勇者の聖水
「うああああっ……」
なんとか受け身を取ったのでけがはしなかったが、右手を軽く動かしただけで、この威力だ。
「さあ、小僧。よくもこの私の体に触れたわね。その報いを受けてもらうのですわ。このクラウディア……」
話の途中で老吸血鬼は頭から水をかけられた。
ユートが腰に付けていた竹筒の水を頭からかけたのだ。
「ぐあああああああっ~」
老吸血鬼の体がたちまち煙に包まれる。ものすごい効果だ。
先ほどの狼人間もこの水で撃退した。
「うあああっ……」
床に転げまわり、苦しんでいる吸血鬼。
「ユート、やっぱり、その竹筒の中の水は何だ。さっきの教会でもらった聖水はさっぱり聞かなかったけど、それは別物。強力な坊さんに拝んでもらったスーパー聖水か、それとも伝説の泉で汲んで来た魔を打ち払う聖なる水?」
ルーシーはそう聞いた。
狼人間の時は答えをはぐらかされたが、絶対にこの水は特別なものに違いないだろう。
「ああ……ええっと……。これは内緒ですよ。これはアリナ様が出した聖水です。正確に言うとアリナ様のお体をお拭きしたタオルを浸した水も入っています」
「は、はあああああああ?」
ルーシーは混乱した。一体、この少年は何を言っているのだ。
「だから、アリナ様の聖水です。ルーシーさんだって毎日出すでしょ。ルーシーさんの場合はおしっこですが」
すました顔でとんでもないことを告白するユート。
「いや、ユート、もう一度、確認するが、その竹筒の中は勇者のおしっこ、加えて汗!?」
「ルーシーさん、失礼なことを言ってはなりません。高貴なる勇者のアリナ様はおしっこやうんこはしません。アリナ様は神様から選ばれた女神様のような人なのです。僕たちみたいに汚いおしっこやうんこはなさいませんよ。出されるのは聖水です。そして汗はアリナ様の匂いがついた高貴な液体です」
ユートは勇者アリナの付き人。アリナが寝込めば、当然、つきっきりの看病をする。
アリナは体力が限界まで失われていたので、ベッドから起き上がれないほど。
だから、トイレにも行けない。
よって、トイレの代わりに尿瓶で用を足すしかない。
その介添えは付き人であるユートの役目。そして毎日、朝と夜に体を拭く。
「だ、だからって、勇者のしょんべんと汗を集めて持って来るな、この変態少年!」
「ですから、しょんべんじゃありません。罰があたりますよ。これは聖水です」
「いや、聖水って、お前、どんなけ倒錯趣味だよ!」
「ち、ちょっと……待て!」
ルーシーとユートの掛け合いに介入したものがいる。
頭からユートが言う聖水をかけられた老吸血鬼クラウディアだ。
「あ、あなたたち……話は分かったですわ。よくも、よくも、汚らしい小便を頭からかけたな~。許しません、八つ裂きにしてあげるのですわ……」
恐ろしい言葉を吐いてユートとルーシーをにらみつけるクラウディア。
しかし、ルーシーは目をまん丸くしてクラウディアを指さす。
「お、お前……なんでそうなった!」
ルーシーは思わず間抜けな声を上げてしまった。
なぜなら、100歳を超える老婆の容姿だったクラウディアが、12,3歳ほどの少女の姿に変わっていたのだ。
艶を失っていた白髪交じりの髪は、艶やかな黒髪。淀んだ瞳は若々しく輝く。しわくちゃのお肌はプリプリのもちもち。
「え、え、え!」
ルーシーの反応にクラウディアは思わず両手で顔を触る。
感触を確認し、手や足を見る。どこもかしこも若返っている。
広間にある大きな姿見に己の姿を映す。
吸血鬼は鏡に姿が映らないというのは間違いだったようだ。
そこには10代の美少女が映っていた。
「の、呪いが……解けた~っ」
子どものように飛び跳ねるクラウディア。
今は年相応の姿なので違和感はない。
しかし、ニコニコしているユートとは違い、ルーシーはおかしなことに気づいていた。
(大魔王に呪いをかけられた時にクラウディアはこの年齢だったのか?)
クラウディアは勇者パーティの一員で何年も旅をして、ついには大魔王を倒した。
大魔法使いだったと伝承されている人物が12,3歳の子供だったということは受け入れがたいことだ。
だが、ユートは全くそんな疑問をもっていないようだ。
「よかったですね。クラウディアさん、それでお願いがあるのですが」
また空気を読まないユート。クラウディアは「きっ」とユートを睨む。
「なぜ、私の呪いが解けたのかは不明なのですわ。ですが、あなたが事もあろうにこの大魔導士クラウディア・マナウスの頭に小便を浴びせたことは事実なのですわ。この屈辱、お前の血でもってあがないなさい!」
クラウディアは姿見があるところから、瞬間に移動した。
真祖の吸血鬼がもつ特殊能力だ。
ユートの背後にまわり、その首筋にカプリと噛みついた。