第三話 故郷へ
ここまでくれば大丈夫だろうと、リオ達は町の郊外に広がる森で脚を止めた。
追手はなく、町で騒ぎが起きた様子もない。トリグ隊長が寝たふりで時間を稼いでいるのだろう。
リオはチュラスを見た。
神剣オボフスや愛用の剣、邪剣ナイトストーカーにシラハの魔法剣と四振りもの剣を牢の外まで運んだチュラスは疲れたように欠伸をした。
「顎が痛い。まったく、重労働であった」
「ごめん。助けてくれてありがとう」
「我が何をせずとも、逃げられたようだがな」
「あちこちの思惑がぶつかってるみたいだからね」
息を整えて歩き出したリオはトリグ隊長から聞いた話をチュラスにそのまま伝える。
リオにとっては雲の上で行われている派閥争いの話だ。要約しようにも前提となる知識がないため、長々とそのまま話すことになった。
チュラスもリオに無理を言えないと悟っているらしく、黙って話を聞いている。単に顎が痛いだけかもしれないが、一言も口を挟まなかった。
チュラスは時折、確認を取るようにシラハを見て、頷き返されている。
話を聞き終えたチュラスは適当な木の幹を駆け上り、リオの肩に飛び移った。
急にかかった大猫の重量にリオが渋い顔をしても、チュラスは退く様子がない。
「どうにも、そのトリグとやらも状況を理解していないのだな」
「現場に送り出されたトカゲのしっぽ要員だってぼやいていたくらいだからね」
「だが、その男を派遣したということは、リオ達を逃がす意向が王家にあったのやも知れぬ」
「俺もシラハも、王様が気にかけるような存在じゃないよ?」
少々特殊な立場に立っている自覚はあるが、王家はリオ達の事情を知らないだろう。
チュラスはリオの肩で顔を洗い始める。
「自惚れるでない。王家はただ、ロシズ子爵家とオルス伯爵家のいざこざに巻き込まれるつもりも、トカゲのしっぽを出して仲裁する気もないという意思をトリグを派遣することで示したのだ」
「あぁ、俺達じゃなくてロシズ子爵家に配慮してたのか」
「リオもシラハも領民であるからな。我の方も知らせることがある」
「オッガンさんから伝言かな?」
オッガンが取り上げたリオたちの剣を、チュラスが持ってきた時点で接触があったことは想像できる。
チュラスはこくりと頷いた。
「リオからの報告書で我の存在を知っていたのだろう。ピッズナッツの鈴で呼び出されたのだ。警戒して、我は姿を見せなかったがな」
「オッガンさんは何て言ってた?」
「詳しい事情は村に戻っているカリルに聞けと。剣に関しても保管場所や入り方を含めて教えてもらい、我はリオ達を助けられたのだ」
「あの状況だとオッガンさんも時間がなくて説明は無理だったのかな。カリルの奴、酔って忘れてないといいけど」
いくらトリグが失敗しようと画策したところで時間稼ぎには限界がある。
リオ達はトリグ達が動き出さない内にカリルと合流しようと昼夜を徹して移動した。
ロシズ領に入った翌日の夕方、リオ達は故郷の村を遠くに見てようやく一息ついた。
立派になった丸太壁に囲まれて少し見た目は変わったものの、遠くに見える山の稜線も含めて懐かしさを覚える風景だ。
リオはシラハと共に森に入る。一応追われている身の上だ。堂々と表からはいるのは村にも迷惑が掛かる。
気配を消しつつ丸太壁をぐるりと迂回していく。ラクドイ率いるオックス流道場の門下生の揃った掛け声が聞こえてくる。素振りの練習をしているらしい。
動きが一番読めない子供たちが道場に集まっているのなら、リオ達も動きやすい。
丸太壁に沿って走っているとシラハが声をかけてきた。
「お父さんとお母さんに会いに行く?」
「いま会いに行っても迷惑がかかるだけだよ。やることを済ませてからにする」
両親に会った場合、トリグも参考人として拘束せざるを得なくなる。誰も幸せにならない選択だ。
ロシズ家が手伝ったのか、予想以上に丸太壁による防壁は出来上がっており、リオ達はカリルの家へ最も近い位置で防壁をよじ登った。
畑ばかりで身を隠す場所もないため、リオ達は急いで民家の陰に隠れる。
リオの肩からチュラスが飛び降りた。
「我がリオたちの来訪を伝えよう。どの家だ?」
「あの奥にある飾り気のない家。表に空っぽの木の棚があるはず」
「ふむ。あい分かった」
音もなく駆け出したチュラスがカリルの家の玄関へ到着し、猫パンチを何度も扉に見舞ってカリルを呼んだ。
扉を開けたカリルはチュラスを見下ろして少し驚いている。そんなカリルを無視してチュラスがするりと中に入っていった。
ほどなくして、窓が大きく開かれた。
人目に付きやすい玄関からではなく、窓から入って来いということだろう。
リオとシラハはお互いの死角を補い合い、周囲に人の気配がないのを確かめてカリルの家の窓へと走り出した。
リオとシラハは首尾よく窓からカリルの家に入り込む。
「――よ、久しぶり。相変わらず小さいな、リオ」
年の離れた悪友のような気安さでそう声をかけてきたのは、この家の主であるカリルだ。
他に人はおらず、リオとシラハは肩の力を抜いた。
カリルが水の入ったコップを二人に差し出す。
「お疲れ。お前ら酷い目に遭ってるってな?」
「本当にね。村を出る時にはこんな目に遭うとは思ってなかったよ」
「……こうなるって知ってたら、村に閉じ込めてた」
「おーい、シラハ?」
ボソッと聞き捨てならない言葉を呟いたシラハにツッコミを入れてから、リオはコップの中身を空にする。
空のコップをテーブルに置いて、リオはチュラスを見た。
「話した?」
「まだ何も話しておらぬ。我の素性もな」
「というかリオ、このしゃべる大猫がチュラスって奴なのか? 目の前にしても信じられねぇんだけど」
カリルは左手でチュラスを指さす。
指さされたチュラスが不快そうにカリルの左手を猫パンチで払った。
「我が名はチュラス。身なりは猫でも立場は対等な協力者である。礼を尽くせ」
「おう、すまん。結構しっかり者みたいだな」
「ふん」
苦笑したカリルはリオとシラハに向き直る。
「さて、単刀直入に行こうか。事態は複雑怪奇だが、オレ達がやることは簡単だ」
「やること?」
リオが聞き返すと、カリルはにやりと笑う。
「――オルス伯爵領に乗り込むぞ」




