視界をさらに陽炎のような魔力が埋め、リオの体勢を覆い隠す。
輪郭もおぼろげなリオに対して、騎士は構わず突きを放った。
狙いの甘い騎士の突きを我流の歩法でひらりと躱したリオは伸ばされた騎士の肘裏に神剣オボフスの鞘を振りぬく。
鈍い音がした。
正確に肘関節を叩かれた騎士が驚いた顔をして後ろに下がる。
恐ろしいことに、少し痛い程度にしか感じていないらしく、騎士は叩かれた肘裏を片手で撫でていた。
「なんだ、この子。面白いことばっかりするな」
「任務中だ、まじめにやれ」
「そうはいっても、あの子も剣を抜かないし、不可解なことが多すぎないか、この任務」
「まぁ、隊長も手を抜いてるしな。だが、捕まえる気はあるみたいだ。俺たちは任務に従うだけだろ」
「まぁ、軍属の辛いとこよな」
言葉を交わしながら、騎士たちがリオとシラハを半包囲し始める。
リオは苦い顔をしてシラハと共に後ろへじりじりと下がる。
身体強化の効率が違い過ぎて、剣を抜かなければ戦いようがない。オルス伯爵家の騎士が相手ならば斬れるのだが、王家の騎士を斬るのは不味い。
八方ふさがりの状況を動かしたのは、――突然飛来した一本の矢だった。
その場の全員の視線が強制的に矢に集められる。
不可解な事態に硬直する騎士たちとは異なり、リオは矢を放った人物に心当たりがあった。
視線を操る神弓ニーベユの使い手、イオナだ。
ホーンドラファミリア幹部の彼女との関係を王家の騎士に知られたなら、リオ達まで犯罪者として認定されかねない。
ここで共闘する選択肢はない。
「逃げるよ、みんな!」
リオが声を張り上げると同時にカリルがトリグの剣をいなして森に飛び込んだ。
後方でソレインを守っていたフーラウ達も一斉に山道へ引き返していく。
この山に慣れているカリル達は放っておいても逃げ切るだろう。
何より、トリグたちの任務はリオとシラハの確保だ。カリル達を無視して、トリグたちはリオを視界に収めるべく一時斜面を駆け下りようとする。
その隙を突き、リオとシラハは山へと分け入った。
「チュラス、鈴」
猫の聴力を持つチュラスにだけ聞こえるようにつぶやくと、どこからともなく鈴の音が鳴り響いた。
トリグたちの足が鈍る。直前までの戦闘の高揚感が抜け落ちて感情の落差に戸惑っていた。
持てる限りの最高速で山を走り抜ける。
「シラハ、追手は?」
「痕跡を辿ってきてる。多分、王家の騎士の方。オルス伯爵家の騎士は足が遅い」
「追いつかれる?」
「確実に。でも、陽が落ちる」
シラハが向かいの山の稜線を見る。ゆっくりと、しかし確実に日没が迫っていた。
背後からチュラスが追いつき、リオたちの前を走り出す。
「連中、地理を把握しておるぞ。我らを山頂に追い立てる動きをしておる」
「このまままっすぐ逃げ切ればロシズ子爵領だよ?」
「川がある。渡る間に追いつかれるであろうな」
トリグと違って部下は職務に忠実らしい。
シラハが邪魔な枝を斬り払い、リオに声をかける。
「川を凍らせて渡る?」
「やめておけ。下流に村があるのだ。日向雨の効果もあって増水しておる。凍らせて堰き止めれば、下流の畑が流れるであろう」
「二人とも、イオナの位置は分かるかな? 合流したい」
「我らの速さについて来れぬようだ」
ただでさえ身軽で山育ちのリオとシラハが全力で走っているのだ。追いつこうとしているトリグたちが異常なだけで、イオナが置いて行かれるのも無理はない。
視界の先に川が見えてくる。リオの耳にも川のせせらぎと後方から迫る足音が聞こえてきていた。
川原に到着したリオはシラハを背後に庇い、陽の傾きをちらりと見た後、来た道を睨んだ。
全力で駆けて来ていたトリグが川原の砂利を踏みしめる。
「やっほー、また会っちゃったねぇ」
トリグが苦笑しながら抜身の剣を八相に構える。どうやら一人で先行してきたようだが、すぐに後続が追い付くのだろう。
リオは退路を探して下流を見るが、チュラスが静かに首を振った。
下流からも王家の騎士が遡ってきているらしい。
リオは神剣オボフスを正眼に構える。
「悪いけど、捕まるわけにはいかないよ。死にたくないし、やることもある」
「おじさんも殺したくないんだけどね。流石に二度は見逃せないかなぁ。部下にも怒られちゃったんだ」
ひょうきんな態度で肩をすくめて、トリグが一歩踏み出す。
「なんとなく事情も読めてきたんだけどねぇ。証拠がないから困りもの。ちょっとばっかし、おじさんに付き合ってもらうよ」
「……ちょっと?」
言葉に引っかかりを覚えて問い返すと、トリグはちらりと後ろを見た。
部下たちを置いてきたらしいオルス伯爵家の騎士が一人、森から現れる。髭の生えたその男はオルス伯爵家側の指揮官だ。
「トリグ殿、小娘の方は生かして捕らえて欲しい」
「おじさんは両方生かして捕らえる気でいるんだけども」
「無駄口は終わった後で頼もう。どちらかが邪剣ナイトストーカーを持っている。時間を与えたくない」
リオは細く息を吐き、努めて冷静に状況を考える。
カリルが遊ばれていたくらいだ。トリグはリオの遥か格上。手の内を全て見せたわけではないが、勝ち目はない。
髭の大男も同様だ。正統なエンロー流の使い手で、リィニン・ディアやシラハに関する事情をオルス伯爵から共有されているほど信頼があるのだろう。生半可な実力とは思えない。
戦って勝ち目はないが、時間を稼いで陽が落ちればナイトストーカーで逃げられる可能性はある。
山の稜線に日は沈んだが、まだ薄暮の明るさがある。三百数える程度の時間を稼がなくてはならない。
「シラハ、出し惜しみはなしだ。どうせ、殺す気でいってもあの二人は怪我もしない」
覚悟を決めたリオの台詞にトリグが曖昧に笑う。
「最近の若者ってば怖ぁ……。まぁちょっとの時間、胸を貸してあげよう」
そう言って、トリグはリオの虚を突いて間合いに踏み込んだ。




