付き人の特訓2
ルーシーの気持ちがぷっつりと切れた。へなへなと座り込む。
「どうしました、ルーシーさん」
「腰が抜けただけだ……」
「それでは次は腹筋です」
ユートは自分の足をロープで大木に結び付けた。
そして上半身を崖に突き出す。
両足首は大木に縛られているから落下はしないが、上半身は崖から空中に浮いている状態。
普通なら、まっすぐな姿勢をとるだけで腹筋はぴくぴくと震え、悲鳴を上げるであろう。
それなのにユートは頭にロープを縛り、その先端に巨木の丸太を吊り下げた。
それを崖から落とす。
(ぎゃ~なんの処刑方法だよ!)
これも突っ込み満載。
首が折れて死ぬ。
腹筋どころじゃない。
それなのにユートは腹筋を始める。
頭に吊るされた丸太はゆうに1トン以上。それをものともせず、100回の腹筋が始まる。
「も、もういいわ……」
腹筋が終わると今度はスクワット。両肩に巨大な岩を2つ乗せたユートを見て、もうルーシーは何も言うまいと思っていた。
(この少年、人間じゃない。化け物だ)
この後、軽いランニングという名の100kmマラソンに連れまわされたルーシーはへたり込んだ。
ルーシーをお姫様抱っこしたまま、野山を獣のように駆け抜ける。隣国の首都近くまで進み、そこから往復。確かに100kmはある。それをたったの30分。
(あ、ありえねえ~)
ルーシーは風の風圧でたるんだ顔をマッサージする。猛スピードで駆け抜けたため、とんだブス顔を披露してしまった。
「あ、ルーシーさん。トレーニングを終わったらスペシャルドリンクを飲むのですが、ルーシーさんも飲みます?」
地面で転がって立てないルーシーにわずかばかりの気力がよみがえった。
(も、もしかしたら、このスペシャルドリンク。これが魔法薬で信じられないトレーニングを可能としているに違いない)
ルーシーは鉛のように重い体をやっとの思いで持ち上げた。
「あ、あたいにもくれ」
「いいですよ」
ユートは黄色い果物を取り出した。
『レモン』である。
それを右手で握る。
ぽたぽたと果汁がコップに落ちる。
そして今度はオレンジ。
これも握力で握りつぶす。
次はリンゴ。
「いきますよ」
(ああ……もう何も言うまい)
リンゴを握力で握りつぶすこと自体、怪力男がやることだ。普通の少年がいとも簡単にやることがおかしいが、普通に握りつぶしている。
リンゴを握力だけで握りつぶすことは、怪力をもつ人間ならできないことはない。
しかし、その方法というか果汁を絞り出す方法が尋常ではない。
普通に握りつぶすと果肉が割れ、飛び散ることになる。ユートの場合は握りつぶされたリンゴのお尻からジャーっと果汁が落ちていくのだ。
この握力は通常ではない。人間業ではない。
そしてこれができるユートの体は筋肉で盛り上がった三角筋や僧帽筋があるわけではない。どう見ても普通の13歳の少年なのだ。
ユートは毎日このハードなトレーニングをかっちり60分で終わらせ、すぐに勇者アリナの世話をしているのだ。
「なあ、ユート。お前に超人的な力があるのはどうしてなんだ。まさか、神の啓示を受けた勇者なんじゃないのか?」
ルーシーはそうユートに言った。勇者は神の啓示を受け、チート能力を付与される。
与えられ方は様々で、この世界に生まれて授けられるもの。前世は別の世界で暮らし、転生したもの。また、別の世界からこの世界へ召喚されるものもいるという。
勇者アリナはこの世界に生まれた時にチート能力を授けられた者。転生者でも転移者でもない。
「何を言ってるんですか。僕の力なんてルーシーさんにも及びませんよ。ましてや、アリナ様みたいに神様の啓示を受けた勇者なんておこがましいですよ」
ユートの言葉には嫌味がない。真にそう思っているからなのであろう。
「それはこっちの台詞だ。どこの世界に魔神を袋叩きにしたり、モンスターを粉々にしたり普通の人間がいるんだよ」
