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「読書」という行為がもたらす影響 〜社会問題 活字離れによる語彙力の低下〜

作者: 瀬戸内の猫
掲載日:2020/03/28




若者の活字離れが浸透した現代において、語彙力の低下が社会問題になりつつある。いわゆる若者言葉というものが世間的にも多く広がり、目上の方々に対して使われることすらある。語彙力の低下により正しい日本語を話せないというのはかなり致命的だ。社会的地位を失いかねない。


そのような語彙力の低下が社会問題になっている現代だが、以前に比べて語彙力が低下したと言われている要因の一つに「読書」がある。海外の研究により、読書による語彙力の上昇には正の相関があることが証明された。つまりは、読書をすることで基礎的な語彙力を身につけることが可能ということだ。


しかし、テレビやインターネットなどのメディアが普及した現代社会において、「読書」という行為は希薄になりつつある。

本来は、人類にとってもっとも身近な時代を越えて楽しめるものであったはずの読書だが、情報化が進んだ今、わざわざ読書という行為に走る者は少ない。メディアが普及する以前は、読書を安らぎとする人の他にも知的情報を取得するために読書をするという人も多かった。

しかし、メディアの普及によってそういった人たちは読書をしなくなったのだ。インターネットを使えば自分の欲しい情報だけをピンポイントで得ることができる。読書のように多大な時間をかけて尚求めていない情報までもを手に入れる必要がなくなったからだ。


また、メディア普及以前は読書を安らぎとする人が多かったのに対して、メディアが大々的に普及した現代では、インターネットゲームや動画配信サービスを利用し安らぎとする人がほとんどだ。近年ではVR(仮想現実)がメディアに取り上げられることも度々ある。そんなVRだが、日本語では仮想現実と訳されていて、あたかも自分がその世界に存在するかのように感じる、言わば現実と虚構の狭間に存在する世界である。現代の人々は現実とは別の世界を求め安らぎとしているのだ。


しかし、現実とは別の世界を求め安らぎとするという点においては読書も同じである。誰かの手によって創られた世界を楽しむものであるということに変わりはないからだ。つまりは、メディア普及以前も現代も人々が求めているものは同じであるということだ。

したがって、「読書」という行為そのものの意味は消滅していないのである。人々が現実とは別の世界を求めている以上、読書も意味を持つということだ。


大きな意味で考えれば同じである読書とVRに異なる点があるとすれば、それは視覚を使って頭の中で楽しむか視覚から脳を通して五感を使って楽しむかの違いだろう。当然、五感を使った方がより現実に近くその世界の出来事全てがよりリアルに感じられるのは間違いない。しかし、楽しさというメリットで考えた時、それは短期的に見た結果であり、長期的に見れば脳や目への悪影響などデメリットの方が大きい。


これに対して、読書は目への悪影響が多少はあるかもしれないが脳への悪影響は一切なくデメリットが小さい。それどころか、楽しみという安らぎを与えてくれるのに加えて語彙力の上昇も見込めるためメリットがデメリットを上回る。


これらのことから、「読書」という行為は先人たちが私たちに伝えてくれたように、私たちも後世へと伝えていくべき行為とも言える。機械技術が発展し、メディアやインターネットが進化し続ける現代ではあるが、その根本には「読書」という最も身近で時代を越えて親しまれてきた仮想世界があることも忘れてはいけない。そして、現代を生きる人々には、「読書」という行為を通じて正しい日本語、語彙力を身につけて欲しいと思う。




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