第九話 資料室
月が山の稜線に差し掛かる。
リオは右手に握った縄がつながる先を振り返る。
真後ろにシラハ、その後ろにカリル、その後ろにはフーラウ達、さらに後ろにラーカンル達騎士組が続いている。
無言で頷きあい、リオは左手に握った神剣オボフスを崖壁に押し当てた。
鞘に入れたままの神剣オボフスがその能力を発揮し、リオの左手が抵抗もなく崖壁に吸い込まれる。
「息はできないから縄を手放さないようにね」
注意を促してから、リオは肩に乗っているチュラスを見る。
「いくよ。せーの!」
掛け声と共に、リオは崖の中へと走り出した。
真っ暗な視界の中、リオは右手の縄を離さないように注意しつつ、走り続ける。
集団の中で最も速いだろうリオだが、その後ろにいるシラハ、カリルがペースメーカーとして速度を調整してくれる。
二秒と少し、暗闇を走り抜けたリオは地面の感触が変わったことに気付き、覚悟を決める。
視界が急激に明るくなる。目が眩むほどの眩しさの中、チュラスの首の鈴が鳴り響いた。
「――え?」
聞き覚えのない声がする。
リオは周囲にいるのがすべて敵と判断出来る先頭の利点から、声の主を敵と即座に判断した。
声が聞こえた方向へ、躊躇なくミドルキックを放つ。靴底に柔らかな感触がした瞬間、力の限りに蹴り飛ばした。
何か重いものが倒れる音とうめき声。
「て――」
敵襲、と言おうとしただろう何者かに、リオは左手に握ったままの神剣オボフスで突きを放つ。
胴体があるだろう場所へと突き出した神剣オボフスの鞘の先端が何かを深く抉った。
声にならないくぐもった悲鳴が聞こえてくるのとほぼ同時に、リオの視界が回復し始める。
薄ぼんやりと視界に顔がかすんで見えない男女が五名。
霞んだ視界でも、彼ら彼女らの体勢から対応ができていないと分かる。
「殺してはならんぞ」
チュラスに言われるまでもなく、リオは殺すつもりがない。
奴隷など、リィニン・ディアに無理やり働かされている人間がいる可能性は事前にカリルが指摘している。
向かってくる人間はともかく。無抵抗の人間を殺すのは不味い。
そもそも、硬直している人間など速さと手数で押すリオの敵ではない。
悲鳴を上げさせる間もなくリオは五人の鳩尾や股を突き、蹴り飛ばし、完全に無力化した。
完全に明順応して回復した視界で、リオは周囲を見回す。
広い部屋だ。しかし、予想していた仮眠室ではなく、大きなテーブルが中央に置かれた休憩室のようだった。テーブルには夜食らしきパンや付け合わせの野菜、何かのソースと飲み物が置かれている。
壁からシラハやカリルが出てくる。
縄を任せて、リオは休憩室の出入り口を警戒する。
出入り口の扉が開くこともなく、奇襲メンバーが休憩室に入って明るさに目を慣らす。
「チュラス、索敵は?」
「うむ。扉の通路には誰も居らぬ。地図の三角、四角に三名ずつ。ミュゼらしきものは奥にいる。襲撃に気付かれた様子はない」
「上出来」
にやりと笑い、リオはシラハを振り返る。
「シラハも同意見?」
「同意見。ただ、チュラスがミュゼって言ったのはあっちの方にいる六人のうちの一人?」
「うむ。その通りである。何か気になることがあるか?」
「重装騎士みたいな重い動きの人が五人いる。多分、オックス流の使い手」
「五人もいるの?」
「多分、全員強い」
「嫌になるなぁ……」
チュラスと違ってシラハは剣術の心得がある。シラハが断言する以上、警戒した方がいいだろう。
話を聞いていたカリルが頭を掻いた。
「まぁ、バレていない今は関係ない。さっさと目的を達成するぞ」
「そうだね」
カリルに同意したリオは全員が明順応したのを確認してから扉をそっと押し開ける。
チュラスの言う通り、廊下に人影はない。
振り返ると、リオが昏倒させた男女をラーカンルたちが手際よく縛り上げていた。きちんと猿轡まで噛ませてある念の入れようだ。
