村人の勝利
ユートの試合が終わって、次は村人ネロの番である。
相手は巨漢アケボーである。町で人気の『押し相撲』と呼ばれる競技の現役チャンピオンである。
アケボーは出場選手中で一番の巨漢である。
身長は190cm。そして体重が160kgとかなり太目。
但し、3重になった腹の脂肪はよく鍛えられた筋肉の上にコーティングされた状態であり、『押し相撲』に必要な突進力には申し分のない体形であった。
押し相撲は5m四方の四角形のエリアで行う1対1の競技。
エリアから押し出せば勝ちというものだ。
投げたり、蹴ったりは禁止。手や体で押すことのみで行われる。
パンティオンと同じようなルールのために、歴代の押し相撲の選手がパンティオンで名を挙げている。
アケボーも同じで目標は押し相撲歴代選手の中でも最高の成績はベスト4である。そのためには2回勝たないといけない。
「はははっ~っ。ついてる、おいどんはついてるダス。ここで一番弱い相手とはめちゃくちゃ運がいいダス!」
アケボーは突き出た腹をポンポン叩いた。
ベスト8に残るための相手としては、最も弱いと思われる村人ネロである。
予選もウサギ男の傍にいたおかげで運よく勝ち残っただけの男だ。
体もさほど大きくないし、特別な技もなさそうである。
筋肉だるまのおっさんや変なウサギ男よりも明らかに勝てる相手だ。
「よっしゃあ~。いっちょ、やったるダス~」
アケボーは大きな手のひらで頬をバチバチ叩き、そして上半身裸の肉体に流れる汗をタオルで拭った。
押し相撲のスタイルは上半身裸で、下半身だけ専用パンツを履く。
脱げないように太い縄で腰をぐるぐる巻きにしてある。
この縄が現役チャンピオンであるアケボーは『金色』である。
これはチャンピオンにのみに与えられる色なのだ。
「あのおっさん、運が悪いのかよいのか分からないなあ」
ルーシーは対戦を始めるアケボーのステータスを見る。さすが格闘技の頂点を極めているだけあって、相当にすごいランク付けだ。
アケボー 押し相撲チャンピオン 28歳 ランクC 攻撃力C 防御力C 体力B 俊敏力E 魔法力F 器用さE 耐性力B 知力E 運F カリスマF
「あれ……ネロの運のランクが少しだけ減っている」
ネロ 村人 ランクE 攻撃力E 防御力D 体力C 俊敏力E 魔法力F 器用さD 耐性力C 知力E 運A カリスマE
ルーシーはネロの平凡な数値の中で際立ってとびぬけている運のランクが以前見た時よりも減っていることに気づいた。
「SS」が「A」になっている。2ランクも下がっている。
しかし、普通の人はよくてもC程度なので、まだAランクというのはすごい。
「運は使うと減るから不思議じゃないですわ。この対戦自体も運がいいということですわ」
そうクラウディアが解説する。つまり、ユートによって改変されたSSランクの運によって、一番勝てそうななアケボーとの対戦になったということだ。
「じゃあ、勝利は約束されたものでは?」
ルーシーはそうつぶやいたが、クラウディアは首を振る。
「運だけでは勝てないですわ。勝とうとする意志ともてる力をすべて出さないと運もただの持ち腐れですわ」
確かに運だけよくても実力が伴わなければ達成できない。
剣の稽古をしないで剣豪にはなれないし、勉強もしないで学者にもなれない。
(こ、こわいっぺ~)
アケボーの目の前に立ったネロは、その巨体に恐れをなす。
遠くから見ているだけで小山のように見えたアケボー。
いざ対戦すると小山どころではない。大きな山で後ろの景色は何も見えない。
視界がすべて肉なのである。
滴り落ちる汗がさらに恐ろしさに拍車をかける。
一応、棒を握って前へ突き出しているが、こんな棒で突いたところで、あの山のような体を1ミリも動かす自信はわいてこない。
「だ、だけど……おらががんばらないと……」
ネロには災害に合った村の復興という目的があった。
このパンティオンの決勝トーナメント出場で少しは達成したが、まだ復興のための資金にはほど遠い。
1つでも勝ち進めば、村の人々の幸せに近づくのだ。ネロは恐怖に縮こまる体を叱咤した。
「それじゃあ、すぐに勝負を決めてやるだす!」
アケボーの目標はベスト4。
そのためにはあと2つ勝たねばならない。この試合は楽勝であるから、次の試合のために体力を温存する必要があった。
「おりゃあああああ~」
試合会開始と同時にアケボーは突進した。
二人の間は約10m。
アケボーの160キロの体重と突進で破壊力はマックスに到達する。
アケボーは棒を持っていない。
そんなものは必要ない。
自分の壁のような肉体をぶつければ、それで終わりである。
「うああああああっ~」
突進してくるアケボーの肉体が迫ってくる。
ネロにはどうすることもできない。
突き出した棒は砕け散るだろうし、体が当たれば間違いなく吹き飛ぶ。
4m幅の橋から転げ落ちることは間違いない。
じょぼじょぼじょぼ~。
汚い話であるが、ネロは恐怖のあまり漏らしてしまった。
そして腰が砕けて尻もちをつく。
プロの格闘家の本気の前に出れば、普通の人間はこうなるのも仕方がない。
ネロ自身は元来、気弱な青年なのだ。
「うっ」
ネロまで3mというところで、アケボーは右足が思ったよりも早く宙に浮くのを感じた。
興奮のあまり、全身から噴出した汗が足の裏にも伝わり、滑ってしまったのだ。
「うおおおおっ~」
バランスを崩した肉体は、その重さが災いして立て直しは不可能である。
その状態でも立っているネロにぶつかれば、きっとネロは吹き飛んだであろう。
しかし、絶妙なタイミングでネロは腰が抜けて尻もちをついた。
アケボーはぶつかる対象物を失い、さらにネロのもらした液体で足が滑る。
「わあああああああっ」
アケボーは思わずダイビングしてネロを通り越してしまった。
そのまま滑って行く。
そして体が傾いたせいで進行方向がずれて、一直線に橋から体が落ちてしまう。
ドボンと大きな音と水しぶきを立てて、アケボーは失格してしまった。
勝者はネロである。
「おい、今ので奴の運のランクが1つ下がったぞ」
ルーシーは運のランクを見る。「B」になっていた。ネロの運はAランクであった。しかしネロが勝つために様々な幸運ポイントが使われたらしい。
ルーシーが見ているステータスポイントの光景は下へ視線を移すと、ステータスに異変が起きた時に記述される文字も示されることがある。
温かい風を吹かせて気温を上昇。
噴き出た汗が足の裏を濡らしました。
タイミングが微妙に崩れてバランスを崩しました。。
ちびった液体を踏んで転びました。
ダイビングした時に偶然腰が抜けました。
滑った方向が落ちる方向になりました。
「どんな幸運だよ!」
思わずセルフ突っ込みしてしまうルーシーであった。
観客はこの意外な結果に唖然としたが、あまりに神がかった偶然に拍手喝采となった。
ネロが腰を落とすタイミング。
アケボーがつまずくタイミング。
ダイビングして滑った方向。
どれもが少しでも違えば、ネロの負けは確定であった。