ユートは復活した魔神を半殺しにしたことがある。魔神崇拝者が召喚したモンスターも一撃で破壊した。
「意味が分かりません。魔神を倒したのはアリナ様ですよ。僕はその戦いの邪魔にならないように雑魚の雑魚をアリナ様の靴が汚れないように掃除しただけです」
(あ~もう何も言うまい)
ユートが嘘を言ってごまかしているという風でもない。話しながらも無垢の笑顔を向けるから、本心でそう言っているのだ。
神からの啓示も受けていないのも本当だろう。だとしたら、勇者よりも強い身体能力や魔力の説明がつかない。
(まさか……本当にあの超人的なトレーニングのおかげ……)
ルーシーは首を振った。そんなわけがない。そもそも、あんなトレーニングを普通の人間ができるわけがない。
「あっ!」
ユートが手を叩いた。何かを思い出したようだ。
「そういえば、滝に打たれた時に何かが覚醒したような気がしました」
「そ、それだ!」
ルーシーは思わずそう同意した。
何か神聖な場所で滝の水に打たれる修行で、水の精霊や竜神に力を与えられたのだと推測された。
「ユート、その場所にあたいも連れて行ってくれ」
「え、ルーシーさんをですか?」
「ああ。あたいもその力を与えられたい。そうすれば勇者の助けになるだろ」
もちろん、ルーシーにそんな気持ちは微塵もない。ユートと同じ力が与えられたら。さっさと金もうけに使う。明日から億万長者生活だ。
「なるほど。でも、僕と同じ力じゃ、アリナ様をお助けするなんてできませんよ。滝に打たれても少しやる気がでるだけで」
「いやいや、いいから、その滝に連れて行ってくれ」
もうユートと議論する気はない。その神聖なる滝で身を清めれば、ルーシーも勇者をはるかに超える力を身に付けることができる。
「連れて行ってくれと言いましても、ここがそうですが?」
そうユートが説明する。この修行場所、先ほど腹筋していた崖の底は滝つぼ。背後には大きな滝がある。
「ここか……。確かに人が踏み入れない神聖な匂いがするわ」
水しぶきが冷たい。凍えそうな冷たさ。それが返って身を清められ、不思議な能力が宿るようにルーシーには思えた。
滝から流れる水の圧力はすさまじいが、ルーシーは意を決して、滝に打たれる。
「おおおおお……っ」
思わず声が出てしまう。下唇をぐっと噛んで耐える。
(冷たい……死ぬ……でも……ここは我慢)
「いいですよ、ルーシーさん。1時間は耐えてくださいね」
ユートの声がする。
(1、1じかん~)
どんどん体が動かなっていく。心臓の動悸も異常に高鳴る。
「うっ……」
ルーシーは自分の意識が遠くなる感じを受けたがどうすることもできなかった。
*
「ユート、ルーシーを見ないがどうしたのだ?」
勇者アリナは、湯気が出ているカップとネギを乗せたお盆を運んでいるユートに声をかけた。
ここ2日、付き人のルーシーが姿を現さないのでそう聞いたようだ。
「はい、アリナ様。ルーシーさんは熱があって寝ています。お医者様の話によると風邪だそうです。2,3日寝ていればよいとのことですが」
「そうか、それは可哀そうに。どうして風邪を引いたんだ?」
「はい。修行の一環で滝行をしたのですが、それがいけなかったみたいで」
ユートは滝修行のことを話した。
「この寒い季節にそんなことをすればかぜをひくのは当たり前だ。ルーシーに言っておけ、馬鹿なことはするなと」
「はい、アリナ様」
ユートは笑顔で答える。
「それにしてもそのお盆はなんだ」
「はい、卵酒です。これを飲むと体が温まりますので」
「いや、それは想像していたが、そのネギは何に使うのだ?」
「ああ、これですか?」
ユートはネギを左手で取る。
「ネギをお尻に差すと風邪が治るそうです」
「ふ~ん。そうか。そうなのか……」
「はい」
ユートはルーシーが寝ている部屋へ行く。
やがてルーシーらしき叫ぶ声がアリナに聞こえてきた。
「わ、やめろ、やめてくれ……うぎゃあああああああっ~」