リオはカリル達を廊下に出した後、休憩室に戻る。
「悪いけど、君たちにはストッパーになってもらうね」
リオはやや乱暴に休憩室の扉の前に縛り上げた男女を積み上げ、扉横の壁から神剣オボフスで外に出る。
これで休憩室を新たに訪ねる者が居ても、縛り上げられた男女が扉を塞いでいるせいで中の様子が分からない。
通路には魔法陣が刻まれた照明器具が取り付けられており、最低限の明かりが確保されていた。
リオは肩に乗ったままのチュラスを見る。
「尻尾で目的地を示せる?」
「ふっ、誰に言っておる」
得意そうに尻尾で進行方向を指さしてくれるチュラスの道案内に従って、リオたちは一斉に通路を走り出す。
廃坑をそのまま利用しているだけあって、床も壁も天井も土が露出しているが、踏み固められているのか床は硬く、本来なら反響音が響いているはずだった。
しかし、フーラウの後ろ、集団のほぼ中央に位置するソレインが足音を抑える魔法を使用してくれているおかげで音は最低限に抑えられている。聞こえないわけでもないが注意を引くこともないだろう。
通路を一気に走り抜けて、チュラスの尻尾が指し示す方へ向かう。入り組んだ廃坑は一直線であるにもかかわらず幅や天井の高さが複雑に変わっている。
数度の分かれ道を経て、目的の部屋が近付いてくる。
「内部に三名おるぞ」
「わかった。シラハ、一緒に来て」
「うん」
左手で神剣オボフスを正面に掲げ、シラハと右手を繋ぐ。
「せーの!」
部屋の扉を素通りして、壁から神剣オボフスの透過能力で襲撃をかける。
一瞬の暗闇を潜り抜け、部屋が広がる。
意外にも広い部屋だが、書棚が大量に列をなしていて視界が利かない。
だからこそ、部屋にいた三人もリオ達には気付けない。
魔力を感知できるシラハが即座に剣を抜き放ち、書棚の上を飛び越えて奇襲をかけていく。
シラハの動きを横目に、リオは神剣オボフスで書棚を透過し、その先にいた男の喉に拳を突き入れた。
肩からチュラスの重みが消え、瞬きのうちに横からくぐもった悲鳴が聞こえる。
チュラスが顔面に乗っかって押し倒したらしい。リオが即座に現場へ駆けつけ、チュラスを引きはがそうとする女の鳩尾へ踵を落とした。
大人しくなった女を蹴り転がして俯せにし、ラーカンル達の手際を真似て猿轡を噛ませる。
「よし。制圧完了」
倒した男を引っ張ってきたシラハに後を任せて、リオは部屋の扉を開けてカリル達を招き入れる。
音もなくするりと部屋に入ってきたカリル達は縛り上げられた男女を見て苦笑した。
「お前ら三人が一番若いってのに、手際がいいな」
「待て、我はこの中でおそらく一番年上であるぞ」
「無駄口叩いてないで、資料を全部見るよ。カリル、出番だからそこに控えてて。フーラウさんたちは出入り口の警戒をチュラスと一緒にお願い」
指示を出して、リオはすぐに書棚に向かった。
年月日、地名、責任者らしき名前が書かれたファイルがずらりと並んでいる。
古いものはリオが生まれる遥か昔、旧シュベート国の地名すらある。
中を開いてみると世の中に解き放った魔玉とそれに由来する新生物の観察記録のようだった。
これらのファイルを覗いても、目的であるオルス伯爵とリィニン・ディアの繋がりを証明する文章は見つからないだろう。
当たりを付けようと書棚から一歩離れて全体を見回した時、リオは横から声をかけられた。
「……リオ、これ」
いつの間にか横にいたシラハが一冊のファイルを差し出す。
今から一年以上前の日付、地名は――ロシズ子爵領辺境の村。
「私の記録みたい」
他に比べて明らかに分厚いファイルだった。
かなり気になるファイルだ。
ラーカンル達が書棚からめぼしいファイルを抜きだすのを横目で確認し、リオはファイルを開いた。




